第26話

























 温泉旅行は、週末に合わせて一日だけ有給を使って、二泊三日で行くことにした。

 場所はたまたまわたしの地元の近くに有名な温泉街があったから、ついでに実家へ顔を出すことに決まって、


「うわぁー……なんか、今から緊張する…」


 向かう途中、レンタカーで運転中の樹希さんが落ち着かない様子で呟いた。


「ごめんね…急に実家帰ることになって」

「いやいや。それはいーよ。私もそのうち挨拶行きたいと思ってたし」

「え?」

「ん?」


 平然と口にした言葉に驚いて隣を見たら、運転席に座る樹希さんは視線を前から外せないからか、顔だけこちらを少し向けていた。


「あ、挨拶って…?」

「うん……あ。親には黙っておきたい感じ?」

「い…いや、そういうわけじゃ…ない、んだけど」


 え。

 あれ……樹希さんの認識では、今もう…付き合ってる感じ…なの?

 じゃなかったら、親に挨拶まで…しないよね。

 それとも、もしかしてこれも常套句?他の子にも言ってる……のは、さすがにないと信じたい。


「あーあ。私が男だったらなぁー……こういう時、反対される心配も少なくて済むのに」

「どういう…時…?」

「いやでも、そもそも結婚できないから……挨拶とかいらないのかな。…そこら辺どう思う?優奈ちゃん」


 そ、そんな当たり前みたいな感じで聞かれても…返答に困る。

 え……け、結婚してくれるの、かな。

 法的に結婚できなくても、それに近い関係にはなってくれるってこと…?都合よく考えすぎ?


「優奈ちゃんが親に言いたくないなら、私はそういうの全然気にしないから。遠慮なく言ってね」

「……うちの親、そういうの偏見あるかも…」


 樹希さんの真意が分からないから、とりあえずそれだけは伝えておいた。

 わたし的には言ってもいいけど……いかんせん、うちの親は頭が固い。お父さんは平気そうだけど、特にお母さん。

 女は男と結婚して、子供を産んでなんぼ、っていう価値観だから、同性と付き合ってることを伝えた日には、どうなるか分からない。…発狂しちゃうかも。

 だから、あまり言うのは好ましくない反応を見せたら、彼女も察してくれたのか今日は友達という体で会うと言ってくれた。


「ごめんね、多分…同性愛とかに厳しくて」

「いーよいーよ。よく聞く話だし、同性同士にはつきまとう問題のひとつだからさ。慣れてる」


 慣れちゃうくらいには、今までもこういうことあったんだ……と、言葉の端々に過去の女性の影を感じて気分は萎えた。

 …あんまり、真に受けて浮かれない方がいいかも。

 いわゆるリップサービス的なものだと捉えることにして、ぼんやりと窓の外の景色を眺める。

 車で三時間程度。すっかり見慣れた田舎の風景に変わっていた。


「運転…疲れない?」

「平気だよ。途中で休憩も挟んだから」

「…ありがとう。わたしも代われるから言ってね」

「うん。…そろそろ着くよ」


 その会話からまた十数分ほど車を走らせて、懐かしい一軒家の前で停まる。

 親には人を連れて帰ることはもう伝えてあるから…と、駐車場の空きに車を停め直してもらって、ふたりで降りた。


「優奈ちゃん……これ、服…変じゃない?」

「ん、今日もかっこいいよ」


 やたら緊張してる樹希さんはずっと服装を気にしていて、親に会うためにわざわざ白のハイネックニットの上から黒のジャケットを羽織っていた。

 気合の入った格好は本当によく似合ってて、本人が心配するほどでもなかったんだけど……本人的には「チャラく見えたらどうしよう…」という心配を抱えてるみたいだった。

 友達として紹介するなら、むしろそんなにかしこまってた方がおかしい気もする…と思ったものの、さすがに言わないでおいた。


「大丈夫。すごいかっこいいし、美人さんだよ」

「顔だけは自信あるんだけどなー……困った」

「ふふ、なら余計に大丈夫だよ」


 冗談じゃなく顔には絶大な自信を誇ってるらしい、今は情けない顔で頭の後ろをかく樹希さんの手を引いて、玄関の扉を開けに行った。


「ただいまー」

「……おかえり」


 入ってすぐ出迎えてくれたのは、扉の開く音に反応してリビングから出てきた母だった。

 樹希さんはさり気なく繋いでいた手を離して、首だけで小さくお辞儀をした。それを見ても、母は特に反応を示さなかった。

 気まずく思いながらも、またリビングに戻った母の後に続いて、ふたりでリビングへ入る。


「ただいま」

「お邪魔します」

「おぉ〜、優奈ぁ……帰ったかぁ」


 リビングでは父がテーブルにお茶なんかを並べてくれているところで、肩越しに振り向いてわたし達を見ながら、ヘラリと気の抜けた笑顔を見せた。…母はソファに座ってテレビを見ていた。


「遠かったから、大変だったろ〜。ふたりとも、ゆっくりしてくれな」

「ありがとう…ございます。お父さん、これよかったら…」


 マイペースでゆったりとした口調の父に対して、樹希さんは堅苦しい雰囲気で、持っていた菓子折りを紙袋から出して渡す。


「おぉ、わざわざ……ありがとうなぁ。ほら、座ってくれ」

「ありがとうございます」

「いいんだよ〜。…母さん、甘い物を貰ったよ」

「……そう」


 座布団を敷いてくれた父の動きに合わせて、腰を落ち着ける。

 素っ気ない母の態度を見て、親の仲は相変わらず良くないことを悟った。…母のこの冷たい態度が怖くて、父もわたしも変に気を遣ってしまう。

 幼い頃からこうだから、慣れてはいるものの……わたしが自分の気持ちを押し殺すようになったのは、母の影響が大きい。


 なぜなら、母は…


「ちょっと!そのティーカップは使わないでって言ったじゃない!」

「そ、そうだったか…?す、すまん…」

「なんで私の言ったことも素直に守れないのよ!ちゃんと話聞いてよ…!いい加減にして!」


 この通り、ヒステリックだから。


 今も樹希さんという客人を前に、そんなことも構わず怒り狂い始めて、父が慌てて謝りながら宥めていた。

 両親の仲が、どうしてこうなったのかは知らない。記憶があるうちから、ずっとこうだったから。


「こんな所いたら頭おかしくなる……っ!私は出かけるから」

「え。で、でも母さん、お客さんが…」

「うるさい!そんなの私に関係ないでしょ。それともなに、私はひとりで出かけることすら許されないって言うの!?」

「そ…んなことは、言ってないよ。分かったよ、行っておいで。夜ご飯は用意しとくから…」


 聞いててうんざりしちゃうような会話を経て、母はリビングを出て行った。

 残されたわたし達親子は、お互い「はは…」と乾いた笑顔で顔を向き合わせて、樹希さんは「大変っすね〜」と軽いノリで呟いていた。今はその軽さがありがたい。

 父とわたしは性質が似てるからか、比較的仲は良い方で……家族の中で浮いてしまってるのは母だけだ。

 それがまた、彼女の不満を蓄積させる要因なんだろう。

 いつ頃からか、彼女はよく家を空けるようになって、きっと他に男ができていることを父は長らく黙認している。

 浮気するパートナーに引っかかって、許してしまうのは父譲りかもしれない。


「樹希さん……だったかな。いつも、優奈がお世話になって…今度、お礼にご飯でも食べに行こう」

「はい、ぜひ。お世話になってるのは自分なんで、よければご馳走させてください」

「いいんだよ〜、そんなのは。…今日は泊まっていくのか?」

「ホテル取ってるから……夕方には出るよ」

「そうかそうか。…よかったら、ご飯食べて行ってくれ。父さん今作るから」

「うん、ありがとう。…樹希さんも、それでいいかな?」

「もちろん。楽しみにしてます」

「君はいい子だねぇ……ご飯できるまで時間があるから、それまでゆっくりしてなさい。部屋に戻っててもいいから…」


 キッチンへと向かっていった、どこか幸の薄さを感じる父の背中を見届けて、わたし達は一度自室にでも行こうと立ち上がる。


「…優奈ちゃんのお父さん、なんかめっちゃ良い人そうだね」

「うん。…お父さんは、優しい人だよ」

「そんな感じする。男版優奈ちゃんって感じ」

「ふふ、似てるって…よく言われる」


 二階の、以前わたしが使っていた部屋に行く間、階段を登りながら感想を伝えられた。

 父がよく思われるのはうれしくて……ただ、母のことに触れなかった辺り、樹希さんなりに気を遣ってくれたことが分かって、それには申し訳なく感じた。

 階段を上がってすぐの部屋が、わたしが高校卒業まで使っていた自室で、入ってみれば中はまだ当時の面影を強く残していた。


「へぇ……ここが優奈ちゃんの部屋…女の子っぽいね」

「な、なんか恥ずかしいな……今見るとちょっと子供っぽいかも。カーテンとか…懐かしい」

「それがまたかわいい」


 ベッドの上に膝を置いて、大きな花柄ピンクのカーテンの布に手をかける。


「……ここで、元カレとヤッてた?」


 ベッド脇に座って、シーツに手を当てながらなんとも答えにくいことを聞かれて、ごまかすために視線を天井の方へと向けた。

 その動作が気に食わなかったようで、顎を持たれて半ば無理やり樹希さんの方へと顔の向きを変えさせられた。


「ヤッてたんだ?」

「…そ、それは、まぁ……お付き合いしてた方が、その、いたわけですし…」


 視線だけは逸らして正直に言えば、樹希さんの口元がにっこりとした笑みを作る。


「よーし、じゃあ今から上書きしよ」

「へ?」

「ここでえっちさせてよ、優奈ちゃん」

「え……あ、うぅん…」


 別に、するのはいいんだけど……とある方向の壁を見て、流石に悩んだ。

 その間に、わたしが思うより何倍も嫉妬深い樹希さんによってシーツの上へ押し倒されて、性欲と気まずさの狭間で葛藤した。


「……いやだ?」

「いやじゃ…ない、けど……と、隣に……悠斗が、いるかも…だから」

「ゆうと?」

「お、弟……大学生の」


 四つ年の離れた、ちょうど樹希さんと同じ年くらいの弟の存在が気になって、彼に声を聞かれちゃったら…と思うと気が気じゃなかった。

 …うち、そんなに壁が分厚いほうじゃないもんね。

 ベッドも軋んじゃうタイプだし、色々と気にする要素が多すぎて集中できないのが目に見えてる。

 だから元カレの時は、弟や他の家族が居ない時を見計らって……って感じだったんだけど…


「声……我慢できる?」


 樹希さんは、する気満々の様子でわたしの頬や額に唇を当てながら、胸元に手を置いて静かな声で聞いてきた。

 理性と欲望がせめぎ合う。

 昔使ってた自分の部屋で、今一番好きで抱かれたい相手に迫られて、唸りたくなるくらいの葛藤を経た後で。


「がん、ばる」


 愚かなことに、性欲を優先させてしまった。


 そしてもちろん、樹希さんに抱かれてわたしが声を我慢できるわけもなく。


「んん、くっ……ふ、ぅ…あっ、ん。だ、め…」

「…声出てるよ、優奈ちゃん」

「む…り……っそれ、されたら…ぁあっ…んう、っうぅ〜……で、ちゃ…う。出ちゃう…ぅっ」


 最終的に、声どころか違うものまで出しそうになってしまうという、最大の失態を犯してしまった。




















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