第25話
誕生日の夜に稼ぎに行った樹希さんが帰ってきたのは、日付を跨いでさらに日付をまた回りそうになるくらいの夜だった。
わたしの仕事が終える頃にはさすがにもう帰ってきてるかなー…なんて帰宅した時にはまだ居なかったから、これは連日お泊まりコースか……って落ち込んでたけど、
「ただい…ま…」
今にも倒れそうなフラフラした足取りで、それでもちゃんと時計の針が回り切る前には帰ってきてくれた。大量の紙袋と共に。
「お、おかえり……大丈夫?」
「水……水を、ください…」
相当酔っ払ってるみたいで、望まれるがまま急いで冷蔵庫からペットボトルの水を取り出して渡しに行った。紙袋は一旦、玄関のところに置いておく。
もしかして……丸一日、ずっと飲んでたのかな?
そう心配になったけど、ちゃんと一回は仮眠を取って、その後また飲まされたらしい。…ちょっとは寝れたなら良かった。
「あぁ〜……もうだめだぁ…飲みすぎたーぁ……優奈ちゃん…」
「しんどいね…お布団行こっか」
「うん、いく……けど、その前に」
千鳥足な樹希さんの腕を首に回して支え持ちながら寝室へと連れて行こうとしたら、粗雑な動作で上着の内ポケットに手を入れた彼女は、ひとつの封筒を取り出した。
手渡されたから受け取って、どこにでもある茶封筒には「誕生日おめでとう!クソ樹希」と書かれていたから多分…プレゼントかなんかということは悟った。
でも、どうして渡されたのか分からなくて、首をひねる。
「へっへっへ…あのクソババアや客から、今日の分のバイト代と誕生日祝いの金かっぱらってきた。…中、見てみ」
初めて見るような悪い顔で口角を吊り上げて笑う樹希さんに促されて封筒の中身を見てみれば、
「わ……す、すごい…」
数えなくても分かるほど……おそらくわたしの一ヶ月の給料くらいはある、いやそれ以上かもしれない札束が詰まっていた。
……ますます、どんなバイトか気になる。
すんごく聞きたい…けど、だめだよね。きっと嫌がって答えてくれないもんね。
「これ、ぜーんぶ使って……温泉行こう?優奈ちゃん」
「え……で、でも、こんな大金…」
「いーのいーの。優奈ちゃんのためにシャンパンたらふく飲んできたから。肝臓を休ませるためにも…行こーよ」
酔っ払っていつもより気分が良いらしい樹希さんの口から、どんどん気になる単語が出てくる。
シャンパンを飲むバイトって……なに?
思い浮かぶのは、ひとつしかない。いやでも、樹希さんは女の子だし……さすがに違うかな?
ここはもう、気になりすぎるから聞くしかないと腹を括った。
「も、もしかして、バイトって…さ」
「うん、なーに?」
「ホスト……だったり、する?」
おそるおそる聞いてみたら、樹希さんは目をまん丸にした後で、思いきり吹き出して笑った。
「っく、はは…っ!ないない、ないって……ホストじゃないよ。ふははっ」
「だ、だよね……よかった…」
ひとまず違ったことに胸を撫で下ろしたはいいものの、ホストじゃないならいったい…?と疑問はさらに深まる。
キャバクラ…?いやでも、本人が“生粋のレズ”って言うくらいなのに、男性相手に接客するかな…?
結局、樹希さんも教えてくれなくて、わたしも二回も聞けなかったから、バイトの正体は謎のまま終わった。
「あ〜……てか、酔ってる時に見る優奈ちゃん、ますますかわいいなー…」
「え…そ、そう?いつも通りだけど…」
「めちゃくちゃに抱いてもいい?」
「め、めちゃくちゃ…に?」
「うん。それはもう、ぐっ…ちゃぐちゃにしていい?」
そ、そんな誘われ方をされちゃうと……樹希さんによって慣らされまくったわたしの体は、期待感だけで疼いてしまう。
樹希さんがこんなに酔ってるのも珍しいし、これを逃したらもったいないんじゃ…?と、邪な考えばかりよぎる。
「…だめ?」
見たこともないくらいとろんと垂れた瞳に、いよいよ耐えられなくなって、
「明日……休みだから…」
遠回しに、「だから好きにしてもいいよ」と暗に含ませた。
意図を簡単に察してくれた彼女は、わたしを連れて寝室まで行って、着ていたコートを荒々しく脱ぎ捨てた。
「優奈…名前呼んで」
ベッドの上で、わたしの下腹部の辺りに跨がって、そんなお願いをされる。
「い……樹希、さん…?」
「うん。もっと呼んで」
「い、いつきさん…」
「んー……いいね」
「樹希…さん」
「なーに」
だんだんと口数は少なくなって、樹希さんの体も下がってきて、最後の最後は浅く唇を重ね合う。
まるで自分の存在をわたしの中に刻み込むみたいに何度も名前を呼ばせては、そのたび満足げに微笑んだ彼女は、体の外側にも跡を刻んでいった。
最初は思ってたよりも穏やかで優しい、控えめな感じなんだな……なんて、完全に油断して、ちょっと物足りない気持ちでいたけど。
「今、誰が触ってんの」
「っい…いつき、さ…っ」
「誰に触られたい?」
「ぅうあ……っは、ぅ…いつ…きさん」
「うん、かわいいね……全部、私で埋めてあげるからね」
じわじわと盛り上がって、上がりきった後からはもう、記憶が飛ぶくらい激しかった。
でもさすがの樹希さんも疲れたらしく、終わってからは気絶するように眠っていた。…珍しい。
「樹希さん……好き。だいすき」
子供みたいな顔で眠る彼女の頬に口づけをして、わたしもその隣で眠りに落ちた。
「旅行……どこ行きたい?」
「泊まりなら…せっかくだから、県外がいいな…」
「…向こうで良いの見つけたら、指輪買おうね」
起きてから、毛布の中でぽつりぽつりと会話を始めた。
すっかり眠りから覚めた樹希さんは、それでもいつになく穏やかな顔つきで、未だ指輪が嵌まってる右手の薬指を触った。
「まだ、未練ある?」
わたしがいつまで経っても外さないことを不安に思ったのか、掠れた声で聞かれる。
「ううん。…とっくに、未練なんてないよ」
「……じゃあ今、外してくれる?」
どこか怯えた顔で窺われて、了承の微笑みを返した。
指輪を外して、ベッドサイドのテーブルに置く。それを見ていた樹希さんは、ひと安心といったように笑みを浮かべていた。
「おいで、優奈ちゃん」
「ん…」
広げた腕の中へ入り込んで抱きつけば、とてつもない大きな多幸感が心を満たす。
……今これって、付き合ってるのかな。
だけど、ふと湧いた疑問に不安のが強くなって、樹希さんの顔を見上げた。わたしの視線に気付いた相手は、静かに見下ろしてくる。
「ん…?どーしたの」
「……んーん。なんでもない」
聞いてしまったら傷付きそうで怖いから、勇気のないわたしは関係性が曖昧なままでもいいやと目をつぶることにした。
ごまかすために笑ったら樹希さんは愛でるみたいに頬をすり寄せてくる。
「今日もかわいいなぁー…優奈ちゃんは。好きだよ」
「…ど、どこがすき?」
行為の最中以外で言われるなんて滅多にないことだったから、思わず聞いてしまった。
口にしたあとで、「あ。今のめんどくさい女だったかも…」って焦ったけど、意外にも彼女は「んー…」と喉を鳴らして真剣に考えてくれた。
考えてる間も、もはや癖になってるのか手を握られたり、頭を何度も撫でていた。
「優奈ちゃんは、なんか…居心地がいいんだよね」
わたしの手を持って、指をいじくりながら話し始める。
「帰ったらいつも家に居てくれる感じとか、なんでも受け止めてくれるとことか……多分、優奈ちゃんじゃなかったら成り立ってないだろうなって思う。ほら私…自分勝手のクズだからさ」
「そ、そんなことない」
やけに卑屈なことを言うから咄嗟に否定したら、樹希さんは心底嬉しそうに笑った。
「ほら、そういうとこ。…優奈ちゃんみたいな優しい子、他にいないよ」
過大評価しすぎじゃない…?ってことを心から思ってくれてるらしい彼女は満足げで、それがもし本心ならこんなにも嬉しいことはないと思う。
ふたりで想いを募らせてキスをし合っていたら、そのうち気分が盛り上がって気が付けばいつも通り。
今日は両手で抱き締めたかったらしい樹希さんと繋がった状態で、汗ばんだ相手の鎖骨辺りに手を置いた。
「樹希さん……汗かいてる」
「はは、そりゃかくよ。こんなに動いてるんだから」
「……疲れない?」
「私は平気。…優奈ちゃんは?」
「…まだ、足りないかも」
もう散々、やり尽くしたというのに。
欲深なわたしの足が彼女の腰をしっかりと押さえつけたら、興奮してくれた様子の樹希さんが微笑を浮かべながら浅く動かした。
「私の性欲についてこれるのも…優奈ちゃんくらいかな」
「っ……は…ぅ、樹希さんが…上手で、きもちい…から、だもん」
「最高の殺し文句だね、それ」
「ぅうあ……っはぁ…そこ、当たって……っ」
「ここ?」
「う、んんっ…」
相手の首に必死でしがみついて、与えられる感覚のみに集中できるこの時間を、手放そうだなんてどうしても思えない。
ただひとつ願うのは、彼女も同じ気持ちだったらいいな…ってことくらいで。
女同士だから、今この瞬間もふたりで感覚を共有できないことが、もどかしくて仕方なかった。
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