第19話
























 クリスマスの後は、すぐに年末年始が来る。

 だから連休が始まる前にひと踏ん張りして残っている仕事を片付けるため、連日これまでよりも長い残業が続いた。

 帰っても樹希さんはしばらく不在だし、今はちょうどいい…と、遅くまで職場に残る。


「…少し休んだらどうですか」


 断れない性格も災いして、周りの仕事も引き受けて、人が帰ってからも続けていたら……わざわざ別部署から声をかけに青峰さんがコーヒーを持ってやってきてくれた。

 時計を見ればもう九時を回っていて、時間を気にする余裕もなく没頭していたことを反省する。

 わたしに仕事を頼んだ人達は、とっくのとうに居なくなっていた。


「すみません、いただきます…」


 キリの良いところでもあったから、休憩を挟むためありがたく缶を受け取って、ふたりで同じ階にある休憩室へと向かう。

 自販機前の簡易的なテーブルに缶を置いてから、椅子に腰を落ち着けた。青峰さんは、すぐ隣の椅子に座った。


「…年末のご予定は」


 控えめに伺われて、樹希さんのことを思い浮かべる。

 ……確か、大晦日の夜だけは別で過ごして、それ以外は一緒に居られるって言ってた。


「…家で過ごす予定です」

「ご実家には帰らないんですか?」

「はい……地元は、ちょっと遠いので…」


 大学への進学を期に県外から引っ越してきたから、実家までは電車で三時間はかかる。遠すぎるわけでもないけど、移動の時間を考えると少し面倒だから家で過ごしたい。

 青峰さんは実家暮らしみたいで、年末年始は親と過ごすんですと教えてくれた。

 そこからぽつり、ぽつりと他愛もない会話を重ねて、缶コーヒーを飲み終わった頃、


「…ひとりで過ごす予定なら、よければ一緒に年明けしませんか」


 ずっとそれが狙いだったんだろう、勇気を出した真剣な眼差しをした青峰さんから、お誘いを受けた。

 ……男の人は、嫌いじゃない。

 むしろ樹希さんと出会った今も、きっと彼女にフラレたらまたわたしは男性と付き合うんだろうな…ってぼんやり思うくらいには好意的で、叶うなら結婚もしてみたい。

 女性である樹希さんとは望むことすらできない子供も、男性である青峰さんとなら望める。

 どう考えたって、目の前にいる彼を選んだ方がいいって……自分でも思うのに。


「ごめんなさい……好きな人が、いるんです」


 理屈じゃない何かによって、デートのお誘いだけじゃなく、相手の好意ごとやんわり断ってしまった。


「そ…う、ですか。すみません、何度もしつこく誘ってしまって…」

「いや、その……わたしもごめんなさい。もっと早く、伝えればよかったのに…」

「倉田さんの謝ることではありませんよ。はっきり伝えてくれてありがとうございます。…あと、心苦しい思いをさせてすみません」


 罪悪感で俯いたわたしの手に手を重ねて、彼はどこまでも優しい顔で覗き込んでくる。

 こちらを安心させようと揺れる瞳と目が合うと、申し訳なさも相まって心臓が強く締め付けられた。そんなに優しくされても、わたしは応えられないから…余計に苦しい。


「あの、フラレてすぐこんなことお願いするなんて、どうかしてると思うんですけど…」

「は、はい…」

「よければ、友達として関わってくれませんか。…もちろん、口説くようなことはしません」


 諦めたのか、それとも諦めきれなかったのか。

 どちらにせよ今このタイミングでお願いされたら、元から押しに弱いわたしが断れるはずもなくて……思わず頷いてしまった。

 それを見て安堵した青峰さんが、さらに言葉を重ねる。


「倉田さん…男として関わるのはこれで終わりにするので……最後に、抱き締めさせてくれませんか」

「え……え、そ…それは、ちょっと…」

「お願いします。これで終わりにして、今後はもう下心も持たないようにしますから。一回だけ」

「や、でも……ここ、職場ですし…」

「じゃあ、他の場所に移動しますか?」

「い…いや、そういう問題じゃない気が…」

「本当に一瞬だけ。だめですか?」

「う、うぅん……」


 これまでの対応が嘘だったみたいにグイグイ来られて、困惑しすぎた頭でどうしようか唸り悩む。

 いやでも、これで最後って言ってくれてるし……このくらい許してあげないと、可哀想なのかな…?とか、思っちゃって。


「ほ、本当に…少しだけ、なら…」

「ありがとうございます」


 今後誘われなくなるのは、わたしもありがたいもんね……これで済むならむしろ良い方か…とか、職場だからそれ以上の変なことはされないはず。なんて油断してしまったのがいけなかった。

 腰に手を回して抱き寄せてきた青峰さんは、一瞬って言ったはずなのに数分経っても離れてくれなくて、どうしようと内心焦る。

 さり気なく肩を押して体を離そうとしてみても、離れるどころかさらに手に力がこもって強く抱き締められて終わった。


「あ、あのぅ……そろそろ、離れていただきたい…んです、けど…」

「もう少しだけ。すみません」

「えぇ…」


 ど、どうしよう。

 全然、やめてもらえない。

 柔軟剤か何かの匂いを濃くまとった青峰さんの腕に包まれながら、この状況をどう打破しようか考える。


「ご…ごめんなさい、わたし……仕事の続きを…」

「倉田さん」


 そこでようやく体が離れて、安堵したのも束の間。


「…これで最後にするから」


 顎をそっと持たれて、顔を上げさせられた。


 え。


 近付いてきた顔を、驚きのあまり何度も目をぱちくりさせて見つめる。

 も、もしかして……キスしようとしてる…?

 いやいや…待って。さすがにそれは……職場なのに、無いよね?

 嘘であってほしいと願う気持ちも虚しく、目と鼻の先まで迫ってきたことに混乱して瞼をぎゅっと閉じる。


「っ……」


 いやだ、と。

 その一言が言えなくて、唇を奪われそうになった瞬間。


 タイミング良く、ポケットにしまっていたスマホが音を鳴らした。


 青峰さんの動きが止まって、その隙にバッと身を後ろへ引く。そして今だと言わんばかりにスマホを取り出しながら立ち上がった。

 着信音だったから、誰かから電話が来たんだろう…と名前も確認せずに通話ボタンを押して青峰さんに背を向けつつスマホを耳に当てる。


「も、もしもし」

『今どこにいる?』


 心配した樹希さんの声が鼓膜に響いた瞬間、焦りとか嬉しさとか色々が重なって、心臓が嫌な跳ね方をした。

 今は、なんとなく気まずい…付き合ってもないのに、なんか浮気してたみたいな気分になってくる。

 動揺した心だけは悟られないように、平静を保って口を開いたら、先に樹希さんが言葉を続けた。


『この時間なのに帰ってきてないから心配で……まだ会社にいるの?』

「あ……う、うん」

『早く帰ってきて。…さびしい』


 そんなことを、そんなかわいい拗ねた声で言われちゃったら……


「今すぐ帰るね。待ってて」


 もう青峰さんのことなんて頭から消え去るくらい樹希さんに会うことだけで頭をいっぱいにして、彼には「帰ります」とだけ伝えその場を去った。…幸い、その時に引き止められたりはしなかった。

 軽く資料なんかをまとめたり、パソコンの電源を落とす前に確認をしてから、急いで鞄を持って帰ろうと踵を返す。

 だけど廊下を出た辺りで、青峰さんに手首を掴まれて足を止めた。


「…好きな男に会うんですか」


 ひどく傷付いた表情で聞かれて良心を痛めたけど、正直に頷く。


「俺の、どこがだめでしたか」


 返答に困る質問を続けてされて、これはさすがにすぐには答えられなくて言い淀んだ。

 でも、早く答えて、一刻も早く帰りたい。

 それに青峰さんに悪いところなんてひとつもないから……と、自分の中で答えを決める。


「っわ…わたしの好きな人が素敵すぎるだけです、青峰さんが悪いわけじゃありません、ごめんなさい!」


 早口でそう告げて、小走りで廊下を駆けた。

 会社を出てから駅までは走って、その途中で『最寄りまで迎えに行く』と連絡が入ったから、一旦浮かれすぎちゃう自分を落ち着けよう…と電車の中で荒くなった呼吸を整えた。

 遅い時間だったおかげで人も少なくて座れた車内で、揺られながら吐息を吐く。

 なんだか……色々、動揺すること続きで疲れた。

 口説かれることになんて慣れてないから、あんなにもゴリ押しで来られたら…困ってしまう。

 正直、樹希さんからの電話がなかったらあのままキスしちゃってた。さらに言えば、樹希さんがいなかったら、今頃……青峰さんと付き合ってたかもしれない。


「……わたしって、ほんとバカ…」


 控えめで誠実、おまけに仕事もできてお金関係のトラブルなんかも一切なさそうな上に多分…一途な青峰さんと、明るくて軽薄、まだ大学生で女性関係のトラブルが多そうな上にきっと付き合っても浮気性な樹希さん。


 付き合ったら絶対に幸せになれそうだけどドキドキできない相手か、泥沼は確定してるけどドキドキしてしまう相手。


 異性か……同性。


 どっちを選んだらいいか、おそらく大抵の人は天秤に乗せるまでもなく分かる二択なのに。


 頭で考えるよりも先に、感情が樹希さんを選ぶ。


 それがたとえ、不幸に進む選択でも。

 

 

















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