第15話























 好き、と。


 そう言われるだけで、体温は上がる。


「〜っ……っは…ぅんん……樹希さ、ん…」

「んー?どーしたの、優奈」

「す、き……好きっ…て、言ってほし……っ」

「うん…好きだよ。自分からおねだりできて、かわいーね」


 願えば願っただけ応えてくれて、それどころか褒めた上で頭を撫でてくれたり、キスを落としてくれる彼女は、いつまでも優しかった。

 夕方から夜へと空の色が暗くなっても変わらずで、求めれば何時間でも言わせてるだけの仮初めの好意と本当に好きでいてくれてるみたいな行為は続いた。

 何度も頭の中が白く弾けては、そのたびに体を震わせるわたしを、飽きることなく愛でてくれる。

 こんなの……好きになるのはわたしだけじゃないよねって、この人に惚れちゃう他の子の気持ちも分かるからこそ、つらい。


「いつき…さん」

「なーに」


 同じことを、他の人にもしないで。

 わたしだけに、して。


 何度も言いかけて、声に出す前に踏み止まった。


「…すき」


 代わりに溢れ出る思いを吐き出せば、そのたび甘やかすようなキスをされる。

 唇を柔く押し付けて、そしたら相手から軽く挟まれて、さらにこちらも同じ動きを返したら、今度は控えめに舌で撫でられて。

 自然と濃く、深くなるキスに合わせて、入り込んでいた指もさらに■まで沈み込んでいった。


「ぅうあ……は…っそ、そこ……すき…」

「うん、知ってる。…好きにさせたの、私だから」


 彼女の手によって心ごと翻弄されたわたしは、自信のある言葉にさえ心臓を高鳴らせる。

 ……自覚あるの、ずるい。

 自分がわたしに与える影響をよく理解してる彼女が憎らしくも愛おしくて、複雑な思いの中で……ただ抱かれることしかできなかった。


「ん〜、かわいい。今日もかわいかった、優奈ちゃん」


 ふたりの気分も欲も落ち着いてきた頃、距離が縮まっていたと思ってた樹希さんの呼び方が、すっかり元に戻っていた。好きって言われることも、行為が終わった途端になくなる。

 少しは本当に好きになってくれてたかな?…とか、都合よく捉えて自惚れていた心は、些細な一言で見事に打ち砕かれた。


「明日の服だけ、もうちょっと休んだら買いに行こーね。ついでに夜ご飯も食べよ」


 傷付いたわたしの感情の機微になんて気付きもしない彼女が、額に唇を当てた後で穏やかに頭の後ろを撫でながら提案してくれる。

 ……樹希さんにとっては、なんでもないことだったんだ。

 行為が終わった今もわたしの作った香水の匂いをまとうせいで、自分のものだと錯覚してしまってただけで……思えばなにひとつ、関係性は変わってない。


 独占欲で拗れていく。

 

 もう誰の元へも行けないように、閉じ込めてしまいたいという……自分本意な欲から、


「…わたしが、お金出すから」

「え?」

「樹希さんは…そばにいてくれるだけで、いいよ」


 口触りのいいことを言っといて、内心はまるで違う。

 こうなったらとことん甘やかして、わたしなしじゃ生きていけないくらいに依存させたいと、邪な思いが働いていた。

 お金も、家事も、体も…何もかも全部。

 差し出せるものは差し出して……それで、もうなんだっていいから彼女を繋ぎ止めたかった。

 たとえヒモである樹希さんの本当の狙いがこれで、こうなる事を予想していて今までやってたのかもしれなくても、そんなの関係ない。

 むしろ、その企みを逆に利用しちゃえばいい。

 ぬるま湯に浸かることを求めてるなら、わたしが用意してあげればいいと、とにかく必死な思いだった。


 だからどうか、そばにいて。


「あり…がとう」


 そう願う気持ちが伝わってくれたのか、樹希さんは呆気にとられながらも頷いてくれた。

 ひとまず安心して、胸を撫で下ろす。


「でも今日は、私が出すね」

「っ……だ、だめ」


 お金に余裕があるせいか、積極的に払おうとするのを慌てて止めた。

 そんなことをされたら、わたしの存在意義がなくなっちゃう。…そうなれば、もっと他に条件のいい子のところへ行ってしまうかもしれない。


「わたしが出すから。樹希さんはお金使わないで…何かあった時のために取っておいて?」

「お、おぉ……わかった。太っ腹だね」


 危機感をいだいて、なんとか阻止することに成功した。

 約束通り、その後は出かけた先でのお会計は全て自分で支払って、樹希さんはありがたく奢られてくれて、とりあえずは嫌われなくて済みそう……と、焦る気持ちを落ち着けた。

 ……正直、そんなに余裕がある方ではないけど。

 でも、大学生に比べたら社会人のわたしの方がお金を持ってるから、学生の金銭感覚に合わせる分には問題ない。

 もちろんお金以外でも、彼女に求められたらどんな事だって断らずに応えようと心掛けた。


「…無理してない?優奈ちゃん」


 服や必要なものを買って、食事も終えてホテルに戻ってから、樹希さんが心配そうに顔を覗き込んだ。


「全然へいき。…むしろ、お金使わせちゃってごめんね。後でホテル代とかも払うから…」

「それはだめ」


 出させてしまった分を取り返そうとしたら、間髪入れずに低い声で怒られてしまった。

 どうして不機嫌なのか分からなくて、不安になる。

 もしかして、引き止めたいって下心が全面に出すぎたかな……だから、断ろうとしてる…?なんて、焦りすぎた気持ちで言葉を失った。

 そんなわたしに、彼女は少しだけ眉間にシワを寄せて目を補足する。


「…今日は優奈ちゃんに喜んでもらうためのデートなんだから。甘えてよ」

「え……でも…」

「笑った顔、もっと見たい」

「あ…」


 樹希さんにとって都合のいい存在になることに必死で、彼女が一番なによりも求めてることを忘れてた。


「ご、ごめんなさい……楽しむようにするから…」


 嫌いにならないで、と。

 しがみつくことまでは、さすがにしなかった。

 代わりに笑顔を作って見上げたら、樹希さんの眉間のシワがさらに深まる。


「そんな無理して楽しんでる優奈ちゃん見たくない」

「む、無理なんてしてない。本当に楽しむから…」

「……私は甘えてほしいって言ってるのに。分からずやな優奈ちゃんなんてもう知らない」


 怒った声は続いて、呆れてしまった彼女はわたしを置いて部屋を出ていこうと扉の方へと歩き出した。

 あ……や、やだ。

 目の前からいなくなってしまう危機感と、これから抱くであろう喪失感に対する恐怖で、目の前が絶望に染まりながらも咄嗟に相手の腕を掴んで引き止めた。


「っご、ごめんなさい!待って……行かないで、樹希さん」

「…今一緒にいても、嫌な思いさせるだけだから。頭冷やしてくる」

「そ…それでもいい!嫌な思いしてもいいから…殴っても、何してもいいから……だからおねがい、どこにも行かないで…」

「そういうの、やめてよ」


 縋る思いで相手の背中に抱きついたら、すぐに体ごと振り向いた樹希さんの手によって引き剥がされる。


「そんなんするくらいなら、もう一緒に居ない」


 冷たい口調でそれだけ告げて、樹希さんはわざわざ自分の荷物を持って、戻る意思はないと言わんばかりに帰る準備万端な状態でホテルの一室から立ち去った。

 今さっき面倒くさいことをして怒られたばかりのわたしは動くことすらできず、その場で放心して棒立ちのまま。

 ズタズタに引き裂かれた心を持ってしても、自分が勝手に交わした「泣かない」という約束だけは強く残って消せなくて、溢れた涙を臍を噛む思いで堪えた。


「っ、う……うぅ〜…」


 下唇を噛み締めて、瞼を落としたら水滴が押し出されちゃうから、目を閉じないように開ききって上を向いた。

 泣いちゃ、だめ。泣かない。

 たとえ樹希さんが見てないところでも、彼女に泣かされてきたという他の女の子とは違うんだっていうあとに引き下がれない意地と、こんなの樹希さんが望むことじゃないっていう想いだけで、夜を乗り越えた。

 枕を濡らさずに済んだのは奇跡で、泣かないようにするので精一杯だったわたしは、自分がどうやって眠りに落ちたのかすら覚えていなかった。


「……ん…ー…」


 朝、ホテルのベッドで目が覚めて……隣に誰もいないことに改めて心を抉られたけど、残っていた睡魔に身を委ねて二度寝することで気持ちをごまかした。

 二度寝から完全に意識が覚醒した後は、ひとり静かに荷物をまとめて部屋を出た。

 お金は樹希さんが払ってくれてたみたいで、フロントで鍵だけを返して、ロビーを抜けて外へと一歩踏み出した。

 冬の痛い寒さと、清々しいほど曇りない快晴の空を見上げて、強い朝日の眩しさに目を閉じる。


「……よし」


 深呼吸をして心を落ち着けて、沈んでばかりだった気分を切り替えた。


 帰ったら、謝ろう。


 変に重い引き止め方をしちゃって、嫌な思いさせたことを反省して、仲直りしようと決意する。

 今度からは、どんなに辛くても醜く縋るだけはやめようとも心に決めて、あくまでも樹希さんにとって害がなくて居心地のいい人間でいることにした。

 嫉妬も束縛も、嫌な気持ちなんかも微塵も表には出さない。

 面倒くさいと思われて嫌われないように、常に笑顔で居続けよう…と。昨日の行いを後悔した心が、自分を押し殺す選択をさせた。


 彼女が本当に望んでいたものは、そうじゃないってことにも気付かずに。

















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