第11話
朝起きて、仕事に行って、夜まで働いて、家に帰れば疲れ果てて寝落ちする。
そんな生活を何日も繰り返す中で、同居人である樹希さんに会えたのは一週間のうちたったの一回だけだった。
「避けられてる……気がする…」
わたしの感度が良くなかったあの日以降、彼女は家を空けることが増えた。
なんならもう、他のところに住み始めたのかな?ってくらい帰ってこない。当然のように、連絡も来ない。
同じ家に住んでるはずなのに会えなくて寂しくなっては悶々とする毎日を過ごしているうちに、だんだんとメンタルは削られていった。
「会いたい…さびしい……帰ってきてよ…」
ベッドの上で枕に顔を沈めて誰にも言えない本音を言う時間を、泣かないようにだけ気を付けながら毎晩過ごすようになった。
次第に、枕に向かって本音を吐くだけじゃ足りなくて、
「んっ……んん、は…っいつき、さん…」
半月が経つ頃には、彼女の温もりを思い出しては自分の体を慰めるようにまで悪化していた。
以前は自分で触ってもそんなに感じなかったのに、今は彼女に色んなことを覚えさせられてるおかげで、どこを触っても何をしても気持ちいい。
ほんとに、あの時に濡れなかったのは疲れとかが重なっただけのことで、別に樹希さんに触られたのが気持ちよくなかったとかじゃ、ないのに…
「っぅ〜……はぁ…う、ごめん…なさい」
彼女に誤解させたまま、彼女に内緒でこんなにも感じちゃうなんて。
「ごめ…っなさ……いつきさ…〜っ…んん、ぅ…」
謝りながら体だけは満足感を得てしまうような、そんなバカなわたしだから、樹希さんは呆れて帰ってこなくなっちゃったのかも。
きっと違うと頭の隅では理解していて、なのに暗い思考にばかり陥っては、その日もどっと押し寄せた倦怠感と疲労感に身を任せて眠りについた。
目が覚めたのは、空が明るみ始めた深夜に近い早朝のことだった。
寝る前に■■を得た影響か、意識がうっすら現実へ戻って来た時、やけにえっちな気分になっていて……実際に体も気持ちいい気がした。
……なん…だろ?
■■の辺りが、ゾワゾワする。そこから全身へ広がるような微弱な刺激が、何度も脳に届いていた。
「ん……ぅー…っはぁ、そ…こ…」
眠さがまだかなり残っててたから瞼を上げることはせず、だけど与えられる感覚がもっと欲しくておへその方へと手を伸ばした。
指先にサラサラな毛質の髪が触れて、誰だろう…と疑問に思うものの、そのタイミングで望んでいた刺激が訪れて、とろけた脳みそは考える余裕を失くした。
「は…ぁー、きもち…いい……」
吐息と共に、勝手に恍惚とした声が漏れる。
「もう、だめ……あ、まっ…て……んぅう…まって、くださ…っ」
「……ねぇ、おねーさん」
不意に刺激が無くなって、耳のすぐそばで少し怒ったような低い声が聞こえた。
あ…れ?樹希さん…?
ぼやけた頭で、触ってきていた相手の存在に気が付いたけど、呼び方とか…冷たい声から、まだ夢かもしれないと真っ先に思った。
だっていつもなら、こういう時は甘えた感じで「優奈ちゃん」って呼んでくれるから。…だから、これはきっと夢だ。
樹希さんのこと考えながら自分でしちゃってたせいで、夢にまで出てきちゃったのかな。
「今……誰のこと考えてるの?」
夢の中の樹希さんはずっと冷めた声をしていて、僅かに恐怖心を抱く。たとえ夢でも、嫌われたくない。
「すごい濡れてたけど……昨日、何してた?誰かと会ってた?」
「ぅ……あ、会ってな…い」
「じゃあ、オ■ニーでもしてた?」
恥ずかしいことを聞かれて、咄嗟に腕で顔を隠した。
「…してたんだ」
「や…だ、聞かないで…」
「誰のこと考えながら触ってたの」
本人に言えるわけもなくて、唇を閉じる。
それが不満だったらしい彼女は、固く結んだわたしの唇に向ってキスをして、強引な仕草に反して感触を確かめるみたいに優しく挟み込んだ。
……また、違うにおいする。
久しぶりの体温に嬉しくなった気持ちは、鼻の奥に届いた知らない香水の香りによってちょっと萎えてしまった。
「…感じないの、私の時だけなんだね」
確認するためか指で■■をなぞりながら、樹希さんは小さな声を出した。
「ちがう…よ」
「疲れてるだけかなって思ってたけど……だから無理させないように距離置いてたのに。意味なかったんだ」
「ちがうってば…」
拗ねたことを言われて、よく回らない頭ではなんて返すのか分からなくて、わたしにしては珍しく面倒な声を返したら、ムッとしたのか首筋に柔らかな感覚が当てられる。
強く吸われて、抵抗するのもしんどい気持ちで、それでも相手の頭を弱く押して止めようと試みた。
「だめ…だよ。見えちゃうとこは、やめて…?」
「……やだ」
「せめて、もう少し下にして……おねがい…」
「そんなに嫌なの?」
「いやとかじゃ、なくて…」
「…首の後ろとかなら、いい?髪で隠れるとこにするから」
「うぅ…ん、それなら…」
頭の下に手を差し込まれて、軽く持ち上げられる。
相手が跡をつけやすいようにわたしも首を少し傾けて、うなじが見えるように体勢を変えた。
ひとつだけじゃなくて、いくつか残した後でようやく満足してくれたらしい樹希さんの腕に抱き包まれる。
「めんどくさいことしてごめん」
「……へいき…」
「怒ってる?」
「んーん…ねむい、だけ…」
「そっか。…ごめんね、起こして」
「……疲れてて、感じにくいだけだよ…大丈夫…」
気遣ってくれる相手に対して、気にしないでって意味で言ったけど、言葉に出した後で会話が噛み合ってなかったかもってことに気が付いた。
だけど眠すぎて、それさえどうでもよくなる。
自分の胸元にある樹希さんの手の甲を慰める気持ちでポンポンと触って、そっと撫でる。
落ち込まないでねって言いたかった思いは伝わってくれたみたいで、彼女はわたしの髪に鼻先をつけて、甘えた動作で唇を浅く押し当てていた。
「優奈ちゃん……次の休みいつ?」
「…明後日、だよ」
「久しぶりにえっちしよーよ。それまでちゃんと我慢するから……だめ?」
「ん。いいよ…」
我慢すると言って、それはあくまでもわたし相手だけで、他の子とはしちゃうんでしょ。…なんて、拗ねたことは言えない。今は言う元気もない。
モヤモヤしたままアラームがなるまで樹希さんの腕の中でウトウトして、アラームが鳴ってからはだるい体を起こして会社へ行くための準備を始めた。
……そういえば最初は夢だと思ってたけど、普通に夢じゃなかった。
だとしたら、あの嫉妬深い彼女は現実だったんだ…って事実を家を出る辺りで改めて知って、
「いってらっしゃい、優奈ちゃん」
「…うん、いってきます」
「ん。仕事がんばってね」
「んふふ…ありがと」
キスとハグで送り出してくれた樹希さんが、なんだかものすごくかわいく感じた。
好きな人から嫉妬されるのは、元から苦手じゃなくて…過度な束縛も許してきたわたしからすれば、あのくらいかわいいものである。むしろ、束縛してくれた方がいい。
縛り付けてもらえると、独占欲込みで愛されてる気がして嬉しくなっちゃう。
朝から気分よく出社して、業務は真面目にこなしつつなんとか一日乗り切った。今日はずっと上機嫌だったおかげか、あっという間だったな…
「倉田さん」
「はい!どうしました?」
帰ったら樹希さんいてくれるかなぁ……なんて期待でワクワクしながら仕事を終えた帰り際、職場の男性に捕まって思わずご機嫌のまま満面の笑みで振り返った。
「……なんか、いいことありました?」
「あ……すみません。浮かれてしまって…」
「いえいえ、謝ることじゃ……浮かれついでに、よかったら美味しいものでも食べに行きませんか」
これは……どうしよう。
もう何回もこういうお誘い断っちゃってるから、ここでまた断るのは気が引ける。…それに、帰ったところで樹希さんがいるかどうかは分からない。
…たまには、いいかな。息抜きにもなるだろうし。
「わたしでよければ、ぜひご一緒させてください」
「いや、そんなそんな……むしろ、あなたがいいというか……あ。なに食べたいですか?」
「わりと今お腹すいてるので……なんでも美味しくいただけます…!」
「そうですか……じゃあ、ラーメンとかどうですか」
「あ、いいですね。ラーメン」
「よく行ってる所あって…そこでもいいですか?」
「もちろんです」
そんな会話を経て、職場の男性⸺青峰さんに連れられてオススメらしいラーメン屋さんへと立ち寄った。
個人店なのか、こじんまりとした店内はけっこう混雑していて、空いてるのがカウンター席しかなかったから横並びになって腰を落ち着けた。
「すみません……こういう時、おしゃれな所に誘うのが定石と分かってはいるんですが、どうしても今日はラーメンの口でして…」
「分かります、そういう時ありますよね」
「…今度はもっと、ちゃんとしたところに誘うので、その際も来ていただけたら…その、嬉しいです」
「機会があれば、ぜひ」
どこか堅苦しい会話を交わしているうちに注文したラーメンが運ばれてきて、食べるのに邪魔だから……と、朝にされたことをすっかり忘れて髪を後ろでひとつにまとめた。
「あ。……え、あの、倉田さん」
「?…はい、なんですか?」
「もしかして…付き合ってる方とか、いますか?」
気まずそうに、控えめに聞かれてようやく…跡のことを思い出す。
咄嗟にバッと首の後ろを手で隠して、自分のやらかしにダラダラと変な汗を流した。し、職場の人には知られたくなかったのに、なにしてるの…わたし。
彼氏の有無すら言えなかったこちらの反応から青峰さんは何かを察してしまったらしく、どうしようかと視線を斜め上に移動させた。
「あー……すみません、変なことを聞きました」
「いえ、こちらこそ…すみません。変なものをお見せして」
「いやいや。…倉田さんのような素敵な女性なら、相手がいてもおかしくないですから」
「す、素敵だなんて、そんなことないです…」
「…僕もぜひ、そのうち気が向いたら候補に入れておいてください。いつでも待ってます」
「は…はい。分かりました」
やらかしたことばかりに気を取られて、焦りにつられてよく考えもせず返事をしてしまった。
青峰さんがわたしのことそういう目で見てたんだ…と改めて意識が向いたのは、家に帰ってお風呂に入ってボーッとしている時だった。
でも今のわたしには樹希さんっていう好きな相手がいて……だから、気持ちには応えられない。…今のとこは。
とりあえず次の週末、樹希さんとイチャイチャできる約束を楽しみに、深く考え込むのはやめておいた。
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