第9話
「そういえば…」
事を終えた後で、ふと思い出して。
「樹希さん……タバコ吸うの?」
気になっていたことを聞いてみたら、眠そうな顔の樹希さんは小さく頷いてあくびを噛み殺した。
「ん…吸うよ」
「でもおうちで吸ってるの、見たことない…」
「あー……女の子に合わせて吸ってるだけだから…普段は別に、吸わなくてもへーきなの」
「そうなんだ…」
だからあの時も、タバコを吸う凛ちゃんに合わせて吸ってたんだ。
疑問が解消されてひとり納得して、腕枕してくれてる樹希さんの体に抱きつく。珍しく、よほど眠いのかこちらを見ないで目を閉じたまま軽く頭を撫でられるだけで終わった。
アレはものすごく気持ちいいけど……その代わり樹希さんが事後に可愛がる余裕もなくすくらいダウンしてしまうという代償があるらしい。
ちょっと寂しく思って、それならいつものやつがいいな……と相手の首元にすり寄りながら思う。
「んー…かわい。甘えてんの…?」
「……うん」
「いつもそのくらい、素直でいいんだよ…」
ぽん、ぽんと頭に手を置いて、語尾がだんだんと小さくなっていくことにもまた寂しさを覚える。
「樹希さん…」
「…んー…?」
「ねむい?」
「んー…」
もう声を出すことすら面倒らしく、喉を鳴らしただけで返事をされた。
かまって…ってしようと思ったけど、やめる。
少しして聞こえてきた寝息に、拗ねた気持ちでわたしも目を閉じて、眠りにつこうと試みた。
それにしても、女の子に合わせてタバコなんて、樹希さんは本当にたらしなんだ。
ここまでくるともはや慣れてるなんて次元じゃなくて、一種の才能にも思えて、前に本人が言ってた“女の子を幸せにする仕事”っていうのも、あながち間違いじゃない気がした。
そういう仕事があればきっと天職で、彼女はたくさんの女の子を笑顔にさせられるんだろう。
……その分、流す涙も多くなるけど。
樹希さんと一緒にいると、常にそのジレンマが付き纏う。最近はそれも、徐々に慣れつつある。
彼女のそばにいたら、わたしは幸せと不幸を行き来して、感情の浮き沈みも激しくて、そのうち辛くなるのが目に見えていても。
「……樹希さん」
「…ん……おいで…」
眠っている時ですら名前を呼べば反応を見せて、弱い力だとしても抱き寄せようと動く腕に、特大の愛情と安心感を抱く。
こんな優しい人、他にいない。
そう思っちゃうのも、だめなのかな。凛ちゃんに言ったら怒られる…?
「……ん…?なんだろ」
悶々と悩んでいたところに、バイブの振動が伝わって体を起こす。
振動の元は枕元にあった樹希さんのスマホで、画面には……“美紀さん”と表示されていた。
明らかな女性の気配を感じて、息を止める。それもこんな深夜に電話をかけてくるなんて……相当、仲のいい相手だ。
ど、どうしよう…
内心ものすごく嫉妬して、もう勝手に切っちゃおうかな?なんて悪い企みも思考を過ぎったけど、
「い、樹希さん…起きて」
やっぱりそんなのだめって自制心がちゃんと働いて、樹希さんの肩を叩いて起こした。
「ん…んー……な…に」
「電話きてるよ、美紀さんって人から…」
「は…っ?美紀さん…!?」
名前を出した瞬間に飛び起きて、スマホを取った樹希さんの勢いに驚いて身を引く。…そ、そんなに焦るなんて、よっぽど大事な人なのかな。
「…どうしたんすか」
慌てた仕草で電話に出た彼女を、膝を抱えておとなしく眺めることにした。
「え?…今日、そっち行かないって連絡したじゃないっすか。いや絶対連絡したよ。見てないの?…は?そんなん知らな……はぁー、もう。分かりましたよ。…分かったって…ごめん。すぐ行きます……はい。秒で支度します、すみませんでした」
何を話してるのかは分からないけど、敬語とタメ口が入り交じる話し方から、距離感は近いものの逆らえない相手だということは分かった。
……本命の彼女、とか?
わたしとも凛ちゃんとも違う接し方の口調に、勝手に推測して勝手に傷付く。
「はぁー……くそ。まじかよ…」
電話を切った樹希さんは寝起きでボサボサだった髪をさらに掻いてボサボサにして、気怠げにベッドを降りた。
「……どこか、行くの?」
引き止めたいわけじゃなかったけど、どうしても気になって声をかけたら、少しイライラしてるのか「うん」と無愛想に返された。
…あんまり、詮索しない方がいいかな。
聞いてほしくなさそうな雰囲気を察して、黙る。そんなわたしを置いて、樹希さんは寝室から出て行った。
こんな夜中に呼び出されても断れない相手……誰だろう。やっぱり本命さんかな。
モヤモヤして、寝転びがてら枕に顔をうずめた。
「…優奈ちゃん」
少しして、きっと着替えだったりを済ませてきた樹希さんが戻ってきて、うつ伏せから仰向けへと体勢を変えた。
「ごめんね。出かけてくる」
「…ん」
「怒ってる?」
「……へいき。いってらっしゃい」
腕を広げたら、そこへ入り込んできてくれた樹希さんが覆い被さる形で抱きしめてくれる。そのまましばらく、頭を撫でられながら、スリスリと頬を寄せた。
「朝まで帰らないから、先に寝てなね」
「……うん」
「おやすみ、優奈ちゃん」
軽いキスを1つつ残して、彼女はわたしの腕の中からいなくなってしまった。
ひとりになってから、じわじわと寂しさが湧き上がってくる。
今頃、もう彼女の家に着いたかな……わたしを散々抱いた後でも、平気な顔で抱くのかな。そんなことばかり、グルグルと考えては絶望にも似た感情に胸を潰された。
泣かないようにだけ気を付けながら落ち込んでるうちに、気が付けばその日は寝ていて……翌日も休みだったから、けっこう遅くまで寝ちゃったんだけど。
「はぁ〜……っまじで、しんどかった…」
朝どころか昼過ぎに帰ってきた樹希さんが、寝室に来て早々にわたしの隣に倒れ込んだ。
寝ぼけ眼でその姿を捉えて、横向きになって頭を撫でる。その手を包むように握った彼女は、わたしを見て優しく微笑んだ。
「もうお昼ですよ、おねーさん。こんな時間まで寝てたんすか」
意地悪な言葉とは裏腹に、頬を指で穏やかに触られて、思わず口元が緩む。
「ん……へへ…ねてた」
「かわいー…いっぱい寝れたの、よかったねぇ」
まるで赤ちゃんに話しかけるみたいな、ベタベタに甘やかす口調で声を出した樹希さんは、体勢を変えて半ば座る形になって、頭上から両手で輪郭を挟んで額辺りにキスを落とした。
……こういう時に怒られないの、不思議。
真司くんならきっと、「俺が疲れてんのに呑気に寝てんな」って殴ってた。今にして思えば、随分と理不尽なことで怒られてたな……なんで許せてたんだろ…?
それに比べて、頬を弱く潰したりされながら、ほとんど膝枕状態で可愛がってくれる相手の腰に安心して抱きつく。
「ん〜、かわいいねぇ……寝起きは甘えん坊になっちゃうんだね、優奈ちゃん」
「……昨日、さびしかったから…」
「そっか……ごめんね。さびしかったね」
眠くて思考がぼんやりしてたのもあって素直に気持ちを伝えれば、彼女はまた額や頬に唇を当てて甘やかしてくれた。
「素直な優奈ちゃんはかわいいね」
「いつもは、かわいくない…?」
「そんなことない。…もっとかわいいよって意味だよ。拗ねんのもかわいーね」
面倒くさいようなことを言っても、何度でも「かわいい」と褒めてもらえる。
こんなこと今まで無くて、幸せな気分で瞼を落とした。
樹希さんも寝ようと思ったのか、寝転がって抱き寄せられる。…ちょっと、お酒くさい。
「お酒…飲んできたの?」
「うん。…嫌だった?」
「……へいき」
飲んできたってことは……やっぱり、女の子と会ってたんだな、って。
簡単に分かっちゃうのが、苦しい。せめて隠してくれたら楽なのに。
幸せかと思えば突き落とされて、きっとまた極上の幸せへと運ばれる。……こんなんで、心が保つのか心配になってきた。
「そうだ…優奈ちゃん」
「ん、なぁに…?」
「明日から、しばらく夜に帰れなくなっちゃう。先に伝えとくね」
「え…」
体を軽く起こして樹希さんの方を見たら、彼女は眉を垂らして微笑んでいた。
「ちょっと……ね、うん。色々あってさ」
「……どのくらい、帰ってこないの?」
「うぅん…けっこう。……ごめん、分かんない」
「…そっか」
「週末は特に予定詰まってるから…平日は大学もあるし、優奈ちゃんと過ごす時間減っちゃうかも」
「……大丈夫だよ」
ここでわがままなんて言える性格でもなければ、どこに行くの?誰と会うの?何をするの?って質問攻めすることもできないから、笑顔を浮かべることしかできなかった。
ほら、また。
こうやって落とされる。
気分の浮き沈みが激しすぎて、それなのにしんどすぎる思いを吐き出すこともできなくて、ただただ力なく微笑む。
「…その分、今日はふたりでゆっくり過ごそうね」
「ん……そうする…」
樹希さんの優しさに甘えて、彼女の腕の中へ入り込んだ。
その日は今後の分まで体温を与えてもらって、少しでも寂しくならないように思う存分、幸せなひと時を楽しんだ。
…そういえば、わたしもそろそろ仕事が忙しくなる。
それなら、ちょうどよかったのかな……なんて、無理やりに自分を納得させた。
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