第6話


























 引っ越しするにあたって、平日の帰宅後とか合間をぬって荷造りを始めたところ、元カレとの思い出の品が大量に出てきた。

 付き合って三年も経っていれば当たり前だよね…と冷静に捉えて、彼との思い出に愛着があるわけでもないから捨てようかとも思ったけど、物に罪はないから取っておくことにした。

 アクセサリーとか、また新しく買うのも高いもんね。


「……なんで捨てないの?」


 仕分けしてるわたしの後ろから拗ねた声をかけて抱きついてきた樹希さんは、これまた拗ねた顔で肩に顎を置く。


「こういうの以外でそんなにアクセサリーとか持ってないから……もったいないかな、って…」

「え〜…いいよ、そんなん。新しく買えば」

「そこまでお金持ちでもないから…」

「……せめて、指輪とかは捨てよーよ」


 未だ外していなかった右手の薬指に嵌まった銀色の輪っかを指の腹で触って、不貞腐れた声を出す。


「でもこれ、けっこう気に入ってて…」

「元カレに貰ったから?」

「デザインがかわいいから…です……あと、これは自分で買ったの。だから貰ったやつじゃないよ」

「……自分で?」

「うん。お揃いの物は基本的にわたしが買ってたから…彼に欲しいって頼まれて、それで」


 耳元でため息をつかれて、呆れられちゃったかな…?と少し心配になった。

 樹希さんは何も言わないで指輪を静かに撫でて、また吐息を吐く。しばらく、どう反応したらいいのか不思議な時間が続いた。


「……私以外のやつにいいようにされてんの、ムカつく」


 数分して小さく吐き捨てた後で、樹希さんの唇がうなじの辺りに強く吸いついた。

 こういう時、勘違いしちゃいけない。わたしだけに思ってるわけじゃないのを、知ってるから。期待したら必ず傷付く。

 だから、嬉しく思う感情はひた隠しにした。


「っん、う……あ、そこ…だめ、跡見えちゃう……職場の人に見られたら、困る…から」

「…見えないとこならいい?」

「う……ん、いいよ」


 そんな風に受け入れてしまったら、あっという間に服を脱がされて、ベッドに移動する時間すら惜しい彼女によってその場で跡を残された。

 場所によってはたまにチクリとして痛い時もあったけど、樹希さんのしたいようにしてもらいたかったのと、それはそれで気持ちよくなるようにこの一週間で覚えさせられちゃったから、痛みごと受け入れた。

 樹希さんは思ってた何倍も性欲が強くて、出会ってから今まで…毎日のように誘ってくれる。

 女同士だからなのか終わりが見えない行為は深夜まで続くこともあって、平日の夜に連続それだとたまに行為中、疲れて寝落ちしてしまう時もあった。


「ごめん、優奈ちゃん……今日は少しにするから…していい?」

「うん…いいよ」


 そういう日の翌日の夜は、樹希さんなりに気を使ってくれてるみたいで、控えめなえっちで終わる。


「〜っ…そこ、すき。好き、だから……樹希さん、おねがい…っやめないで」


 それはそれで寂しくなっちゃうから、結局わたしの方から恥を忍んでねだるようなことを言って、結局いつもどちらかが満足するまで終わらない。

 彼女に触れられると、何をどうしてるのか訳が分からないくらい気持ちよくて思考力が落ちるおかげで、普段は考えすぎたり遠慮しすぎて言えない願望も、行為の最中ならすんなり言えたりした。

 わたしのわがままを快く叶えてくれる彼女に甘やかされる日々は、何週間か続いて。

 荷物がまとまって、引っ越し準備が終えた頃には、樹希さんと過ごす夜が当たり前になっていた。


 だけど同じ頃、彼女の鼻の傷はもう跡も残らないくらい綺麗になってしまった。


 怪我が治った、ということは……つまり。


「…今日、帰らないから」

「あ……うん。気を付けてね」


 わたしじゃない誰かのところへ、行ってしまうということである。


 せっかく、先日になってやっと樹希さんの住む2DKの部屋に引っ越してきたというのに、ここに来てから一度も同じベッドで寝てない。

 連日、彼女はどこかへ泊まりに行って……帰ってくるのは次の日の朝昼とかで、夜になればまた家を出ちゃうから、そもそも会うことすらそんなにできてない。

 今までが天国にも思える生活だったから、急に地獄に落とされた気分だった。


「……はぁ、しんどい…」


 わたしがこうやって落ち込んでるこの瞬間も、樹希さんは違う女の子を触ってるのかな……とか、あの優しい声で囁いてるのかなってことばっかり考えちゃって、嫉妬で身も心も焦がしそうになる。

 泣きたい気持ちにもなってくるけど……それはだめ。泣かないって、自分で決めたことだから。


「わたし以外の人に、触らないで…」


 代わりに、本人には伝えられない本心を吐露して、胸の辺りをギュッと掴んだ。

 ……子供じみた嫉妬ばかりしちゃうなんて。

 高校、大学の時と、浮気されてたあの日ですら苦しくて息を止めたくなるほどの痛みは感じなかったのに。


 いつの間に、こんなにも好きになったのかな。


 自覚なく、そして際限なく膨らんでいた恋心は、まるでこの恋が実らないことを痛感させるみたいに心臓を握り潰す。

 今日も、帰ってこないであろう相手の帰りを待ち望んで眠れないなんて愚かだと、自分で自分を罵倒しながらも、その日も深夜が過ぎる頃まで玄関の扉が開くのを待った。


「ただいま〜…」


 結局、樹希さんが帰ってきたのは朝日が登ってきて明るくなった早朝だった。


「…おかえり」


 ちょうど浅い睡眠から目覚めて、仕事前にのんびりお茶でもしようと思っていたわたしは、キッチンでティーカップ片手に出迎えた。


「早起きだね」

「……うん。仕事だから」

「そっか。…家出るまで、一緒にいたいな」


 甘えた声を出して後ろから抱きつかれて、締め付けられて辛くなった心臓の動きをごまかすために微笑を浮かべる。

 その表情のまま振り向けば肩越しに目が合って、顎をそっと押さえられた状態で唇を重ねた。ふわりと香った他人の家の匂いに、僅かばかり心を痛めた。

 ティーカップを落とさないように置いたら、それが合図だったみたいに■を差し込まれる。…なんだか、久しぶりな気がする。深いキスしてくれたの。

 実際には二日、三日しか経ってないのに、この瞬間が待ち遠しくて仕方なかった。


「…仕事、何時から?」

「……8時に、おうち出る」

「今はー……あー、6時か〜…どうしよう。どうしたい?優奈ちゃん」


 答えなんか分かりきっていて、その上でわたしに委ねる意地悪さもまた、物欲しくて切なくなる要因のひとつだった。


「一時間、だけ…」


 樹希さんの腕に手を置いてねだれば、希望を叶えようと動いた顔が近付いて、唇が触れ合った。


「移動する時間もったいないから…ここでいい?」

「う…ん。はや、く…」

「かわいー……そんなに触ってほしかったんだ?」


 それもある、けど……一番は、早く彼女の体温に触れて安心したかった。

 ここにいるんだ…って、今だけはわたしだけの相手なんだって、思い込みたかったから。気持ちよさは、二の次だった。

 だけどこんなこと言ったら、嫉妬深い束縛女って思われちゃう…よね。そうなるのは嫌だったから、言わずに心の中で閉じ込めておく。


「こっち向いて」

「う、うん…」


 言われるがまま、その通りに体勢を変える。

 正面から抱き締めてくれた相手を受け入れたら、さっきも嗅いだ香水か何かの匂いが鼻腔をついた。


「……樹希さん、香水変えた…?」

「変えてないけど……もしかして、くさい?」

「んーん、ごめんなさい。なんでもない。くさくないよ」


 やっぱり、他の子の匂いだよね。

 それなら気付かないふりをしておこう…と、気持ちを切り替えて、ごまかすための笑顔を浮かべて相手からのアクションを待った。

 予想外に、すぐには何もされなくて……少しの間、お互いにただ抱き合ったままの状態で時間は過ぎた。間を置かず触ってくれる樹希さんにしては、珍しい行動だったから戸惑う。


「…優奈ちゃんって、嫉妬とかしないよね」


 やけに、冷めたような声が耳のそばで響いた。


「なんで?」

「え……なんで、って…」


 普通に、狂いそうになるくらいしてるけど……とは、言えないから。


「樹希さんとは、別に……付き合ってるとかじゃ、ないから…」


 そもそも言える資格がないという悲しい事実を自ら口に出して、内心すごい凹んだ。

 でもこれなら、面倒くさい女だとは思われないよね。少なくとも、迷惑にはならないはず。


「……はは、そっか。だよね」


 思った通り気を楽にしてくれたらしい樹希さんは苦笑にも見える笑顔を浮かべて、その後はいつも通り…今回は時間を気にしつつ抱いてくれた。

 キッチンで立ちながらだと、どうしても最高潮に達しにくかったせいで、体のもどかしさはより増しちゃったけど……心は無事に満たされる。


 その日の夜も帰ってこなかったことにも、落ち込まないでいられるくらいには、なんとか気を持ち直した。




















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