第4話
ご飯も済ませて、家に帰ってすぐ。
「うぅ、あ……っは、あぁぅ…」
「……かわいーけど、ここ壁うすいんでしょ?声聞こえちゃうよ、おねーさん」
「ぅんん……ご、ごめんなさ…っこえ、でちゃ…」
「あーあ…我慢できないね、かわいいね。いーよ、そのままもっと聞かせて」
シャワーを浴びる時間も与えられずに、ベッドの上へと押し倒された。
そのままかれこれ一時間くらいは、彼女の手によって翻弄され続けている。今は後ろから抱き締められて、執拗に■■だけを撫でられる……っていうのがもう何分も。
気持よすぎて自分で自分の声を抑えられないなんてことこれまでなかったから、戸惑いながらも必死で口元を覆って声を殺した。
それでも、鼻の奥の方から吐息と一緒に抜けていってしまう。
「…それ、苦しくない?」
「っは……ぅ、へ…へいき…」
「……キスしたいから、こっち向いて」
口元にあった手を掴み持って、お願いされた通り肩越しに振り向いたわたしの唇を、ふんわりとキスで塞いでくれた。
こういう、ところ……
些細なことひとつひとつに思いやりを感じるたびに、体は温度を上げていく。仮初めの優しさかもしれなくても、嬉しかった。
たとえ行為中だけだったとしても、たった一瞬だけでも、心は歓喜に満ち溢れる。
だけど、欲張りな気持ちも同時に湧いた。
「いつき、さん…」
「ん…?なーに、おねーさん」
「名前、呼んで……ほしい」
手を後ろの方に回して彼女の髪を撫でながらお願いしたら、すぐそばにあった口元が小さな笑みを浮かべる。
「かわいい……優奈さん」
ただ名前を呼ばれて浅いキスをしてもらえただけのことなのに、特大の満足感が全身を包んで、ぶるりと肌の上に刺激が走った。
どんどん、ズブズブと沈んでいく。
何回、何十回と、きっとどれだけ体を重ねても付き合えない。彼女はわたしのものにはならない。他の子にも同じようにしてる、と。脳内で言い聞かせてみても、その脳みそごと溶かされる。
出会ってまだ数日も経ってない……とか、そういうのもどうだってよくなるくらいには、すでに深いとこまで心奪われはじめていた。
「体の相性、いいのかな〜…」
行為が終わって少しして、天井に伸ばした自分の手を眺めながら樹希さんが静かに呟いた。
「女の人同士でも……相性ってあるの…?」
「んーーー……あるよ。触ってて興奮できない相手も、たまにいるからさ。それでもみんなかわいいけどね」
「そうなんだ…」
「でも、おねーさん相手だと猿みたいに興奮するから、多分私ら相性いーよ」
無邪気にも見える笑顔を向けてくれた彼女に、わたしも小さく微笑み返した。
……そうやって、他の人の心も掴んでるのかな。
いわゆる女性を口説くための常套句なんだろうと思うと、素直に喜べない自分がいた。…わたしだけがいいとか思っちゃうなんて、どうかしてる。
「…いつから、女の人が好きなの?」
興味本位で聞いてみたら、樹希さんは何を思ったのか苦笑した。
「生まれた時から」
特別、驚きはなかった。…なんとなく、そんな感じはしてたから。
「いつから……今みたいなことしてるの?」
遠回しに、ヒモになった経緯を聞いてしまう。
さすがに答えづらいことだったみたいで、しばらくの間、樹希さんは天井を見上げて黙った。
「……好きな人が、いたんだよね」
遠い過去を思い馳せているのか、どこか情緒的で掠れた声で答えてくれた。
そこから、ぽつりぽつりと樹希さんは思い出話を始めた。
彼女が初めて女性を抱いたのは高校一年生の頃。
相手は、当時好きだった二個上の先輩だったらしい。
⸺以下、回想⸺
同じ高校の、バスケ部で知り合った⸺玲奈先輩には高一の頃から付き合ってる彼氏がいた。
周りも親も公認の彼氏とは「将来、結婚するかも」と言えちゃうくらいには仲が良くて、順風満帆そうだった。
玲奈先輩は顔も面倒見も良かったから、出会ってわりとすぐくらいに惚れていた自分の恋は、その時点で失恋が確定してた。
だから普通に、ただの後輩くらいの関係で仲良くしてた。もちろん、彼女の恋路を応援したりもしてたから、その過程で悩みを聞かされることもあった。
『…浮気されてるかも』
玲奈先輩の悩みは、いつも似たようなことだった。
『あー……そん時はそん時っすよ。そうなっても他にいい男いますって、先輩なら』
『……普通、こういう時は嘘でも“浮気なんかしてない、大丈夫”とかって言うもんだよ。バカ樹希』
その時の私は恋愛経験もなかったから、慰め方も話の聞き方も、何もかも下手くそで……その度に、よく怒られては小突かれていた。
女心なんて、分かるはずもなかった。
だけど、それでも彼女は毎日のように相談しに来ては、いつも同じ不安を抱えて、時には涙を流すこともあった。
『他の子と連絡取ってたの。浮気だったら、どうしよう…』
『…大丈夫ですよ、先輩。きっと浮気なんてしてない』
『……成長したね』
『ははっ、仕込まれてきたんで』
半年も経てば、だいぶ扱いにも慣れてきた。
たまに慰めるフリをして抱き締めても、先輩は嫌がらなかった。…そのせいもあって、服越しに体温が触れただけで、密かに抱えていた恋心は膨らみを増していった。
同時に、恋に悩む女の子は……こんなにも繊細で儚くて可愛いんだということを、知ってしまった。
ただ話を聞いて、時々ちょっと抱き締め合うだけ。
今にして思えば……私にしては、随分と純情な日々を過ごしていたと思う。
それも、唐突に終わりを告げた。
『彼、浮気…してたの』
不安要素を口にするだけだった彼女はある日、卒業を目前にして確信を持ってそう言ってきた。
『あ……そ、そう…なんすね』
いつもならうまいこと慰められる、慰めてきたはずの私も、突然のことに頭を白くして気の利いたことなんてなにひとつ言えなかった。
聞けば、彼女が疑念を抱いてる間ずっと、彼氏は本当に浮気をしていたらしい。
泣いて悩む日もあった玲奈先輩はその日、涙すら流していなかった。乾ききった瞳を見て、私はさらに慰めるための言葉をなくした。
頭では、「どうしたら笑ってくれるんだろ?」と、それしか考えられなくて、とにかく明るい顔を見たかった。なんでもいいから笑顔にさせたかった。
でも、戸惑いすぎて自分から声をかけることはできなかった。
『……慰めてよ』
『え。あ……うぅん、そうっすねー…とりあえず元気出して。ファイトっす』
『へたくそ』
『っし、仕方ないじゃないですか。私バカなんで…こんな時、なんて言ったらいいかなんて分かんないですよ』
『こういう時は、何も言わずに抱き締めてよ』
『お、おぉ……なるほど』
その手があったか、と。
彼女の体を抱き寄せた後は……気が付けば、言葉もないまま、甘えられるまま、ねだられるままに行為は始まっていた。
不思議なことに、女の人の体に触るのは、教わらなくてもすんなり分かった。相手の反応を見ていれば、何を望んでるのかえっちの時だけはなんとなく理解できた。
失恋した女性を慰める時、言葉は要らないことを知った。
『……付き合おうとか、言わないの?』
事後になって、ありがたいことに先輩の方から言ってもらえた。
『んー……言わないっす』
『なんで?』
『…結婚するのが、夢なんでしょ?』
だけど、私は迷うことなく断った。
『それなら女の私じゃなくて、素敵な男性と結婚して幸せになってください』
もちろんこの時に言ったことも本心だったけど…もっと深いところの理由は、違った。
この時に断った一番の理由は、自分が玲奈先輩に恋をしてたんじゃなくて、恋に悩む女の子に恋をしてただけなんだってことに、気付いたからだ。
そしてなにより、失恋を乗り越えて見せてくれる晴れやかな笑顔は可愛くて仕方がないと⸺卒業してから新しく彼氏ができて、それを報告してくれた先輩の姿を見て思った。
⸺⸺⸺
「そこから、泣いてる女の子を見ると笑顔にさせたくなって……気付いたら、ヒモになってた」
話してる本人が“おかしい”と言わんばかりにカラカラ笑った。
「…手の届く範囲の女の子にはみんな、一瞬でも幸せを感じてほしくて、それで笑顔になったとこ見たくて……ほんとにただ、それだけで」
今度はどこか寂しい顔で呟いた。
その表情の中にどんな感情が含まれてるのか…わたしには分からなかったけど、彼女の繊細な内面を見れた気がした。単純な頭は、知らなかった部分を知れたことに嬉しさを覚える。
「お金とか、別にいらないけど……受け取ったら、喜んでくれるし、ありがたいことに変わりはないからさ。普通に貰えるもんは貰ってるって感じ」
「そうなんだ…」
もしかしたら全然クズなんかじゃなくて、本当はただ優しいだけの人なんじゃないかって、都合のいいように解釈してしまうバカな自分もいた。
これが良くないのかもしれないけど、わたしにはどうしてもひどい人には思えなくて。実際に心救われたことも、あったから。
ただ、樹希さんはこれまで色んな女の子から“クズ”や“クソ”と言われてきたんだろう。
「これが職業なら、まじ天職って思うけど……結果的に私が泣かせちゃうの、本末転倒だよね。だからまぁ、最低って言われても……仕方ないよ」
「…わたしはまだ、泣いてないよ」
きっと誰よりも相手思いな彼女の中に自虐が含まれていることが、嫌で。
「この先も、泣かない」
もうすでに、自分でもどうして溢れてくるのか分からない涙を堪えて精一杯そう伝えたら、僅かに驚いた顔をして樹希さんはわたしを見つめた。
「だから大丈夫。樹希さんは、樹希さんのままでいて…?」
動揺した瞳が泳ぐ。
だけどそれも、すぐに長いまつ毛が降りて隠された。
「ははっ……やっぱり、いい女だった」
砕けた笑顔を見せてくれた彼女は、初めて見るような晴れやかな顔をしていた。
「こんなヒモにそんなこと言うの、おねーさんくらいだよ」
「ほ、本当にそう思ったから…」
「……私に何されても、泣かないって言うならさ」
こんな時でも性欲が勝っちゃうみたいで、体勢を変えてわたしの方を向いた彼女の手が胸元に置かれる。
その行動だけで、言われずとも「またしたいのかな」って察したけど、わたしの意思を確認する前に樹希さんは唇を奪ってする気満々で体の上へと覆い被さった。
「きもちよすぎて泣いちゃうのも、ナシだよ」
体ばかりの関係は、あんまり好ましくない……というか、ちょっとだけ虚しくなっちゃうんだけど。
「うん…泣かないようにがんばる」
「かわいー……そう言われると泣かせたいな。いじめたくなっちゃう」
「ひどくしても、いいよ?樹希さんが、そうしたいなら…」
「…しないよ。痛いのは、怖いからね」
頭を撫でられながら額や唇にキスを落とされたら、今のわたしには……これだけで何よりも幸せなことだと、噛みしめるようにそう感じた。
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