第18話 来日の調子者
「むぅ…」
「何をそんな怒っているんだ。」
次の日の朝、ありがたくソファで眠らせていただいた俺は、不機嫌な彼女に起こされその対応に迫られていた。
「失念していました…まさか私が眠るのを見計らってソファ移動するとは…」
「別に俺と寝たかったわけでもなかろう。何も問題ないじゃないか。それとも何かこんな朝方に仕掛ける予定でもあったのか?」
彼女に起こされたと言ってもそれはただの起床では無い。時刻はまだ5時。起きるには早すぎる時間である。
そんな時間にわざわざ文句を言うためだけに起こすことなどあるのだろうか。これがカップルや既婚者であるなら不仲や夜遊びを疑ってこの時間に問い詰められてもおかしくは無いが、俺らは別に何の関係もないただの友人である。
「いえ、ただ昨日はあそこまで私が積極的な姿勢をお見せしましたのに随分と冷たいでは無いですか…と思いまして。いてもたってもいられなくなりました。」
「それは悪かったな。」
俺は軽く謝ってもう一度目を閉じた。まだ朝の五時、元々の予定だと起きるのは六時半。あと一時間半も寝れるでは無いか。
そんなの寝るに越したことはない。ベッドも最高だったのだが、このソファも余裕で寝れるくらいに柔らかくて気持ちが良いのだ。
「そうはさせません。起きてください凪紗さん。」
衣織さんはそういうと俺の掛け布団をバサッと俺の身から剥ぎ取り、冷え込む朝のホテルの空気で俺の意識を覚まさせる。
そして何を思ったのか、仰向けになって寝転がっている俺のスネに堂々と座った。
「痛い痛い痛いっ!な、なになにをしてるんだあんたは!?」
「おかしいですね、このソファ、ソファにしては硬いですし喋るのですね。飛び込んでみたらどのような反応を見せてくれるのでしょうか…」
「わかったわかった!申し訳なかった!だからこれ以上変なことはするな!」
俺が足を引いてソファから起き上がると「次はありません」と言って衣織さんはドレッシングルームに入り準備を始めた。
それはつまり俺にも早く準備して行くぞという合図であり、これ以上変に怒らせるのも面倒だなと思ったので、俺も直ぐにスーツケースの元に向かって今日の服に着替え、歯を磨き、顔を洗って髪を整えて出かける準備を完了した。
俺はリュックだけを背負って玄関で待っていると、昨日と違うちゃんとお洒落したんだろうなと思わせられる服装で登場し、髪の毛も左肩に下げている。
「それでは行きましょう。」
「お、おう。」
さっきまでのお怒りの雰囲気はどこに行ったのか。その感情を押えているのかはたまた既に気持ちを切り替えているのか全くもって分からない。
これが女性の恐ろしさというものなのだろうか、この後どのように彼女と接するかに非常に困る。
衣織さんの方から接触してきたらそのテンションを見計らって対応を変えるとしよう。それまでは何とか最低限のやり取りでその場を凌ぐとするか。
ホテルのエントランスを出ると、正面に黒塗りの高級車が待っているので、彼女を先に乗せて、それに続くように俺も乗る。
一日目は鶴仙渓や山中温泉の温泉街、いわゆる加賀温泉郷を巡る予定である。
この時期この地域は雪を被り辺り一面が銀世界となっており、古風な景色と温泉エリアながらの渓谷景色やら雪化粧やらを堪能することが出来る。
しかしどこも雪が深く、俺一人ならともかく衣織さんが危ないのでホテルが車を出してくれた。
車は雪をかき分けて山の方へと登っていく。温泉街のメインストリートではあるものの早朝ということもあり、まだ交通量の少ないために雪が除雪されきっていないのだ。
押し分ける雪が粉のように側面の窓ガラスに舞い上がり、かなり迫力のある景色を見ることが出来た。
しかしそんな景色を見ることが出来たのはものの数分。目的の鶴仙渓の遊歩道入口に到着した。この付近には鶴仙渓の眺望広場や湯気街道なるものなが存在し、眺望広場はそのままの通り美しい渓谷の四季を目にすることが出来る広場であり、フェンスの手前にはローマ字でYAMANAKAの看板が立っている。
ちなみに補足すると、山中のスペルの中にMがあると思うのだが、そのMだけは看板がなく、訪れたお二人で手を繋いでMの形を作って山中の文字を完成させて記念撮影なんて言う人によっては粋であり、絶望でもある名所になっている。
今回はここをしれっと通り過ぎる予定である。
「「ありがとうございました。」」
運転士さんに感謝を伝えて車を下りる。
俺のブーツがふかふかと雪をキャッチして滑らせることを許さない。彼女はと言うと俺のものより幾段も高級そうである革製のブーツで注意をすること無く俺の隣をサクサクと進んでいく。
靴の性能を信用しているのか、それともただただ雪道の怖さを知らないのか、もしくはただの命知らずなのか分からないが、とにかく見ていてハラハラするので俺は彼女より少し後ろに位置する事にした。
この遊歩道は渓谷の木々に囲まれた石畳の道を進んでいくもので、その先に有名な橋が現れる。そこから見える白く輝く木々と青い小川が撮影スポットとしても有名なのだ。
そしてこの小川、大聖寺川の、縁を歩いて元いた山中温泉の温泉街に戻ることが出来る。
その途中道にも観光名所が並んでおり休日の昼であれば混雑を見せ撮影などもままならないのである。
しかし今回は早朝により歩いてる人もまばらであるので非常にラッキーである。
「初めて深雪の中を歩きましたがとても不思議な感覚ですね。まるで幼い頃、布団から溢れ出た大量の綿や羽毛を踏んでいた時のようです。」
「随分と昔はやんちゃだったんだな。」
「お恥ずかしながら。」
幼い頃に布団の中身をばら撒くなんて、どう考えてもハサミで布団を切って中身を知りたがったか、怒りに身を任せて布団に当たって破いてしまったかのどちらかだ。
「私、今まで生きていた中で一度だけ本当に心から怒ったことがあります。しかしその時の私にはどうすることも出来ずに、ものに当たってしまっていた時期がありました。毛布を引き裂いたのはその時の事です。」
「衣織さんでもキレることはあるんだな。まぁ今日の朝───いや、なんでもない。」
俺は危うく自ら地雷を踏んで爆発するところだったのをギリギリで踏みとどまった。
「何か言いたいことがあるそうですが聞かなかったことにしておきましょう。」
どうやら公共の面前において怒られることは無いそうだ。
こんな感じで少々のトラブルがありつつも、俺らはゆっくり歩みを進めて最初の名所に到着した…のだが……
「あれ…?ナギ?ナギ!!久しぶりナギ!!」
真っ白な髪の毛と真っ黒な着物を来ていたから絶景である背景と同化して気が付かなかった。
「うわ、やべ。」
「ちょっ!?凪紗さん!?」
俺は無意識に衣織さんの手を掴んで何事も無かったかのようにその先客の横を通り抜けようとしたが、既に時は遅かった……
俺のもう片方の腕をギチッと捕まれ、身を寄せるようにして俺を離さない。
これだから嫌なんだよ……
「ナギは酷い。小雪の顔を見てうわっ!?とかやべっ!?とか言って逃げるのはよくない!!」
「凪紗さん、こちらの異国の方はお知り合いでしょうか?随分と仲がよろしいように感じるのですが……」
それだけは全くの誤解である。
あぁ、なんて偶然であり不幸なんだ……
困惑する衣織さんの横で俺は静かに絶望し、雪降る曇り空を仰いだのであった。
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