第16話 純白の味覚

脱衣所に向かうと、準備していなかったはずの寝間着が俺の棚の中に置いてあった。そしてカゴの横には冷えたコーヒー牛乳。


急に湯船に入ってきたお詫びのつもりなのだろうか。まぁ、それなら有難く頂くとしよう。


身体をバスタオルで拭き、下着類を着て、寝間着である浴衣を身に纏う。まだ使われたばかりの熱を持ったドライヤーを手に持ち、コンセントを差し込んで熱風を髪の毛に当てる。


男にしては少々長い俺の髪の毛は、自然乾燥では乾くのに時間がかかるため、いつもドライヤーを使っている。


手で髪の毛を解きながら風を送り、完全に髪の毛に湿気が無くなったらボタンをオフにし、コンセントを抜いて、コードを持ち手のところにグルグルと巻き付ける。


そして完全に寝れる格好になってから、コーヒー牛乳という至福の一杯をグビっと飲み干す。


「ふぁぁ…」


最高だ。


空き瓶を瓶ケースに差し込む。


既に一本飲まれている痕跡があるのを見ると、きっと彼女もコーヒー牛乳を飲んだのだろう。


ちなみにお風呂上がりはコーヒー牛乳派とフルーツ牛乳派なるものが存在するそうだが、俺はどっちも好きである。


脱衣所のドアを開けると、既に広々としたテーブルの上に豪華な料理が並んでいた。


それは北陸を代表する主役級の和食達がまるで代表グループかのように陣取っており、俺の目の据え所を悩ませる。


能登半島の名物であるイカの、そして富山の鱒寿司、福井の越前蟹、それらの有名料理や有名材料を使った様々な一品が所狭しと並んでいる。


そして縁起のいい紅白が目立つのもまた北陸の美味な和食の特徴の一つである。


白米は白く輝き、イカの刺身は天井が反射するくらいに表面がつやつや。蟹はあの細い節のどこから出てきたのか疑いたくなるくらいに身が厚く、ますの寿司も今まで駅で買って食べていた鱒寿司の駅弁の魚の2倍以上の厚さがあった。またその鱒の筋も綺麗な曲線美を描いており食欲をそそる。


何から食べるか迷ってしまう。


「凪紗さんが身支度を整えているうちに料理を運んで頂きました。凪紗さんも既に食事をできる状態でしょうし、早速席に着いて頂きましょう。」


脱衣所から見て奥側の座布団に正座で座って待っていた彼女も俺と同じように、目の前の食事を早く堪能したい模様。


それは俺も同様なので埃を立てぬよう静かに手前の座布団に腰を下ろして手を合わせる。


「「いただきます。」」


俺はまずますの寿司から頂くことにした。


口に運ぶと、酢飯が思ったより酸味が少なく、出汁の香りとほのかな甘みが口の中に広がり、マスの弾力あるツヤツヤな身と共に噛み締めると、マスの軽やかな脂と共に米が交わり溶けてゆく。


鼻を抜ける後味も非常に上品であり、いつまでも口の中に留めておきたくなる。


しかしそうはいかない。目の前には今食べた鱒寿司と同ランクの主人公たちが肩を並べている。俺はそれを食さぬ訳には行かない。


ツヤツヤのイカを刺身醤油につけて頂けば、最初に感じる無味を醤油の甘さとしょっぱさが白米を掻き込む衝動を駆らせる。そして以下を噛めば噛むほど最初には無かった深いイカ本来の甘みが増してくる。それがまたいつまでも噛んでいたくなるものなのだ。


蟹にいたっては、噛むと濃い。とにかく濃い。密度の高い蟹が噛めば噛む分だけその感動が心を満たす。ポン酢でも醤油でもお出汁煮付けてもよし。その甘くて解れるような身が口の中から綿菓子のように消えていってしまう事に悲しさすら覚えてしまう。


味噌汁もこの蟹のダシが効いており、カニそのままの味と風味に負けていない。


『あぁ、ここに来れて良かった。』


と、心からそう思った瞬間だった。あんな事をさせられたんだ。確かに十分な見返りである。


栄婦人は前の湯葉での一件以降、俺は何をされても食事があれば何かと満足させられるとでも思われているのだろうか。


そのように思われているのであれば非常に納得いかない気持ちではあるが、現状こうして最高の食事にありつけている現状には満足である。


彼女も数ある料理を少量づつ小皿に盛り分けて、所作美しく口の方へと運んでいる。


噛む回数をみると、彼女からしても相当に美味な食事なのだろう。


それに同じものを何度も何度もさらに取り分けては口へと運んでいる。


俺も負けじと菜箸でさらに盛り分けてツヤツヤな白米と共に頂く。


気がつけば机上の皿は全て空となり、従業員さんが空き皿を持って行ってくれた。


「「ご馳走様でした。」」


とても満足だ。


しかし目の前には空き皿を回収した従業員さんが持ってきた漆で塗られた深皿が置いてあった。


その皿の中には小さな和紙で包まれた謎の菓子と、非常に和風な柄の小箱。


「少々お待ちください。」


彼女はその皿と中身を見て、部屋のテレビ横に置いてあるアメニティコーナーに向かい、茶葉を取り出した。そしてポットに入った熱湯を茶葉の入った急須に注ぎ蓋をする。


俺はそれを見て、『食後のお茶の時間というわけか』と悟り、湯呑みを取り出してそれぞれのテーブルの上に置いた。


「ありがとうございます。それでは失礼しますね。」


彼女は俺の横から綺麗な透き通った茶を湯のみに注ぎ込んだ。


彼女の腕がいいのか、それとも急須や茶葉が良いのかは俺にはよく分からないのだが、少なくとも今まで入れられた急須の茶の中で一番澄んでいるのに加え、茶葉が混入していない。


「上手いな。」


手馴れた仕草に思わず口から賛辞がこぼれてしまった。彼女のような箱入り娘が茶を入れられるとは思っても無かった。もしかしたら今回こそ茶を立ててはいないが、茶道などを習わされていたのだろうか。


「それはこの茶葉が加賀棒茶と呼ばれるこの地域特有───」


「いや、俺が言いたかったのは衣織さんの腕の方だ。こんなに茶葉が混入せず透き通った急須の茶を見た事がない。」


彼女は俺が加賀棒茶の味について言及したとでも思ったのか、お茶の解説をし始めたのだが俺が褒めたのは違う上手いだ。


褒め言葉を交わされるのはこんなにも恥ずかしいものなのだな。


新幹線で俺に賛辞を買わされた彼女に少々同情と申し訳なさが込み上げてきた。


「それはきっと私の腕ではなく、急須と茶葉が良かったのでしょう。」


もういい。この辺で諦めよう。彼女が真面目であることを忘れていた。なかなか俺は人のことを褒めることが無いので、こうして堂々と人を褒める事が恥ずかしい。


それに褒めると調子に乗って何かしでかす輩しか俺の周りにはいなかったからな。特に蒼真とか、中学の頃の後輩とか、あいつとか。


そういえば中学の頃の後輩はどこに行ったのだろうか。まぁ、そんなに賢くはなかったし、バリバリの体育会系のやつだったから高校は違うだろう。そしてアイツは…うーん…きっとヨーロッパかアメリカ辺にいるんだろう。正直二人とも会う事は無いだろう。


お茶を飲んでゆっくりとした時を過ごすと少々物思いにふけるものだ。


目の前の衣織さんは俺の事を見つめているようで遠くを見つめている。


きっとなにか考え事でもしているのだろう。


俺は茶のお供に漆皿に手を伸ばした。まず俺が目に付けたのは、謎の小箱だ。


中身を見てみると(薄氷)と書かれた紙が出てきて、長方形や台形の薄く白い板が並んでいた。それを手前のティーカップ程の小さな皿に移していただく。


歯でパリッと力もなく砕けると密度の高い滑らかな甘みが舌の上でとろけて、甘味だけを残して消えていく。


俺は自然に彼女がいれたお茶を口に運んでそれを流し込んでいた。


舌に未だに残る微かな甘味はそれはそれは心地よいものであり、和菓子の楽しみ方を一つ知った。


薄氷という富山銘菓を知ってはいたが、いざ口にするのは初めてだ。今まで幾度も富山を通ってきて、通過してきてしまったことが非常に惜しい。


そして次に小さな小包を手に取り、文字を見ると羽二重餅と書かれていた。これまた俺は名前だけ知っているもので、福井の銘菓では無かっただろうか。


袋を開けて小皿に移し、今度は菓子切りで一口に分けていただく。


「甘い…」


彼女も同時に頂いたのか、甘いという感想が最初に飛び出した。


実際彼女の言うように口の中に入った瞬間は粉でサラサラしているのだが、少しすると甘味を含んだ餅が口の中にのこる。


これまたお茶を頂きたくなる一品で、薄氷とは違ったお茶と一緒に飲み込んで甘味を楽しむ和菓子なのだろうか。これまた福井県に今まで何度も踏み入れてきたが、結局何もせずに近年通過していなかったことをか悔やまれる結果となった。


母さんへのお土産は薄氷と羽二重餅にしよう。


俺の土産はこれで決まりだ。


部屋にかけられた時計の針は、既に11時半を示していた。


俺と彼女は菓子を片付けて歯を磨き、寝る準備を始めたのであった。






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ここまで読んでくださりありがとうございます。


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作中ではこれらの料理が旅館で出てきていますが、実際はその都道府県の商店街や老舗でいただくことが出来ます。


ぜひ旅行の際は飲食や和菓子店などを調べて行ってみてはいかがでしょうか。

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