第15話 夜の風


「わっ。」


「うわっ!?」


俺は目を閉じていた中、いきなり肩を叩かれて思いっきり声を出して驚いてしまった。ってか何で彼女がここにいるんだよ!?


俺の肩を叩いたのは言わずもがな衣織さんである。あの冗談は結局冗談などではなく予告だったのか…


時計を見るとまだ9時27分。


幸い彼女はバスタオルで大事な所を隠しているし、俺もタオルを腰に巻いていた。ここの温泉は個室風呂のため、周りに配慮する必要がない。つまりタオルを体にまとっていても問題ないのだ。


だから俺は彼女の冗談発言に一抹の不安を抱えていたので予めタオルで局部を隠すように巻いていたのだ。


よかった…タオル巻いておいて…


「驚きましたか?」


「驚いたも何も…あのなぁ…」


俺は片手で頭を抱える。


どうやら最悪の中での最悪の事態は免れたようだ。しかし最悪の状況であることには変わりない。


そうか。これはきっとなにかの間違いなのだ。


俺は静かに立ち上がり、隣の石畳の方の温泉に移ろうと立ち上がると、彼女は俺の腕を思ったより強い握力でがっちりと掴んで離さない。


「どういうつもりだ?」


「どうもこうもありますでしょうか。ここでお話をしましょうと言っているのです。」


そういうことじゃないんだけどなぁ…と言いたいところなのだが、彼女は至って真面目な雰囲気だ。


彼女は真っ直ぐな視線で俺を見つめる。このままではどうにもならない。俺は大人しく流れに身を任せ、堂々と正面から直視出来ずに半身で会話をする。


「衣織さんはいいのか?出会って一ヶ月の男に肌を見せるんだぞ?」


「私は別に構いません。」


そこまで真に迫って言われてしまえば断る理由が俺には無い。「キャー」なんて言って逃げるのも男としてあまりにも情けないし、女性の方が根性があると思われるのは男としてどうしようもない気持ちになる。


「しょうがない。」


「わがままばかり申し訳ありません。」


ほんとだよ。俺は本心から言ってしまえばここから逃げ出して、もうひとつの湯船でゆっくりと休みたいのだから。


「そんなに堅苦しい格好をせずゆっくりとリラックスできる体勢でお話しましょう。」


誰のせいでリラックス出来てないと思ってるんだ!!なんてツッコミはきっと彼女に届くことは無いだろう。


「…そっちがそう言うならそうさせてもらおう。」


まぁ、正直檜風呂をもう少し堪能したい気持ちではあったからな。


「親密な関係になるには裸の付き合いだとお母様に迫られましたものですから。」


「やっぱりあのお方のせいか!」


『いいかしら衣織。人と仲良くなるために一番手っ取り早く、かつ効率的なのは裸の付き合いよ。湯船に浸かりながらその人となりや本心をさらけ出し合うのよ。』なんて吹き込んでいる姿が容易に想像できる。そしてその言葉に『はい、分かりましたお母様。』と、何も疑わずにすぐ信じてしまう衣織さんの姿もまた容易に想像できる。


「そういうお話は私も何度か耳にしたことがあったので経験できて良かったと思います。」


「それは同性の話だ!特に男同士!」


「そうなんですね。でも凪紗さんも普通にこうして私と話せているではありませんか。」


「それはあんたが冷静すぎて突っ込まざるを得ないだけだ!!」


栄婦人に変な風に吹き込まれたせいで常識のない衣織さんがこんなことをさせられてしまったではないか…


もう後のことは考えん。栄婦人に合わせる顔が無いも何も、現況があの人であれば俺はもはやなんの配慮もしてやらんからな。


しかし、たとえ栄婦人に言われて来たとしても、わざわざ俺のところに来て、逃げ出す俺を捕まえてまで話したかったこととは一体何なのだろうか。


俺は問いかけてみると彼女は顎に手をかざすようにして思い出す素振りを見せる。


「そうです。私が話そうと思ったのは金沢駅を降りた時のことです…」


彼女のこの話し出しで俺は背筋に冷気が走った。


そうか、彼女の耳に入っていたのか。俺はこの一瞬で彼女に対して非常に申し訳ない気持ちになった。


彼女の言う金沢駅を降りた時の俺の言葉とは、「それを言うなら衣織さんは真面目だな。」と、身分故にその性格は危険であると、暗に伝えたものである。


その言葉が実際彼女にどう解釈されたのか俺には分からない。


「凪紗さんは私のことを真面目だと仰りました。そしてその言葉がどう言った意味で凪紗さんから放たれたのかを考えていました。」


やはり金沢から加賀温泉までの15分間の沈黙は決して偶然だったのではなく、彼女なりにこの言葉の真意を考えていたのだ。して、彼女自身でどのような結論に至ったのだろうか。


「私はその通りだとその時思いました。」


この言葉と同時に彼女は俺の目を真っ直ぐ見つめる。


「私は本を読み、映像を視聴し、音楽を聴き、勉学に励む事で全てを理解したと思っていました。しかし実際私は何も知りませんでした。それこそ上げればあげるほど限がありません。ものごとの表面だけを知ったつもりでいました。


結論には全て過程が存在し、その過程を知る事が結論であると知りました。


それを気づかせてくださった凪紗さんには日々頭の上がらぬ思いにございます。」


俺は頭を下げる彼女の言葉に大きく首を横に振った。


「きっとそれは偶然だ。気づけたのは衣織さん自身の閃であり俺はただただいつも通りの生活をしただけだ。貴女が来たからと言ってこれといった特別な事はしていないさ。」


俺は本当に何もしていないのだ。ただそこに衣織さんというイレギュラーが現れただけであり、していることは普段と何も変わらない。家に帰って勉強し、猫と戯れ、学校に行き、友達と語り合い、そして帰る。休日には旅行をし、全国各地を見て回る。


ただそれに彼女が着いてきているだけで俺は彼女に何もしていない。


「それに感謝をしているのです。」


ここまで言っても感謝されてしまうということは、彼女は本当に真面目な性格なのだろう。正直どう言っても感謝される未来しか見えないので、ここからは俺が彼女にどういう意味で真面目だと言ったのか。そっちの方向に話をそらすことにした。


「確かに真面目という面で真意を見抜けなかった事が俺といることで解決に向かったのなら良かった。結果論だけどな。しかしな、俺が言いたかったのはそういうことでは無いんだ。これは仮定の話だ。」


彼女は首を少し傾げた。


「あんたは真面目だ。それは何事においてもだ。勉学についても、運動についても、そして人間関係についてもだ。」


「はい。全てのことに真摯に向き合うことが私のモットーですから。」


「そうなのか。」


衣織さんのモットーって、真面目に生きることだったのか。それなら納得…って違う違う。俺が言いたいのはそういうことじゃない。


「ってそうじゃなくてだな。あんたと俺らはそもそも社会において立つ位置が違うんだ。それはあなた方栄家がうちの家族を上手く利用しているという構図を見れば簡単にわかる。」


「利用しているかどうかはさておき、梅田家には日々お世話になっております。」


そう。そこが問題なのだ。お世話になってるだなんて俺らの家に譲歩などしてはいけないのだ。あくまでも利用されているのは梅田家であろうが表面上は貸し借りの関係なのだ。


つまりビジネスパートナーであって、何かあれば、もしくは利益が見込めないとなれば無心でスパッと関係が切れるような人で無ければこの先を栄光なる栄家の後継として生きていくことが出来ないだろう。


それこそ今ですらなんの生産性もない梅田家に情を感じているようでは尚更だ。俺という旅仲間がいなければ既にスパッと切られていたことだろう。そして俺は安寧の日々を過ごしていけたはずだ。


しかし今でもこうして関係があるということは、彼女が俺に助けて貰った恩を忘れていないからである。


「あんたは今のままだと俺を切れない。それこそお世話になった友人という認識を持ったまま貴女に新たな婚約者ができたとしても、きっと貴女は俺という友人のために時間を割いてしまうだろう。それはきっと、いや、確実に栄家の為にならない。そしてきっとこのような混浴の事実もいずれの貴女の結婚に大きく関わる問題にならないとも限らない。」


「つまり、私にもっと無慈悲な人間になれとおっしゃるのですか?」


「衣織さんが栄家の人間でい続けるならばの話だがな。」


「…」


俺の勝手な持論に彼女は沈黙で返した。


少々強く言いすぎたであろうか。しかし彼女と俺とでは身分が違いすぎる。礼儀も、使う言葉も、食べる物も、食べ方も、生き方全てが違いすぎる。


しかしこれでいいのだ。ここまで強く言えばきっと俺との縁を切る事だろう。それがいずれ彼女と俺の幸せにつながっていくのだ。


ジョボジョボジョボと温泉に新たな湯が入っていく音だけがこの空間にこだまする。


俺のお節介なお話に衣織さんは少々沈黙を続けていたが、急に「ふふっ」と小さく笑みをこぼした。俺は「なんか俺変なこと言ったか?」と彼女に問いかけてみようと思ったが、その言葉を言う前に彼女が口を開いて話し始めた。


「それなら何も問題ありません。凪紗さんの懸念は全て杞憂となる事でしょう。なんなら今私が貴方に生まれたままの姿をお見せして抱きつくことだってできるのです。」


「ちょっ!?何を言って───」


「栄家を見くびらないで欲しいものです。私はもう既に…」


彼女は最後の言葉をためにためて立ち上がりドアの前まで歩いていく。そしてドアを開けると同時に俺の方へと振り返り静かな声でこう告げた。


「私は既に、無慈悲です。」


つまりは結局俺の発現などなにも意味をなしてなかったというわけだろうか。


一体何が言いたいんだ。


何もわからん。


「あ〜〜〜…マジでなんなんだ。」


きっと俺はこの夜眠ることは出来ないだろう。それは今度はオレが彼女発言の真意について深く深く考えねばならないから。


彼女の最後の語り出しの時、『なんだ、そんなことか』と言わんばかりの呆気に取られた表情に俺は続く言葉もなかった。


俺が20分彼女を考えさせた結果、俺は彼女に一晩中考えさせられる結果となったわけだ。


何かすれば何倍にもなって帰ってくる。


そうだ。わすれてはいけない、栄家の奴らはそういう奴だった。


結局俺はどこまで行っても彼女達の掌の上でコロコロか。


「あ〜……」


情けない負けた男の低いため息がこの自然の中に響いた。


視界が歪んできた。


それはきっと逆上せたせいだ。


俺はそろそろ脱衣所に行っても良い時間帯であると踏んで、湯船から立ち上がりドアを開けた。


風呂上がりのコーヒー牛乳は最高だった。


この一日はそれに尽きたのであった。





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