第13話 人の価値観
駅の目の前に広がる、木でできた池のあるオシャレな商業施設は軽井沢のアウトレットモール。
この一帯は夏には避暑地として、冬にはスキーの街として首都圏の富裕層たちが別荘を建てて休養する別荘地帯兼ホテル地帯である。
故に超大金持ちであるお隣さんが毎年のようにここに来ていることになんの違和感も無いのだ。むしろピッタリそのままお似合いである。
静かな森の中にある木造建築のテラスで、自然を眺めながら本でも読んでいる姿など容易に想像できる。そしてきっとその大自然全体が彼女の保有する土地なのだろう。
きっと栄家はどこかの自然公園くらいの土地を保有しているのでは?
「やはりそうです。ここから二十分ほど車を走らせた所にある山に今年の夏も伺ったばかりです。」
「ちなみにどれくらいの広さの家なんだ?」
「言っても高校の体育館より一回り小さいくらいでしょうか…いえ、でも円形の縁側があるので…そうですね、一概にどの大きさとは言い難いです。」
「左様ですか。」
やはり想像していた通りの豪邸ってな訳ですな。
一度は憧れるものだよ。別荘。軽井沢に別荘を建てて夏と冬の休みの期間を穏やかに過ごすってロマンだよね。
気温40度の中を自転車でヒーヒー言って陽に皮膚を焼かれ湿度に蒸されながらどこかに出かけたり、極寒の暴風の中、砂嵐に目を細めながら必死に前へと進む俺らの夏と冬は一体何なのだろうか…
同じ日本で距離もそんなに違わないのにこんなにも生活環境は違うのか…
もう涙が止まらないよ。
電車はゆっくりと軽井沢駅を出発した。
『ああ、軽井沢よ、待っていてくれ。いつかビッグになってそこに家を建ててやるからな!!』
心の中で俺は愛しの軽井沢に別れを告げた。
一方の衣織さんというと、相変わらず窓に張り付いて車窓を眺めている。
でも普段から外が見えない高級車で移動してドアを開いたら別の世界という感覚で生きてきている事を考えると、今回の旅の中で車窓をずっと眺めていることにも納得だ。
しかし気がつけば真っ暗な景色に飽きてしまったのか、はたまた学校終わりゆえに身体が疲れていたのか、理由は分からないが、電車特有のゆりかご効果によって彼女は静かな寝息をたて始めた。
ここから目的の金沢駅までおよそ二時間。そこから一本乗り換えをして加賀温泉駅で降りる予定だ。
そこに栄婦人の友人のホテルがあり、車でお出迎えしてくださるのだそうだ。
新幹線の中は暖かいのだが、少々物足りない温かさになっている。快適と言えば快適なのだが、寝ていると手足が少々寒く感じることが少々ある。
俺は足元に置いたリュックから父親のお下がりの高級ブランドのひざ掛けを取り出して彼女の膝上にかけてあげる。
気持ちよさそうに寝ている。
その様子を見ていると、俺まで電車の緩やかな揺れと温かさで眠くなってきてしまう。さっきからあくびが止まらない。
『寝るか。』
彼女が静かに寝ている様子を改めて確認してから俺も目を閉じた。
目が覚めた頃には既に富山駅を出発したあとであった。
・・・
(まもなく、終点、金沢です。敦賀方面と、IR石川てつ──────)
終点の金沢に着く車内アナウンスが放送され、辺りはスーツケースを取り出したり、荷物を片付けたりする人達でガヤガヤとし始めた。
そんな中、ザワザワした音がうるさかったのか、衣織さんが不機嫌そうに目を覚ました。
「あ、ありがとうございます。こんな気配りまで。」
彼女は膝上にかかった俺の膝掛けを丁寧に畳んで俺に返した。
「もうすぐに終点の金沢に着くから出る準備をしよう。そしたら目の前に乗り換えの電車が止まってるはずだ。」
「分かりました。」
寝起きで目が真っ赤な彼女は手の甲で目をこすってあくびをひとつ。大きく伸びてから身の回りのものを片付け始めた。
俺はそのままリュックを背負って、2人分のスーツケースを荷棚から下ろし、彼女の準備を待った。
「近頃思うのですが、凪紗さんは紳士ですね。理想の富裕層の男性像です。」
準備を終え、「待って下さりありがとうございます。」と感謝を伝えた直後に急にそんなことを言われたが、俺はその褒め言葉になんて返せばいいか分からなかった。
それでも一応自分には分不相応な褒め言葉には感じたので、それに準じた返事をした。
「ただお節介なだけさ。俺はそんな大層な男じゃない。」
「それはありません。」
俺の自分を下げる発言に彼女はいち早く否定した。まだ出会って一ヶ月の男だ。いつかは表面に見えるメッキなど、見る向きを変えられて疑問を持たれ、時間の経過と共にその輝きは剥がれ落ちて無価値に感じてしまわれるだろうさ。
人間関係というものは、初対面の時に大方の得意不得意を感じ、得意な人とくっつき、その人の良さや大雑把な印象を得る。
しかしそれは時間を経つにつれて細さを知っていき、本性が見え、少しの食い違いなどが生まれていく。そして近すぎた関係が適切な関係へと変化していき、その距離感がどこまでも続く。
人は無いものをねだる。
彼女は俺や蒼真のような性格の人間が居ない環境で育ってきたから自由に今を生きている俺らが華やかで美しく見えるだけなのだ。だがそれは俺らの土地では名も知らぬ様なそこら辺に生えた花と変わらないもので、それを知った時に彼女は元々感じていた価値を忘れる。
「少なくとも私は貴方が紳士な御方であると信用しております。」
否定した直後に彼女は改めて俺を褒める。
今まで俺がしてきた何にそのような感情を抱いたのだろうか…特に彼女にそこまで言われるほどのことをしてきた記憶は俺には無い。
悪印象よりもこのような好印象を思ってくれていることは個人的には嬉しいのだが、彼女とは生きる場所が違う。彼女はいずれ俺らの上に立つ者であり、上に立つものは…
「情がいずれ身を滅ぼす。」
ボソッと口にしてしまい『やべ、口が滑った!?』と心の中で焦ったが、周りのガヤガヤした環境のせいで伊織さんの耳まで俺の声は届いていなかった。
彼女は「何か言いましたか?」と問いかけてきたが、俺は彼女にこう返した。
「それを言うなら衣織さんは真面目だな。」
電車のドアが開き、前の人たちからどんどんと駅のホームへと降りていく。
少々の含みを持ったその一言を残して、俺らは開いたドアの向こうへと歩き出した。
駅のホームに降りると目の前には既に次乗る予定の電車がドアを開けて俺らの到着を待っていた。
乗り換えるのは同じ色の同じ形の電車。ここから先は新しく今年開通した区間の新幹線。
後ろを歩く彼女は今どんな顔をしているのだろうか。
俺は何故か振り返ることが出来ずにいたのであった。
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