第11話 男女の二人旅

「今度はどこへ旅行しに行くのかしら。」


「まあ冬だからな〜」


「沖縄に行くなら買ってきてほし───」


「金沢に行ってくる。」


「……」


冬だから暖かい地方に旅行に行くという予想は安直なものだ。寒い冬だからこそ、その時期特有の景色を見に行かなければならないのだ!


母さんは俺に口を挟まれた事で作った笑顔から真顔になりそのままスっと俺が準備している1階から姿を消していた。


スーツケースに着替えと予備のお金を突っ込み、念の為歯ブラシや、櫛も入れておく。リュックの方にはミラーレス一眼と財布、そしてお気に入りの切符ケースを入れてチャックを閉める。


そして防寒具の準備も怠ってはいけない。


北陸の冬は想像以上に寒い。群馬の冬の方が想像以上さで言えば寒いのだが、単純にあそこは雪国であるため北じゃないからと言って舐めてかかってはいけないのだ。


着ていく服はゆったりとしたオレンジ色のズボンと長い靴下に厚底の革靴、そして黒のタートルネックに茶色のロングコートとネックレス。


女性の隣を歩く以上、ある程度の身だしなみを整えないと失礼というものだ。特に彼女はお金持ち。日頃から出かける時は身なりの善い格好をしているので、その隣を歩くのに恥ずかしくない格好で行きたいものだ。


旅の恥はかき捨てということわざがあるが、それは旅先で自分を知る人なんて居ないのだから、その一瞬の恥で尾を引くことはないという意味ではあるが、恥をかいた瞬間というもの、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。


それは既にたまたま洒落た格好をしてきた蒼真と、たまたま普段よりもラフな格好をして来た俺が一緒に旅行した時に経験したことだ。


明らかに普段と違う周りからの目線は痛いこと痛いこと。


ちなみに今回は金曜日の夜に出発し、日曜日の夜に帰宅する二泊二日の旅。故にもう一着服を準備しなければならない。


あと宿に関しては栄婦人が知り合いの経営しているホテルを二人分取ってくださったそうなのであありがたく使わせていただくことにした。


お金持ちの人脈は本当に凄いな。


俺はクローゼットの中をあーでもないこーでもないと引っ掻き回してやっと服をスーツケースの中にしまい終わった。


これで準備は完了。


この荷物たちを玄関に持っていき、俺は明日の学校に向けて早めに布団に入るのであった。



・・・



「これ、車かよ……」


金曜日の学校が終わり、家に帰った俺らは着替えた後に玄関から荷物を持って外に出る。


今回駅まで栄婦人が送ってくれるとのことで、真っ黒な横に長い高級車…では無いものの、現在売りに出されている、国産の超高級ミニバンがドアを開けて家の前で止まっていた。


衣織さんは颯爽と乗り込み、俺はゆっくりと乗り込む。


「おじゃまします…」


「どうぞくつろいでちょうだい!」


車に入るとまず目に付く、運転席と後部座席を仕切る大きな壁とスクリーン。少しだけ運転席の様子がうかがえる窓があり、その窓もさっきの栄婦人の一言を終えるとウィーンとパーテーションで仕切られる。


なにその機能……


ドアがゆっくり閉まると車の中が間接照明のライトアップを始めた。ちょうどクリスマスにピッタリの内装だな。


上を見れば間接照明や化粧チェック用の鏡、そして大きな天窓。


肘掛の横にはスマートフォンみたいなシートリモコンがあり、ヘッドレストの横には読書等が伸びている。


大きなテーブルを出すこともできる。


「ここを開けて靴を入れるのですよ」


「え?」


衣織さんは大画面のテレビの下をクイッと開けて靴まで入れてリクライニングを始めた。


しかもその隣の小さな扉を衣織さんが開けると…


「凪紗さん、オレンジュースなどはいかがですか?」


「い、いや、今は大丈夫だ。ありがとう。」


と言った具合に冷蔵庫になっており、そこからオレンジュースの瓶が出てきた。


なんと言う高性能…もはやこれは車ではなくて飛行機のファーストクラスでは無いか…


たった15分程度の移動のためにこの快適装備…さすがお金持ちだと言わざるを得ない。


貧相に見えて恥ずかしいと言われるかもしれないが、あらゆるところが気になって、結局駅に着くまで車の色々な機能を試してしまい、落ち着いた頃には到着していた。


「ゆっくり楽しんでくるのよ〜!」


「色々ありがとうございます。」


「お母様行ってきます。」


あまりに高性能な車に興奮してしまい、恥ずかしいところを見せてしまったが、旅が始まるのはこれからだ。


ここはいつもの旅の始まりである太田駅。前回はここから東京方面へと向かったが、今回は逆。私鉄最長路線である伊勢崎線の終点、伊勢崎へと向かう。


時刻は前と同じ五時半頃という事もあって帰宅ラッシュの真っ最中であった。


衣織さんは恐らく人混みというものに慣れていないので、改札の少し奥で人が過ぎ去るのを待つ。


「どうしたのですか?急に止まってしまいましたが…」


「いや、衣織さんは人混みになれていないだろう。そこまで広くない構内とはいえ迷子になってしまえば乗り遅れてしまうくらいの時間だからな。」


「ご、ご配慮痛み入ります…」


きっと彼女は『そこまで私は頼りない存在でしょうか』とでも思っているのだろう。感謝の言葉が詰まり気味なので何となく不満であることは理解出来た。


たくさんの人が改札から出てきて、人の波が落ち着いたのを見計らって改札へと入場する。


東京方面に行った時と反対側の3、4番線のホームへと登り、もうすぐ出発する普通電車に乗り込んだ。


「私、こういう普通の電車に乗ったの初めてです。」


「え、東京にいたのに乗った事ないのか?」


「はい、お恥ずかしながら移動は基本車でしたので。」


なるほど、前みたいな長〜い黒塗りの高級車に乗って学校やお出かけに向かうわけですね。確かに東京みたいにどの時間帯も混むようなところにご令嬢は乗らないか。


通勤通学時間帯になってしまえば、電車の中でぎゅうぎゅうに押しつぶされてしまうので尚更だろう。


電車は発車時刻となり、大きな高架駅をヴォォォオンというモーターのうねる様な音と共にゆっくりと加速して出発していく。


駅を出てすぐは国道を跨ぐため、渋滞している車や大きな市役所などの地方都市っぽい街並みを通り過ぎ、少しすると住宅地や高校が見えてくる。そしてそれすらも抜けると田園風景に…なる訳ではなく、工業団地の真ん中をずっと走っていく。


左は工場右も工場、まれに田んぼや大学があり、また工場、次の駅が近づくと家が見えてくると言った具合に、いかにここら一帯が工業都市であるかを分からせてくれる。


隣を走ったりオーバークロスする道路も広く大きく、トラックが沢山行き交う。


彼女はなかなか慣れない車窓だからだろうか、座席に膝をつけ、子供がよく窓を眺めるような姿勢になってその景色を見続ける。


古い電車ゆえ、直線区間での高速走行の時にはギュイーーーンと言った力強い音を上げ、たくましさを感じる。そして駅に着く時に少々鼻につく焦げたブレーキの匂い。


そして誰も乗り降りのない無人のホーム。


どれもこれも風情があって良いものだ。


乗り始めてからおよそ30分。そろそろ乗り換え予定の終点伊勢崎に到着。


結局最初から最後まで彼女は窓に張り付いていた。そんなに景色が良かったのだろうか。まあ、彼女がいいならそれで良いのだ。


ここからは乗り換えて群馬一の都市である高崎駅へと向かう。


我々はスーツケースを持っているので、通勤通学で降りる利用者に先を譲っておりて頂き、俺と彼女は最後に余裕を持って駅に降りる。


この駅も最近高架化された大きい駅であり、利用客数も多い。


階段を降りて、改札機をタッチし、次に乗る鉄道会社の改札に切符を通す。


そしてエスカレーターで駅のホームにのぼると、ちょうど乗り継ぎの電車が到着した。


俺らは直ぐにその電車に乗りこみ、すぐに電車は扉を閉めて出発した。


流石に席は埋まっていないので、立って吊革を握る事にした。


一方の彼女の方は大丈夫かなと様子を見ると、彼女は吊革を握らず当たりをキョロキョロとしていた。どうしたのかと尋ねてみると、


「皆さんが握っていらっしゃるそれはなんでしょうか?」


と、吊革を指さした。


先程の電車はそこまで混んでいなかったのでみんな座っていたからか、吊革について気にならなかったようだ。


「これは吊革といってな、立っていると電車の揺れが顕著に現れて倒れやすくなるんだ。だから倒れないようにするために皆これを握るんだ。」


俺はそう説明すると彼女は「そうでしたか…」と見様見真似で吊革を握ろうとするが、不幸にも俺らがいる位置の吊革は高い位置にあった。彼女の身長は高い訳では無い。なので、掴むことは出来るのだが、指でひっかけている感じだし、足も突っ張っていた。


これだと逆に危ないかもしれないな。


大きな揺れで指がつり革から離れ、ちゃんと地面と設置していなかった足がよろめいて倒れる事が容易に想像できた。


まだ現在走っているのは直線の区間故にそこまで振動は大きくないので問題は無いだろう。しかしあと二駅三駅先になると途端に揺れが大きくなる。


この電車は現在次の駅に止まって出発したところであり、その駅で客を拾ってより窮屈になっていた。


ドアとドアの真ん中に詰め込まれて椅子を支えるポールなども手が届かない状況……


『どうしようか…』と、俺は悩んだ。


彼女の尊厳に関わる解決方法があるのだが、しかししょうがない、現状こうするしかない。


俺は片手に持っているあスーツケースを股に挟んで彼女に余りの手をスっと差し出した。


「危ないからな。衣織さんが良ければだが、俺の腕を握っていれば大丈夫だと思う。」


「ありがとうございます。お手数おかけします。」


そう言って彼女は小さな片手で俺の腕を掴んだ。


はぁ、まるでこれでは電車の中でいちゃついているカップルではないか。


電車の中はそれなりの混雑で窓ガラスが曇っており、外の景色を眺めることが出来ず、衣織さんは「外が見えないのは残念ですね。」と呟いた。


そんなこと言ってられる状況かと突っ込みたくなるがここは電車の中。落ち着くんだ。


彼女はそういった常識に疎いため、何も気にせずに俺の腕を取ったが、傍から見ればただくっついているカップルだ。


そんな経験をしたことがない俺にとっては少々刺激が強いものであった。


いつ以来だろうか、家族である女性以外と肌を合わせたのはで…


俺は無心を貫き通した。


そしてどれくらいの時間を耐えただろうか。


「高崎、高崎、終点です。お出口は右側、〜番線乗り場に到着です。お乗り換えのご案内です。上越新幹───」


車掌さんの放送がかかって、電車は駅へと入線。ドアが開き、人がドッとホームに降りていく。


俺らもその波に乗って改札まで上り、改札機の外に出た。


「はぁ、今までで1番心臓に悪い…」


「何かあったのですか?」


「いや、なんでもないさ。こっちの問題だ。」


「そうですか……?」


彼女はどうやら俺の回答に納得のいっていない様子だったが、次に乗るのは新幹線だと話すと、「新幹線ですか。初めての経験です。」といつも通りの表情で俺の腕を離さずにそのままどこかへ歩き始めた。


あまりに迷いなく新幹線ホームでは無くショッピングセンターの方向へと歩み始めたので、何か用があるのかと思ったが、彼女がこの駅のことを知ってるわけもないので念の為どこに向かっているのか聞いてみた。


「おいおい、どこに向かってるんだ?」


「え?それはもちろん新幹線の方にですが…」


「新幹線の改札は反対側だぞ。」


俺の答えに彼女は一瞬立ちどまり、顔を真っ赤にして反対側を向いた。


「お、お恥ずかしいところをお見せしました…」


やはり日光の時と言い彼女はところどころ抜けているようだ。そういう所がまれに人間味で溢れていて少々安心するものだ。


彼女は恥ずかしさからか、両手で、顔を隠す仕草をしてくれたおかげで俺の片腕が開放される。


これで俺の心も変な焦りが消えた。


女子慣れしていない男子はあまり女子に近寄られすぎると、変な発作や緊張が起こるものだ。故に世の中の女子諸君。そう簡単に男子にボディタッチなんてするもんじゃないんだぞ。


「さあ、新幹線の改札に向かおうか。」


「は、はい……」


俺らは静かに新幹線の改札を通り抜けたのであった。










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