第9話 令嬢の帰宅

夕方頃まではうねりを上げていた暴風も、夜の八時を回ると落ち着きを見せ始め、他の地域で言う風の強い日くらいの感覚で家に帰ることが出来る。


もちろん暴風では無いので声はしっかり届き、会話が成り立つ。


真っ直ぐに伸びた小川横のサイクリングロードをゆっくりと自転車で走る。


都会と違い、市の中心を外れれば周りには田んぼか工場しか無いので光源が無く、自転車のヘッドライトに頼ることになる。


そんな環境での運転になれていない彼女はそれなりに強い風の中、転んだり、思わぬ段差にバランスを崩さぬよう集中して自転車を漕いでいた。


「自転車乗れたんですね。」


「それは流石に私を馬鹿にし過ぎでは?いくら私と言えど家の庭で自転車は練習させられていました。」


家の庭で自転車を練習ってどれだけ広い庭持ってるんだよ。


まあここら辺の常識が通用するわけもないか。


あと、いつも一緒に下校している蒼真はなぜ居ないのかというと彼は今日早退したからだ。いや、早退と言うより帰りのホームルーム中に体調が悪くなり、母親に迎えに来てもらっていたのだ。


だから今俺は彼女と二人きりという訳だ。


こんな姿をクラスの男子たちに見られたらそれこそ俺の命は危ないだろうな。


彼女が転ばないよう少し後ろから見守るようについて行くと、やはり慣れない風に煽られてしまっているのか、フラフラと危なっかしい運転を見せつけられる。


「車で送って貰った方がよろしいのでは?」


「それです。梅田さん。」


「でしたら早速明日から車で───」


「そうではありません。」


俺は彼女の身に何かあってはと案じて進言したつもりだったのだがな…


彼女にしては珍しく、いきなり食い気味に話に乗ってきたと思ったら、俺の発言を言い終える前に口を挟まれたので、これはなかなかに意思の強い発言をしてくれるのだろうと思い、俺はそのまま黙って話を聞くことにした。


彼女は自転車のペダルから足を下ろして、俺を見る。


今までこんなに人に面と向かって話されたことがあっただろうか。


カノジョは俺の目をしっかりと見て話を始める。


「私は何かを知るためにここに引っ越しました。そして今日一日をすごして思いました。


あなたは私の事を名前や苗字で呼びませんし、ご友人とお話なさる際と先生方と話される際、そして私の時とでは態度が異なりすぎます。


私に対してだけ硬すぎると思いませんか?


私の話し方に合わせてくださっているというのは理解しています。しかし、なんと言うのでしょうか、私が貴方というコミュニティエリアの中で隔離されている感覚がすると言いますか…


この孤立感を言葉にするには少々難しいです。


なのでこれは私からのお願いです。私の事を名前で呼んでください。そして御友人と同じように気楽に話してください。ここは私のホームではなくあなたのホームです。貴方が私のしきたりにのっとるのではなく私があなたがたのしきたりにのっとるべきなのです。どうかお願いします、凪紗さん。」


彼女の目はまだ俺をしっかりと捉えている。


そうか、この発言で俺はわかった。


彼女は真面目なのだ。


やると決めたことは何事においてもとことんやるのだ。常識的な生活ではなかったが故にそのバランスはおかしな方向を向いているが、彼女はただ真面目なだけなのだ。


こんなに誠意をもって女性にお願いをされたら、それこそ答えてあげなければ男が退るというものである。


「そうですk───いや、そうか。ではそうさせてもらうよ。」


俺は彼女の要求通り普段の友人に対する口調で彼女に返事をした。俺の返事を聞けてほっとしたのか、彼女の表情が少々緩んだ。


「ありがとうござ───…いえ、そ、その…あ、ありが…とう…?な、なんだか恥ずかしいですね。夜風も冷たいことですし早く帰りましょう。」


彼女はそのままペダルに足をかけて家の方へと自転車を漕ぎ始める。


暗くてよく見えなかったが、彼女の顔は少し赤かったのだと思う。


きっと寒さで鼻の先や頬が赤いからそう見えたのでは無い。


なかなか使わない話し言葉に照れているのだ。我々が普段使わない関西弁を真似して使ってみて、いざ言葉にするととても変で恥ずかしい思いをするあれと同じ感覚だろう。


慣れないことはするもんでは無い。


きっと彼女はそう思ったことだろう。それでも俺にとってこの「ありがとう」の一言が大きく胸に刺さった気がした。


「ありがとう……か……」


というより、感動した?と言うべきなのだろうか。とにかく今まであまり言われてこなかった感謝の言葉を俺は復唱した。


それは敬語のそれとはまた違う深みというか誠意というものが感じ取れた。


敬語よりも適した話し言葉ってあるんだな。


俺はその場に少しとどまったあと、彼女を、いや、衣織さんを追いかけて立ちこぎしたのであった。



・・・



空は満天の星で埋め尽くされている。


東京では星などほぼ見えないも同然でした。


しかしここは光源が少ないからでしょうか、小学校の頃に習った冬の星座が苦もなくみつけることができます。


この地に来てまだ二日。


何も学びを得ていないようで既に沢山のことを学んだように感じます。


見たことの無いくらいに美しい夕焼けや、裏表なく気軽に接してくる同級生達、薄気味悪い笑顔などで満たされ無い純粋な感情で教室は溢れかえっていました。


それは恐らく個性というものでしょう。


特に自分は何もしていないというのに謎の満足感を得られている事に不思議と心がフワフワするような気分であった。


「今日も助けられてしまいましたね。」


日光での一件に引き続き、強引な手段で詰め寄る三年生に対しても、まるで偶然三年生達の注意を引いたように見せていましたが、恐らくあれはタイミングを計ってのこと。


オーディエンスの話が私から彼らに移り、彼らが私の嫌味を理解していないとわかった後に、わざとそれっぽく演技したのでしょう。


正直こんなに異性の方とお話をしたり、その方に助けて頂いたりした事は今まで一度もなかったので、とても不思議な気持ちです。


下校中に初めてフランクな日本語を使わせて頂きましたが、やはり慣れないことはするものでは無いですね。使った言葉が正しいのかどうかも分からず恥ずかしい思いをしてしまいました。


思い出すだけで……うぅぅ……


私はベッドの上で枕を強く抱き締めながら、マットレスを足でバタバタと叩いた。


日頃使う言葉であれば、頭の中で言葉を自動変換するようにその意図を探るのですが、普通の話し言葉というのは不思議なもので、なんともすんなりと感情と言いますか、相手の気持ちが伝わってくるのです。


それが何とも嬉しくて気持ちよくて、夢心地のような時間でした。人との会話がこんなにも楽しいものであると感じたのは恐らくこれが初めてのことでしょう。


特に、あの私のお願い以降、恥ずかしくて何も話せませんでしたが、彼、凪紗さんの「そうか、ではそうさせてもらうよ。」の一言は何故か聞けてほっとしたと言いましょうか。


安心した気分でした。


その心の油断と言いますか緩みと言いますか…その慢心があの恥ずかしい話し言葉を生み出してしまったわけです。


あぁ、私ったら一体何故あんなことをしてしまったのでしょう。そして今私は一体何を悶えているのでしょう。


それもこの生活に馴染めばきっと分かることなのでしょうか。


わかりません。


でもいつか凪紗さんと一緒に過ごす日々で見つかる。私はそんな気がしてならないのです。


「衣織!ご飯よ!」


下の階からお母様の呼ぶ声が聞こえた。私もちょうどお腹がすいていたところだ。


「今行きます!」


私はまだなれない家の階段をゆっくりゆっくり降りて、お母様の手作り料理を一緒に頂くのでした。





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