第6話 籠の鳥

「……」


「凪紗、呆けていないで挨拶しなさい。」


引っ越し屋さんが隣の家に荷物を搬入し終えたところを見送った次の日の学校終わりの夕方のこと。家のインターホンが鳴り、母さんがすぐに玄関に向かって鍵を開け俺を呼んだので、一階におりて母さんの隣にならび、ドアが空いたと思えばこれだ。


「これはこれは、先日ぶりでしょうか。我が家にどのようなご要件でいらしたのでしょうか。」


俺は満面の笑みを作って家に訪れた客人に挨拶をする。そして俺の言葉に母さんが『どういう事かしら?』と、ものすごい圧を隣で放ち始めた。それも俺だけでなく目の前に立つ女性に対しても。


「あら、奇跡というものは起こるものね〜。娘の命の恩人がまさかこれからのお隣様だなんて。」


女性の言葉に一層母さんの圧が強くなっている気がするが、今は無視しよう。


「とりあえず引越しのご挨拶に伺ったのですけど、栄と申します。よろしくお願いしますね。」


「よろしくお願いします。」


女性二人は深深と頭を下げる。そして「ご挨拶というわけでこちらをお納めくださいな。」と、母さんに薄い衣に包まれた桐箱を渡す。


母さんの顔は前髪に隠れてもはや表情すらも読み取れない。あ〜、これは後で俺が怒られるパターンかな。


両親には、旅に出るのはいいが面倒事に首は突っ込むなとさんざん言い聞かせられてる身として、この件に関しては最悪の厄介事を引き抜いてしまったと我ながら思っている。


「それではそろそろ夜も更けて参りますお時間。今後よろしくお願いしますね。」


二人は今度は軽く頭を下げて隣の家へと戻って行った。


そして静かに玄関のドアを閉め、微動だにしない母さんから逃げようと、自然な感じに横を通り抜けようとするが、隣を通った所まで何も言われなかったので『お!これは行けるか!?』と思ったのだが…


「ぐぇっ…!?」


首が急にしまったと思い、元凶の方を振り向けば、母さんが玄関の方を向いたまま俺の服の襟を強く握っていた。


ひぃ、怖い怖い。


母さんはそのまま無言で静かに俺を引きずりながら母さんの個室へと向かっていく。


そして部屋に入りドアが閉められ、母さんは椅子に腰をかける。俺は母さんが指さした座布団に大人しく正座をする。


緊張感漂う部屋の中で先に口を開いたのは母さんだ。


「はぁ、まさかこんな歳になって再開するとは思わなかったわ。」


さっきまでの呼吸すらままならなくなる圧は一体どこに行ったのか、母さんは深深と溜息をつき肩を落とす。


そして再開ということは、母さんは彼女たちとの面識があるということになる。


「いいかしら凪紗、彼女、栄 真理は私の学生時代の一つ下の後輩よ。考え無しのトラブルメーカーがまさか社交辞令をしてくるなんて…私は夢でも見てるのかしら…」


母さんは頭に手を抱えて大きなため息を吐いた。何故そこまで嫌がるのかはよく分からない、が、俺にとっても悩みの種がお隣に引っ越してきたとなると頭が痛い話しだ。つまりこれから俺は常に権力に脅かされる日々。


あ〜、日々どれ位のように扱われるんだろうなぁ…と勝手な想像をしていると、母さんは「聞きなさい、凪紗。」と一言告げて、頂いた桐箱を手に取る。


「桐箱は簡単に受けとってはいけないのよ。今回は引越しの挨拶という近所付き合いと評判の為にやむを得ない理由故に貰わざるを得なかったのだけど、こういうものはだいたい入ってるのよ。」


何が?と俺が疑問を持ち、聞き返す頃には母さんは衣の封を解き、桐の箱を開けていた。すると中身は高級そうな和菓子。


「普通の和菓子に見えるんだが。」


「はぁ、やはり予想通りね。凪紗、よく見てなさい。」


母さんはそういうと和菓子の隙間に人差し指を差し込んで持ち上げた。するとお菓子と板が持ち上がり、その下から一列に並んだ札束が覗いていた。


「全く…家は一般家庭なのだから勝手な事をしないで欲しいわね。別にあの子の家にとってなんも得がないでしょうに何故こんな賄賂を…今回はきっちり109万だけど額が額なら最悪捕まるって分からないのかしら?でも受け取ってしまったからには返せないわね。これで暫くは彼女の無理難題を聞かねばならないでしょうね。はぁ、頭が痛いわ。」


あ〜、普段あまり口数が多くない母さんがペラペラと嫌味を並べているところを見ると本当に厄介なんだな。


やっぱりあの家の人達厄神だろ。これで俺の奴隷生活の幕開けか。受験期に入る今になって困るな〜全く。


この100万円に見合う対価って一体俺は何をされるんだよ…


「とにかくこれからは気を引き締めないといけないわね。長らくあそこから離れていた天罰が下ったとでも言うべきかしらね。」


母さんは恐らく金持ちの知人と長らく連絡をとっていなかったことが逆にこちらに引き寄せてしまったと感じているらしい。


「こういう勝手な貸しを作ってくるから凪紗も今後彼女達からの借りを溜めないように気を引き締めなさい。」


「了解。」


俺はこれで母さんの部屋から解放され自分の部屋に戻った。菓子折の中に金銭ってどんな世界線だよ、家は越後屋じゃないんだから全くやめて欲しいものだ。


しかし俺は今そんな事を気にしている暇は無い。


なぜ?そんなの二週間後の期末試験があるからに決まってる。今は人間関係なんて俺にとってどうでもよかった。


はずだった……


それは次の日の朝のホームルームの時間のこと。普段なら先生が直ぐに「はい挨拶!!」と言って日直が声をかけるところ、先生は急にこう言い出した。


「今日は皆に転校生を紹介する!入ってきてくれ!」


な、なに!?


そういえば忘れていた。こっちに家を買って住まうということはつまり学校もこっちの学校に通うというわけだ。しかも金持ちの子ともなれば私立はほぼ確定。そしてうちは市内では一番賢い私立高校だ。


ドアが開き、うちの高校の制服を着こなし上品に歩いて登場する少女。髪の毛は言わずもがなサラサラを通り越したツルツル。


遠い席から蒼真が『あれ?』と言った視線をこちらに向けてくる。


そして男子中心にざわつきだす教室。


そして彼女が我らの正面に到着し、顔を正面に向けたところで教室は静まり返った。


少々の笑みを見せていた小さな口が開く。


「東京は港区から参りました。栄 衣織と申します。皆様、ぜひ私と仲良くしてくださると嬉しいです。これからよろしくお願いします。」


真っ直ぐに腰を折り、肩にかかったツルツルの髪が降りる。そして教室中に響き渡る拍手。


あぁ、どうやら俺は、彼女から逃げられない運命にあるらしい。


これから彩られていくはずだった日常生活に、早くも雲行きが怪しくなってしまった俺なのであった……

















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