第3話 黒の絹

時刻は夜の9時半。俺はホテルのチェックインを済ませて部屋でシャーペンを握っていた。理由はシンプルで、祝日明けに出さなければならない課題が沢山あるからだ。それを明日1日が観光という必須事項で埋めてしまうために今日中に終わらせる必要がある。


俺の通う高校は俗に言う自称進学校であり、誰もがイメージする大量の課題(難問)を解かねばならなかった。


しかし俺は難敵たる課題をたったの1時間で片付けることに成功し、只今の時間は夜の10時20分。


夜ご飯を買っていなかったことを思い出して駅近くのコンビニエンスストアへと足を運んだ。


ついでに夜の日光の街並みの写真でも撮ろうかと、ミラーレスカメラを首から下げてホテルの外に出た。


流石に夜は冷え込む季節であり、日光が元々標高の高いところにあることもあり、外で寝ようものならその人はおそらく次の朝に目が覚めることは無いだろう。


俺は目的の日光駅の駅舎に到着した。この駅舎は木造で西洋風の建造物であり、建てられたのはなんと1890年。中には天皇陛下など、皇族の方がお使いになられる貴賓室もある、レトロな見た目の美しい駅なのだ。


夜遅くになると、街灯で照らされてはいるものの、寒さもあって人は少ない、というより居ない。なので写真を撮るにはちょうどいい。


ここで20分程撮影を続けた俺は満足して次の目的地へと向かう。その目的地は日光駅だ。


え?なんて?さっきも日光駅撮ってたじゃないか?だって?


その疑問の答えは簡単で、シンプルに鉄道会社が違う、もう一つの日光駅があるからだ。実は俺が降りた日光駅もそっちの方の日光駅で、関東の大手私鉄が運営している。さっき撮っていた方は国の鉄道だ。


聞いた話だと国の方が利用客数が多いイメージがあるかもしれないけど、実は逆で、私鉄の方が断然多いのだ。故に駅自体も私鉄の方が大きく、最新とまではいかないが国の方よりは断然新しい。そして電車の本数やバリエーションも充実している。


ぜひ日光に来る際は私鉄の方を使って行ってみてほしい。もちろん国の方の日光線もとても良い景色が広がってるので往路と復路でルートを変えてみるのもいいかもしれない。でも楽なのは圧倒的に私鉄の方なのだ。


さて、俺は終電が終わって誰もいないはずの私鉄日光駅にいるんだが……もう夜も11時を回って駅の中にも入れない。もちろん終バスも終わっているというのに、ロータリーの前を薄着で手持ちの物も何一つ無くあたふたしている一人の少女の姿。


傍から見ればただの変人だ。


明らかに困っているその少女を見過ごして次の日に凍えて病院へ〜なんてニュースを見た後に悠々と日光観光をするのも気が引けるので、不審者扱い覚悟で声をかけてみることにした。


「あの、さっきから一人で何していらっしゃるのでしょうか。」


「ひぃっ!?」


俺が突然後ろに現れて驚いたのだろうか、元々ビクビクさせていた身体を演技が疑いたくなるほどにビクッとした反応を見せて振り向いた。


「終バスも終電も終わってますよ。」


「は、はい…」


少女の肌は雪のように白く、鼻の先と頬は真っ赤になっていた。


そして何より相当の美少女だ。こんな夜中に駅前で一人で過ごしたら危ないどころでは済まされない。そしてその身なりからも中々の出であることが、伺えた。


「はぁ…」


「な、何用でございましょう…」


頭を抱えた俺を見て困惑する表情を見せる少女。携帯電話を取り出す素振りも見せず、その場しのぎにコンビニにも行かないあたり、本当に何も持っていないのだろう。終電の話をした後に迎えに来てくれる人の話も出てこなかった時点で俺は既に察している。


いったいどうやってこの一夜を過ごす予定だったのやら。


「携帯電話や財布は持っていないのですか?」


「その、財布は持った事がなくて…あとスマートフォンは家に忘れてしまいました…」


財布を持ったことも無い…どんな箱入り娘だよ。身なりからある程度裕福な家庭なんだろうなとは想像していたが、そこまでだとは思わなかった。


「今日の夜はどうするんですか?」


「こちらにあるロータリーと言われる椅子に座って過ごそうかと…」


そう言って少女は手をロータリーのベンチの方に向けた。


確かに看板で(ロータリー)って矢印で刺されているところがベンチではあるがそれはベンチを指しているわけじゃない!


こんな緊迫した場面でそんなボケよく言えるな……と思ったが、疲れきった表情から、先の発言は決してボケなどではなく、本気でそう思っていたということだろう。


「ロータリーっていうのはベンチの事ではなくてですね、バスや車の乗り場のことです。」


「それはそれは、お恥ずかしいところをお見せしてしまいました。」


少女はベンチに向けた手で口元を隠した。いちいち所作が美しいな。しかしながら変なツッコミをしてしまったせいで話が一向に進まない。ここは単刀直入に誘うとするか。


あ、いや、誘うってのはそういう事じゃなくてあくまで偶然蒼真から正式に譲り受けた一室を彼女に献上するわけであって俺の部屋に彼女をお誘いするなどという話では無いわけだ。


しかし俺から誘うとなるとやはり外聞的にも宜しくない。いくら夜中で周りに人がいないからと言っても、人の耳は何処にでもあるものと考えるべきだ。


なのでここは俺から提案する形ではなく、あくまでも彼女からお願いをする体を取りたい。そのためには……


「これは独り言なのですが…」


と、前置きを置くと何かを察した彼女は微笑むように瞑っていた瞳をスっと開いた。


「実は私、ホテルの部屋を一つ無駄に取ってしまったというミスをしてしまい無駄金を生んでしまいそうなんですよ。いやぁ実に勿体ない。」


だからその部屋を使ってはいかがですか?と言うこちらからの提案の言葉だけは口にしない。そうすれば彼女も俺側の意向を汲んでくれるはずだ。きっと彼女は俺なんかの何千何万倍とこういう察し合いの場を経験していることだろうからな。


「そうでしたか。実は私、今夜の宿に困っておりまして…どうしましょう……」



なるほど、そう来たかぁ……


さっきから大人しい子だから素直に受け取ってくれるかなと思ったんだがなぁ。


明らかに少女の目はさっきまでとは比べ物にならないほどに輝いて……いや、餌を狙う猛獣のようにギラギラとしていた。


どうやら彼女は借りを作りたくはないらしい。幼い頃からそう言い聞かせられたのだろう。これは厄介事だ。勝負を挑まれたってことになる。


だが、こんな寒い夜中にいつまでもバトってる気は俺に無い。あくまで圧倒的優位にいるのは俺だ。長話をするつもりは俺には毛頭無いのである。


「なるほどなるほど、話に花を咲かせるくらいの余裕はあるようで安心しました。その話術を私のような観光客に使わず旅館の交渉にでm───」


「そんなツレない事言わないでくださいな少年ッ!!」


「おっとっと…」


それじゃっと言った具合に片手を上げて帰ろうとする俺の手の袖を彼女は無理やり引っ張った。


やめてくれよ〜、親父に買ってもらった良い服なんだ。あなたと違って金持ちじゃないんだから勘弁してくれよ。


俺は自分の意向を汲んでくれないのであれば話は無かったことにすると言ったのだ。


まあ、彼女からしたら屈辱的だろうけど、彼女が俺を強引に呼び止めたことで、もう俺が誘ったとは見られなくなる。


より優位な状況。


「どうしましたかご令嬢。」


「少年、あなた私を馬鹿にしてるわね。」


俺は口角を上げて尋ねればカノジョは赤くなった頬をより一層赤くしてふくらませた。どうとでも言いなさいな。あくまでも彼女の生きる術を持っているのは残念ながら俺なのだ。


「むぅ……」


彼女は俺のコートの袖をギュッと強く握ったまま離すつもりは無いようだ。そして彼女の口からその言葉を言うつもりも無いらしい。


「私は宿に戻りたいので手を離していただけますか?夜も遅く令嬢の宿探しを手伝う体力は生憎残っていません故。」


と丁寧にお断りを入れると、彼女は目尻に涙を浮かべて少し下を向いてボソボソと呟いた。しかし何を言ったのか分からないので少し首を傾けると、彼女はまるで何か決心したかのように俺との間合いを詰めて言った。


「背に腹はかえられません。」


そう言って彼女はため息をついた後に俺の目をしっかりと見て告げる。


「少年…いや、紳士、もし貴殿がよろしければ余った一部屋を私めにお譲りいただけないでしょうか。」


これは確かな彼女の降伏宣言であった。背に腹はかえられぬだろうが一介の平民相手に自分の良い方向に話を持って行けなかったことをさぞかし悔しい思いをしていることだろう。


「淑女の満足に及ばぬ部屋にはございますがそれでもよろしければ。」


「感謝します。」


こうして初対面の深夜の駅前の気持ち悪い腹の探り合いバトルは終わりを告げたのであった。ちなみに最後の言葉は本心であり、ただの学生が一人泊まれる程度のホテルに本物のお金持ちのご令嬢が果たして満足するかは分からない。


だがその点を突かれても暖を取れるだけマシと思って欲しいものだ。宿無しで終電逃した彼女の失態に変わりは無いのだから。


俺は彼女についてくるよう説明して駅の近くにあるホテルの中に入った。そして蒼真が予約していた分をチェックインしてそのカードキーを彼女に渡した。


「重ねて感謝申し上げます。」


彼女は爽やかな笑顔で頭を下げて部屋へと向かって行った。たしかに爽やかな笑顔ではあったのだがきっとあの顔の裏ではこめかみが引き攣ったカノジョの悔しい本心が悲鳴をあげていることだろう。


しかしながら本心を隠すのが上手なのは流石と言ったところか、きっと親とかが主催する東京の高層ビルの最上階でする社交界のような催しにも出席するのだろう。


その気品高き後ろ姿をエレベータが閉まる直前まで見届ける。


真っ黒でツルツルとした髪はあの嵐山で見た少女にそっくりであった。もしかしたら彼女かもしれないし、そうじゃないかもしれない。


しかし彼女は今回たしかに旅をして学びを得たことだろう。想定外の偶然ではあってもその困難をどんな形でも乗り越えたことに意味がある。


真冬の寒い中宿がない少女に対して維持の悪いことをしてしまったなと、少しの罪悪感を胸に俺は部屋へと戻ったのだった。



ちなみに部屋に戻ると俺の止まる部屋の隣の部屋のドアの前で、ドアの開け方が分からずに一人で頑張っている彼女がいたので無言で鍵を開けてやった。


今回ばかりは俺は貸しとは思ってないからな。


小声で「感謝申し上げます」と言って部屋に入っていき、しっかりと施錠される音がしたのを確認して俺は部屋に入った。


俺はまっさきにベッドにダイブして「あ〜」と声を上げると同時にぐぅぅ……とお腹が鳴った。


そういえば俺の目的ってコンビニでご飯買うことだったな。


時計を見れば時刻は既に日付を超えていた。


「寝るか。」


俺はホテルのふかふかの毛布を被ってすぐに夢の世界へと旅立ったのであった。



─────────



時を同じくして凪紗の隣の部屋。



「母様申し訳ありません。心配をおかけしてしまいました。」


「ありがとうございます。以後気をつけます。」


「え?あ、隣の部屋です。はい。405号室です。」


「え?はぁ、母様がそう仰られるのなら私に依存はありません。」


「はい。おやすみなさい。」



ガチャ。


ホテルの部屋に付属した固定電話の受話器を戻すとカノジョは背もたれに実を預けて一息ついた。


お風呂上がりだろうか、彼女の身体は火照っており、部屋の寒さと感想も相まってかすかに蒸気が白く体の周りを纏っている。


「ふぅ……」


少女は部屋にかかっていた寝巻きに着替えてベッドの上に転がった。


いつもと違うマットレスの感覚に少々の興奮を覚えて足をバタバタしたり腕を重力で倒して跳ね返らせたりと随分とその歳に見合わぬ幼い遊びを五分くらい楽しんでいた。


しかしそんなことはどうでもいいのだ。


彼女の頭の中には一人の異性で脳内のメモリーを埋めつくされていた。


いくら劣勢な立場に立たされたからと言ってもこんなにも呆気なくあしらわれてしまったのは彼女にとって初めての経験であった。


『普段であればもっとゆっくりと本心を探り探られ話題の結論に持っていくのが常識ですが、彼ははなから私に意識していませんでした。


私は最初から彼に会話の主導権とリズムを持っていかれていました。


出会ったのは偶然であろうが、私の境遇を察した時には理解した上で話を振ってきたのでしょう。そして私が借りを作りたくないがために反抗してしまい、話が長くなると思った彼は長々と御託を並べず、そして私に並べさせずに早急に結論へと至らせた訳です。


私は負けたのですね。


今日の夕方に学校が終わり、車がいつもと違う方向に向かっていると思った時にまさかとは思いましたが嵐山に続いて再び弾丸一人旅をさせられるとは思いもしませんでした。


お母様曰く、学生時代に尊敬していた御友人からのアドバイスを受けてこの一人旅をさせたのだとか…


嵐山では上手く行ったのですが、今回は家にスマートフォンを置いてきてしまいましたし、特急電車と言われる速い電車に乗ったと思えば、椅子に座っていると眠くなってしまって気がつけばこんな辺境に……


体がこんなに凍えたのは人生で初めての体験でした。そしてこのような宿に泊まったのも、外にいる一般の方とお話したのも人生で初めてのことでした。


毎回車を出る度に「可愛い子には旅をさせよと言いますものね……」としくしく袖を濡らすお母様に見送られ、貸し切られた鉄道に乗り、改札を出れば見知った車が止まっており、文献で読んだ旅とはもはや正反対の一人旅になんの意味があるのか分かりませんでしたが、今日に限っては彼との出会いも相まって、色々なことを知ることができたと思います。


この日は間違いなく私にとって大きな大きな一歩を踏み出した一日であったと誓って言えましょう。


胸ポケットに刺さった日課の日誌を書き終えた彼女は流石に疲れていたのか、すぐに夢の世界へと旅立った。



────────────


お読み頂きありがとうございます。


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皆様のお時間を少しでも満たせて頂けたのであれば幸いです。


お気に召されましたらぜひ次話以降もよろしくお願いします。


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