第2話 憂鬱の冬

憂鬱な月曜日になった。



今週から気温はぐんと下がり、日本海側から来た雨雲が乾燥した風となり、赤城おろしとして俺らに牙を剥く予報だ。


まだ日が登って少したったくらいだと言うのに、もう既に部屋の窓ガラスはガタガタと悲鳴を上げている。


ヒュオー…ビュォォオーという家と家の間を吹きぬける風の音と、窓ガラスを打つブワッという鈍い音が高頻度で起こることにより、俺の毛布から出たくない衝動がより一層強くなる。


あぁ、このまま昨日の夜から体温で育てた暖かい毛布の中でぬくぬくしたい。学校なんて行きたくない。


だが学生という身故に本分は勉学であり寝る事では無い。


俺は意を決して毛布を蹴り上げ、冷たい部屋の空気を大きく吸い込み目を覚ます。


一階に降りれば母さんが朝ごはんを作ってくれているはずなので、ご飯ができるまでの15分で軽くシャワーを浴びる。


お風呂を上がると、飼っているノルウェージャンフォレストキャットという種の猫三匹に擦り寄られて毛まみれになる前にさっさと餌をあげる。


そして学ランに着替えてダイニングの席につけば既に目の前にはご飯が並んでいる。


目玉焼きに焼かれたウインナー、お麩が入った味噌汁に一杯のご飯。


今日は時間に余裕が無いのでポットに入った緑茶と共に急いで口の中にかきこみ、歯を磨き、学校指定の革鞄をリュックのように背負って玄関を出た。


その瞬間にヒュオッ!!という冷たく肌に刺さるような風に煽られて『仮病を使うか。』と、家に戻りたくなる衝動に駆られるが、家の前に蒼真が既に居たとなればもう誤魔化すことなどできない。


「おはよぉー凪紗!!」


朝とは思えない透き通ったよく響く声。


蒼真のチェック柄のマフラーの隙間から白い息が上がっている。


「ああ、おはよう。」


傍から見れば毎朝一緒に通学するカップルに見えるだろうがこいつは男だ。


返事をする俺の視界も自分の息で薄く白く濁る。呼吸をする度に乾燥した冷たい空気が肺に入り、まだどこかぬくぬくと家モードだった体をピシッと冷ます。


「じゃあ行くか。」


俺はロードバイクの鍵を外して蒼真の隣まで歩き、ネックウォーマーを耳と鼻まで隠すように持ち上げてペダルを強く踏み込んだ。


「あ!待ってよ〜、凪紗速いんだよ!!」


「しらん。」


俺らが住まうニュータウンを抜けると、強い北風が俺らの背中を押して田んぼ道をまっすぐ真っ直ぐ進んでいく。これが帰りは向かい風で地獄なのだ。マイケル・ジャ○ソンみたいにそのまま倒れようとしても倒れないくらいに強い風は追い風なら最強の味方となり向かい風なら最悪の敵となる。


校庭で野球部の坊主たちが監督の目を盗んで5、6人同時に風に向かって倒れる姿はいつ見てもお坊さんがマイ○ル・ジャクソンのダンスを踊ってるみたいで笑ってしまう。


ここは群馬県の東毛エリア。夏は40度を超える暑さと市を取り囲む二つの河川による湿度で人々を蒸し、冬は乾燥し荒れ狂う砂嵐と共に氷点下の暴風が我らの肌と心を凍りつかせる。生活難易度が少々高いエリアではありつつ災害が非常に少ない安全なエリア。首都に近くとも遠からず、起伏の少なさ故の全国有数の工業地域として近年頭角を見せているエリア。


そんな都市のニュータウンで俺らは日々を過ごしている。


「はぁ、おはよう、凪紗に、蒼真。」

「はぁ、はぁ、おは、よう、二人とも…」


「ああ、おはよう。」

「おっはよ〜!!」


クラスに到着すれば、その顔色を見ることで学校より南に住んでるか北に住んでるかがはっきり分かるのもこの地域に住まう人達ならではの体験だ。


学校の北側の窓もまた、北風に揺られてガタガタと大きな音を立てる。


そんなんこんなで始まる一日は始まる前こそ憂鬱であるものの、いざ始まってしまえば憂鬱の二文字はどこにもなく、日常として俺らの華やかな学生生活を色付けるのである。


明日は祝日。蒼真と共に今日の夜から一泊二日の旅行に出る予定だ。


あと数時間すれば出かけられると思えば一日など一瞬だ。



……



「ごめん凪紗!!実は明日外せない用事が出来ちゃって一緒に出かけられなくなっちゃったんだ!!」


学校の昼休みの事だ。


親からどうしても抜けられない用事が明日にできたから空けておくようにと告げられたそうだ。


俺らは今日の夕方に家を出発し、目的地まで電車で向かったあと、そこで一泊して明日一日を観光に充てると言った予定を立てていたのだが、そういうことならしょうがない。


「今日ホテルの予約をキャンセルしても返ってくるお金ないから誰か適当に誘って使ってよ。予約番号はメールで送っとくね!」


そう言って蒼真は御手洗へと向かって行ったのだが、今更「今日の夕方から明日にかけて一泊二日の弾丸旅行しようぜ。」なんて言って来るやつなんている訳もない。


ホテル代は浮いても、交通費がかかるからだ。ここの学校の最寄りは太田駅で最低でも今回の目的地への片道料金は1600円。往復3200円に加えてそこからのバス移動もある。そしてご飯も食べるとなると、この一回の旅行で7000円は欲しいところ。


高校生に弾丸旅行7000円はちょっと厳しいものがあるし、好きでも無いことに付き合わせて支払わせるのも申し訳ない気分になる。


かと言って俺に来てくれた人の分も払えるほどの金銭的余裕は無い。


つまり元から俺に選択肢などなかったも同然であり、今日俺は一人で旅行に行くわけだ。


「一人旅か〜。」


最近蒼真と行くことが多かったから、久しぶりの一人旅になる。少し寂しいなと思ったのは、聞いたら絶対に調子に乗る蒼真には内緒だ。


帰りはいつも通り、雲ひとつないグラデーションかかった綺麗な夕焼けとは裏腹に、地獄の形相で蒼真と共に突風へと突き進みながら家へと帰る。


家に着いたら目と口が乾燥しすぎて涙が出たり声が出なくなったり、砂混じりの鼻水や目やにができるのもこれまた日常。


軽くシャワーを浴びて、準備していた大きめのバックパックを背負って、買い物ついでの母さんに駅まで送って貰う。


「気をつけて行ってきなさい。」


「了解。」


俺は車のドアを開けてロータリーに降りる。


いつも俺の旅の始まりはここであり、終わりもここである。大きな高架駅はその規模上北関東1の高架駅であると言えよう。


最近はなかなか見ない切符入れを開けて鉄道会社の株主優待券が二枚あることを確認する。


これがあるとその鉄道会社の路線内であればどこからでも片道無料で乗れるのだ。たまに金券ショップなどで700円くらいで売っているので片道700円を超えるのであれば買いに行くのもありかもしれない。


しかし俺は親が元々株主なので、その優待券を譲ってもらいよく旅行に出かけている。


そのうちの一枚を改札に入れて構内に入ると、ホームから大量のお客さんが一階へと降りてきた。


時刻は夕方の5時45分。ちょうど帰宅ラッシュの時間帯だ。恐らく普通電車が到着したのだろう。スーツを着た社会人や制服を着た学生達でコンコースは埋め尽くされている。


俺はその中をかき分けるようにしてホームへ昇るエスカレーターに到達する。


乗客の乗り降りが完了し、階段周辺が一気に静かになると、(エスカレーターにお乗りの際は、手すりに捕まり、ステップの中央にお乗り下さい。)という聞きなれたフレーズがホームやコンコースに響く。


電車の到着や出発間近にならない限り人の数がまばらなのは地方の駅あるあるかもしれない。


ホームに到着すれば白に青と水色のラインが入った普通電車がたくさんの人を詰め込んで次の駅へと走り出した。


そして目的の電車を待つこと10分。キンコーン、キンコーンと電車到着のチャイムが鳴り始めて駅員さんの放送が始まった。


(まもなく1番線には特急電車の浅草行きが参ります。途中の停車駅は足利市、たte───)


丁寧な放送とともにキーッというブレーキの音を立てながら白に赤と黒のラインが入った電車が到着。車内に入り右手にある特急券の座席番号を座席上に書いてある番号とにらめっこしながら自分の席を探す。


進行方向右側の窓側席に座ると電車はゆっくりと出発する。駅のホームを出ると右側は地方都市らしい駅前だけが栄えている街並みと、左側の車窓には大手自動車メーカーの広大な工場と広大なビルが光を放っており、美しさを感じると共に、この光が労働によって発生している光であることに、心の奥で働く人達に敬意を表す。


電車はそのまま加速していき、気がつけば住宅街の裏を颯爽と走り抜け、気がつけば真っ暗で何も見えない田園地帯の中、国道を走る自動車と並走する形で平野を駆け抜けていた。


一人旅もたまにはいいものだ。こうして電車の走行音と移りゆく景色をぼーっと眺めながら物思いにふける時間がとても趣深い。


(ご乗車お疲れ様でした。まもなく動物公園、動物公園です。お出口は左側です。)


ホームに降りて対面のホームに止まっている普通電車中目黒行きに乗り込む。


降りる駅は埼玉県の春日部だ。


春日部駅と言えば某子供向けアニメの聖地であり、駅名標や駅舎の至る所にそのラッピングが施されており、発車メロディもアニメのオープニングやエンディングだったりする。


コンプラの関係でおしりなどが映せなくなってしまったそうだがそこはどういった対策を取っているのだろうか。


ふとドア上の行先モニターを眺めてみる。


自分の住んでいる地域を走る普通電車と違って、シートの端にはそで仕切り板があり、ドアの上には大きなモニターが三つもくっついている。


ここまで来ると流石に首都圏に来たなと感じるものだ。しかし今回首都圏エリアに入っている時間は一瞬だけ。動物公園駅を出発して二、三駅程で春日部駅に着いてしまう。


駅のホームにおりると、この駅もまた太田駅とは比べ物にならないほどの退勤客で溢れており、人の波が留まることを知らない。大きなリュックで移動するのも難しいほどである。


しかし何とか階段を昇って違うホームへと移動し、次に乗る電車を待つ。


最終目的地へは次の電車が最後になる。次に乗る電車もまたもや特急電車。しかし今度は群馬、東京方面に向かうのではなく栃木方面に向かうものだ。


ふかふかなシートで個室がある事としても有名な車両だ。


到着した電車に乗りこみ再び特急券と座席番号のにらめっこを始め、席に座る頃には既に駅を出発したあとであった。


途中の動物公園駅までは同じルートを走り、そこから日光線という違うルートを通って栃木の日光へと向かう。


そう。今回の目的地は日光だ。華厳の滝は日本三大名瀑に数えられており、そこの紅葉もまた前に蒼真と行った嵐山と並んで日本三大紅葉名所の一席に腰を据えている。


言わずと知れた日本の観光名所の一角だ。


今回はそんな日光を観光しようという訳だ。


観光というのはその地に着いてから始まるものではなく、移動から始まっているものだと俺は思っている。移りゆく景色を見て非日常を徐々に感じていく往路と徐々に日常へと変わっていく復路によって、この旅情というものは引き立てられるものだ。


そうは言いつつも、移りゆく真っ暗で何も見えない景色に飽き始め、緩やかな電車の揺れによって俺は言葉通り夢の世界へと足を運んでしまった。


(長らくのご乗車お疲れ様でした。まもなく終点の日光、日光です。お忘れ物、落とし物のございませn───)


『うわっ、寝てた……』


気がつけば終点の日光到着放送が流れており慌てて起き上がった俺はバックパックを肩に通し、近くのドアへと歩き出したのだった。



─────────



お読み頂きありがとうございます。


是非ともレビュー☆、応援♡、フォローの程をして下さるととても励みになります!


補足になりますが日本三大名瀑は日本を代表する三つの滝の事です。


ちなみに私から言わせていただくと、日光旅行は私鉄(○武鉄道)の特急を使うのがオススメです!



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