第3話 中編2

翼が生えてから、一カ月が経った。

流石に勉強が危ないので、授業はオンラインで受けるようになった。翼は、数時間仕舞うこともできるようになったが、何かの拍子で開いてしまうことも度々ある。

家に引きこもっているので退屈だ。それでも、莉央奈が遊びに来てくれるから生きていける。

そんなある日の休日。

「え、……遊びに?」

「そうそう、どうせ暇でしょ?偶には気分転換しないと」

「だからって遊園地は……」

難色を示すと莉央奈は不意に項垂れた。

「そっか、駄目だよね……。ごめん」

香純は慌てて首を振った。

「あ、違うの……これは……しばらく病院以外に行ってないし……その……」

しばらく葛藤したが、香純は折れた。

「分かった。行く」

するとパァッと莉央奈の顔が晴れた。尻尾があったら激しく振っていたことだろう。

「じゃあ明日ね‼︎約束‼︎」

莉央奈の満面の笑みに釣られて、香純も笑った。

「うん、楽しみ」


久々にお洒落をした香純を見て、母は目を瞬いた。

「香純……どこか行くの?」

「莉央奈と、遊園地で遊んでくる」

母は柔らかく微笑んだ。

「楽しそうね、いってらっしゃい」

「いってきます」

「あ、待って」

呼び止められて首を傾げる。

「何?」

母は一転して厳しい顔になった。

「たぶん大丈夫でしょうけど、一応ね。『悪魔病患者が病院から脱走した』ってニュースがあるから、気をつけて」

「悪魔病……私と同じ、羽があるの?」

「いいえ……確か、性格が残虐に変わってしまう、身体よりも精神への影響が強い奇病の一種と聞いたわ。不審者を見たら、すぐ逃げなさい」

「分かった」

頷くと、母はまた優しく笑った。

「じゃあ、今度こそーーいってらっしゃい」

「いってきます」

久々の、友達との外出。

楽しみだ。


「ッハハ‼︎ジェットコースターサイコー‼︎」

「……」

香純は、もう何度目かも分からないジェットコースターに乗せられていた。しかも何回転もするタイプの。

莉央奈はこれ以上ないほどの笑顔を魅せているが、生憎香純は絶叫系が苦手だ。

もう叫ぶ元気すらもない。

「はぁ……た、偶には別の、乗ろう……よ」

ふらふらと莉央奈に縋り付くと莉央奈は唇を尖らせた。

「香純のケチー」

「うる、さい」

「ま、いっか」

莉央奈はグルリと辺りを見回してーー

「じゃあ、観覧車乗ろうよ」

そう言って観覧車を指差した。この遊園地の一番の目玉でもある。

数あるアトラクションの中で、香純の一番のお気に入りはこの観覧車だ。

やっぱり、莉央奈は香純のことをよく分かっている。

「良い?」

「大丈夫」

「じゃ、早く行こ‼︎」

莉央奈に手を引かれ、香純はふらふら歩き出した。正直もう少し休みたい。

「……なんか……いつもよりテンション高くない?気のせい?」

嫌味混じりに呟くと莉央奈はピタリと動きを止めた。まるで時間が止まったかのように。

「……そうかもね」

「……莉央奈?」

笑った顔が泣きそうに見えたのは気のせいか。

「……話したいこと、あるんだ」

「……話したいこと?」

首を傾げると莉央奈は何も答えずに歩き始めた。

「……え、話って何?ちょ、ちょっと待って‼︎」

結局、観覧車に乗るまで莉央奈は一言も口を利かなかった。

「どうしたの莉央奈……?変だよ」

「……そうかもしれない」

莉央奈は上の空といった様子で窓から外を見ていた。つられて香純も外を見る。

「きれい……」

観覧車から見る景色は、おもちゃ箱みたいに賑やかで明るかった。色とりどりのアトラクションと蒼い空がよく見える。

「……天使の羽で、空を飛んだりできるのかな」

ポツリと呟くと莉央奈は目を伏せた。

「……末期の天使病患者なら、飛べるらしいよ。身体が、天使と同化してるから」

「相変わらず、詳しいよね」

「……お母さん達、奇病の研究者なんだ」

莉央奈はチラリと香純を見た。

「……今まで、黙っててごめんね」

あまりにもテンションが低いので、香純は慌てた。

「ちょ、……さっきまでのテンションはどうしたの……。別に謝ることないよ、元気出してよ」

「……香純は優しいね」

「優しいって……。そもそもそんなことで怒る人なんていないと思うけど」

莉央奈はまた黙ってしまった。

「……さっきの話したいことって、それ?」

「……うん」

あまりに莉央奈が暗いので、香純は無理矢理明るい声を出した。

「なんだ、莉央奈がそんな葬式みたいな雰囲気出すから、一体何事かと思ったのに、たったそれだけ?ビックリさせないでよ」

そう言うと莉央奈は笑った。

「ごめん」

その後の莉央奈は、いつも通りだった。



夕方になるまで、二人は遊園地を満喫した。

(結局……言えなかったな)

両親が奇病の研究者であることなんてどうでもいい。本当は、もっと別の話をしたかった。

言えなかったけれど。

「はあ〜、今日は楽しかった‼︎ね、香純?」

後ろを振り返ると、香純が蹲っていた。

「か……香純?」

慌てて近づくと香純は苦しそうに莉央奈の服を掴んだ。見れば顔も真っ青である。

「あ……もしかして酔った?」

気晴らしにたくさん絶叫に乗ったは良いものの、香純を連れ回したのは駄目だったか。

青ざめる莉央奈をチラリと見て、香純は首を振った。

「ちが、う」

「違う……?酔ったわけじゃない?」

「……すごく、きもちわるいの、なにか、いる」

辿々しく香純は言葉を紡いだ。

(まさか……天使病の症状?)

必死に記憶を手繰り寄せる。天使病の症状には、どんなものがあったか。

「……すごく、こわいの、あくま、いる」

「……悪魔?」

(そういえば……悪魔病の患者が病棟から脱走したとか聞いたような)

悪魔病患者は精神を蝕まれる。進行すると元の人格が跡形もなくなってしまうため、病院に隔離されることも多いようだ。

(まさか、それが感じ取れるって言うの?)

初耳だが、謎が多いのが奇病だ。あり得なくはない。だが、逆に言えば、それくらい香純の病が進行しているとも受け取れる。

(私の……せいで)

莉央奈が、香純の恋路を邪魔したから。

いや、今はそれはいい。

今は、香純を助けなくては。

蹲る香純の背に手を当てる。あぁ、周りの目が煩い。見ているなら誰か香純を助けてくれ。

「……落ち着いて、香純。私が傍にいる。何があっても、絶対に香純を守る。だから教えて、どこに悪魔がいるの?」

震える指で、香純はある場所を指差した。

(……⁈なんで、あんなところに)

香純が指したのは、観覧車だった。観覧車の骨組みの上に、そいつはいた。

「悪魔……」

禍々しい角と尾と、蝙蝠のような羽を持つ悪魔。真っ赤な瞳孔と、漆黒の水晶体の、人間離れした顔立ち。

それでも。

(……私の、せいだね)

あぁ、知りたくなかった。病棟から脱走した悪魔病患者が、竜胆だったなんて。

大切な、幼馴染だったなんて。

私が入る隙もなく、二人とも、互いが好きだったんだね。

「……あれ、竜胆だよ」

そう囁くと香純は目を見開いた。

「りんどう……?あれが?」

そう呟いて悪魔を凝視している。

「……『悪魔病』って言ってね。負の感情が拗れると発症するんだよ。進行すると人格が破綻して周りを傷つけるようになる」

「……どうすればなおるの?」

莉央奈は首を振った。知らないんじゃない、言いたくなかった。

悪魔病には一つ確実な治療法があるらしい。これをすれば再発することもない。その方法はーー


愛する人を殺すこと。


だから莉央奈には何も答えられない。

「……たすけなきゃ」

香純は不意に呟いた。たすけなきゃ、たすけなきゃ、何度も何度も呟いた。

「…………どうやって」

香純はよろよろと立ち上がった。

「だって、ほっといたらまわりのひとをきずつけるんでしょ?」

「……答えになってない」

香純は笑ったようだった。

「私は、竜胆が好きだから」

だから助ける、そう微笑んだ。

「嫌、……待って」

香純は神に祈るように手を組んだ。

「待って……行かないで」


バサッ


香純の背に、純白の翼が生えた。

周りはより騒然となった。

警察を呼べ、逃げろ、そうやって騒々しい。

「待ってて、竜胆」

莉央奈の願いは、香純に届かなかった。


そこからはあっという間だった。

美しい天使が空を舞った。優しさに満ちた慈愛の天使。

禍々しい悪魔はその天使をボンヤリと見つめていた。澱んだ瞳に、微かに光が宿った。

「竜胆」

竜胆の傍に降り立った香純は彼を優しく抱きしめた。

「か、すみ……?」

竜胆は掠れ声で呟いた。香純は優しく微笑んで、そのまま竜胆と共に地に舞い降りる。

「かすみ……おれは……?」

「竜胆、私ね、竜胆が好きだよ」

香純はサラリと告白した。もう、時間がないことを悟っていた。

「ずっとずっと、大好きだったよ」

あまりに淡々と、だが確かな熱を持って。

香純を眩い光が包む。

「香純……。俺、は‼︎」

「さよなら」

竜胆は咄嗟に香純に手を伸ばした。抱きしめようと、行かないでと縋った。

でも。

その場を純白の羽根が舞った。視界が晴れた時には、もう。

もう、香純はこの世にはいなかった。

そして。

竜胆に巣食っていた悪魔も、いなくなっていた。

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