第2話 中編1

結局、香純は莉央奈が病院に連れて行くことになった。

(俺には、何もできない)

授業も部活も放り出して、そのまま家まで帰ってきてしまった。

『天使病はね、恋に苦しむ女性が罹ることが多いんだよ』

帰り際、莉央奈に言われた言葉を思い出す。

それだけで、胸が苦しくなる。

香純が想う相手は、一体どんな男なのだろう。

数年間ずっと彼女を想って、なんなら結構分かりやすいアピールをしているつもりだが、香純には全く伝わらない。

だが、本当は気づいていないのではなく、知らないフリをしているのだろうか。

香純は優しいから、直接フることをしたくないだけなのかもしれない。

(あぁ……イライラする)

とりあえず寝てしまおう。こんなイライラは忘れてしまおう。

香純の前では、醜い自分は見せたくない。


妙な夢を見た。

「何だよ……ここ」

真っ黒な空間に竜胆は一人立ち尽くしていた。

暗くて、静かで、とても恐ろしい。

『あんた……みは』

どこからか微かに声がする。

『あんたの望みは?』

今度ははっきり聞こえた。淡々と、それでいて悲しみを含んだ声。

「何だよ急に」

『良いから答えろ。あんたにはその資格がある』

「はあ?」

竜胆は戸惑いつつも、思わず呟いた。

「あいつに俺を見てほしい」

声の主はクッと笑った。

『そうか。叶うと良いな』

「あ、おい、ちょっと待て」

目眩がして、竜胆は意識を失った。


次の日。

「ーーう、竜胆?起きなさい!」

煩わしい声がする。

「……うるっせぇな‼︎」

声を荒げて飛び起きる。

リビングに降りると母親がキョトンとした顔で竜胆を見ていた。

「……何?鬱陶しいんだけど」

(何だろう……すごくイライラする)

「竜胆……今日は学校を休みなさい」

「あ?なんで」

「鏡見なさい」

そう言うと母親はどこかに電話をかけ始めた。

思わず舌打ちをして洗面台に向かう。

(……別に何もないじゃねぇか)

別にいつも通りの顔だ。角が生えているわけでも、天使の羽が生えているわけでもない。

目も耳も二つ付いているし、鼻も口もある。

また舌打ちをしてリビングに戻る。

「鏡見たけど」

「あらそう、じゃあ病院行くわよ」

「はあ?」

竜胆は雑に頭を掻いた。

「何が『じゃあ』だよ。頭湧いてんのか」

「頭湧いたのはあんたの方よ。……あら、もしかして自覚ないのかしら」

手を頬に当てて彼女はおっとりと言った。

「あんたの目……白目の部分が黒くなってるし、なんなら随分暴力的になったわねぇ」

「はあ?」

全然理解ができない。竜胆はいつも通りだ。

「まあ自覚がないならいいわ。病院にはもう予約入れちゃったもの」

結局、丸め込まれてしまった。


自覚がない病気で掛かる病院ほど面倒なことはない。

「後天性心理異常症候群ですね。何か変わったことなどありませんでしたか」

「……」

変わったこと。そう言えば変な夢を見た気もするが、よく覚えていない。

黙ってしまった竜胆を見かねてか、付き添いの母親が口を開いた。

「この子の幼馴染の香純ちゃんも、昨日奇病を発症したみたいなんです。何か関係が?」

「ああ。なら感染源はその子でしょうね。奇病というものは、縁のある者を通じて感染する。その子の症状は分かりますか」

「何でも、天使の羽が生えたとか……」

医者は驚いたように目を瞬いた。

「これは面白……いえ、何でもありません。降谷さんの症状は、カウンセリングや安定剤で落ち着かせるしかないでしょう。原因に心当たりもなさそうですし」

そこで診察は終わった。

竜胆の苛立ちが収まることはなかった。



数日後。

(カウンセリングか……何聞かれるんだろう)

天使の翼は相変わらず香純の背中にあった。

「香純……大丈夫だよ!私もいるから‼︎」

カウンセリングの待合室で、莉央奈は香純に微笑みかけた。

普通なら母が付き添う場面だが、母は香純のことをよく分かっている。莉央奈が側にいる方が、香純が安心できることを知っていた。

「……あ、誰か出てきた。次私達かな……ってあれ、まさか竜胆……?」

(え、竜胆……?)

慌ててそちらを見ると、確かにその人は竜胆だった。表情は見えないが、雰囲気で分かる。

「まさか……私のせいで奇病に……?」

「違うでしょ。確かに感染性って話もあるけどさ、まだ科学的根拠なんてないんだから」

莉央奈は早口でそう呟いた。

「竜胆も学校生活にストレスの一つや二つあっても不思議じゃないよ」

「そのストレスの原因が私だったら……」

「心配しすぎだって。恋する乙女は心配性だねぇ」

莉央奈にニマニマと頬をつつかれたので、香純は代わりに思い切り頬を引っ張ってやった。

「痛いいひゃい‼︎暴力反対‼︎」

香純は思わず笑ってしまった。

竜胆がここにいる理由については、頭から抜け落ちていた。


カウンセリングは、普通に終わった。毎週行うらしい。そのうち、原因となる拗れた想いも薄まるだろう。

でも。

(やっぱり、少しずつ羽が大きくなっているような……)

部屋の姿見の前で、香純はクルリと回った。動きに合わせて、羽根がヒラヒラと舞う。

薬とカウンセリングの効果か、一時的になら翼を仕舞えるようになった。ほんの10分程度だが、着替えなどには困らない。

(でも、やっぱり……早く想いを断ち切らないと駄目かな)

香純と似たような症状の人は一定数いるらしい。まとめて天使病患者と呼ばれるようだが、亡くなった人もいるようだ。

(でも、告白して今の関係が終わってしまったら……)

私の想いに応えてほしい。けど関係が崩れるくらいならこのままの方が良い。

(私、わがままだな……)

どうして、天使病になんて罹ってしまったのだろう。恋か、命か、天秤に懸けろなんて酷い話だ。

莉央奈は恋を応援してくれているが、やっぱり勇気が出ない。

いっそ。

いっそ、何かが変わってしまう前に、消えてしまった方が楽なのかもしれない。



香純の容態は安定している……らしい。

莉央奈は自宅の書斎を漁っていた。

香純にすら言っていないが、莉央奈の両親は後天性心理異常症候群の研究者だ。だから書斎の研究書を読んで、奇病の情報を集めている。

「えっと、天使病の詳細は……あった」


・天使病

 天使病は特に若い女性が発症する確率が高い。理由は天使病の原因となるのは多くが恋の悩みだからだ。天使は少女達の美しい想いを愛し、喰らう。そして最終的には、想いだけでは飽き足らず、少女達を天に連れて行く。末期の天使病患者達は皆、最期に白い羽根を辺りに撒き散らして美しく消滅する。


「……消滅」

小さく呟いて莉央奈は唇を噛んだ。やはり、治療法は恋を成就させるか諦めるかしかないようだ。

香純がいなくなるなんて、耐えられない。

「……そうだ、竜胆はどんな症状なんだろ」

さらに書類を読み進める。

ふと、ある病が目に留まった。


・悪魔病

 悪魔病は特に若い男性が発症する確率が高い。理由は不明だが、もっとも負の感情が強まる時期だからだとされている。悪魔は少年達の醜い想いを肯定して、それを増幅させて喰らう。そして最終的には、さらなる負の感情を喰らう為に患者達や、周りの人々を苦しめる。この為、悪魔病は再発しやすいとされる。


「……これかな。『天使病と悪魔病の患者は、惹かれやすい』とも書いてるし」

悪魔病患者は非行に走りやすくなるため、天使病以上にカウンセリングや安定剤が重要視される。

「……二人とも、大丈夫かな」

思わず呟いた後、莉央奈は苦笑した。

「……大丈夫なわけないか」

けれど。

「ごめん、二人とも。私には……何もできない」

恐怖を押しつぶすように、莉央奈は書類を読むのに集中した。

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