厄日かな?

 102号室には、悪霊が取り憑いている。

 そう断言した女は、しらけた表情の徹を見て、むっとしたように頬を膨らませた。

「事の重大さを、理解していらっしゃらないようね」

 見たところ、年齢は20はたち前後か。

 若さゆえの無謀なのか、妙に自信に満ちている。

「このアパート自体、『大陸てゐ』では有名ですのよ。決して住んではいけない魔境だと」 

「何だ?『大陸てゐ』って」

 不思議そうに振り返った徹に、クレイヴが耳打ちする。

「事故物件サイトだよ。曰く付きの物件がたくさん載っているやつ」

 徹の後ろから顔を覗かせたクレイヴを見て、白いヘッドドレスの女は「ひっ」と短く声を上げた。

 玄関が暗かったので、目の前に出てくるまではクレイヴの顔が良く見えていなかったのだろう。

 こういう反応には慣れている。

 徹も、いちいち怒ることは辞めるようにしている。

「あ、あ、あなた、それ」

 大袈裟に首を振りながら、自称霊能者の女が後ずさった。

「悪霊の仕業ですわ! 悪霊のせいで、そんな顔に…」

「こいつの傷は、ここに越してくる前からだ」

 冷ややかに言い切った徹を無視して、女はクレイヴに食ってかかった。

「良くそんな顔で人前に出られるものですわね! ああ、わたくしゾッとしますわ。その無神経な魂が、きっと悪霊を引き寄せるんですわ」

「おい、姉ちゃん」

 見兼ねた隣人の草麻くさま ひろしが、口を挟んだ。しかし女は、ぷいとそっぽを向いただけだった。

わたくし、醜いものを見ると鳥肌が立ちますの。自分が醜いという自覚がおありなら、整形なり何なり改善してはいかが?」

 OKクソ女、わかったよ。

 徹は、頭の奥がすっと冷えていくのを感じた。クレイヴが口の動きだけで「やばい」と呟く。霊愛が床にそっとメモ用紙を落とした。

『徹君、クレちゃんのことになると、見境ないから…』

 クソ女、化粧は濃いがあんたは確かに美人だよ。

 でもな。

 どうにもならないことだってあるんだよ。

 吸血鬼が銀の刃で傷つけられるとな、細胞が死んで整形すらできないグチャグチャの蚯蚓みみず腫れみたいな痕が残るんだ。

 皮膚移植したって、移植した皮が駄目になる。

 大体、誰が望んでこんな傷を負う?

 傷痕だけじゃない、クレイヴは銀毒の後遺症で、今も…。

「わかった」

 徹は、優しそうに…三白眼の吊り目では、却って不気味に見えるほど優しそうに微笑んだ。

 まずい。

 本格的にまずい。

 クレイヴは自称霊能女には見えていないらしい霊愛に向かって呟く。

「ああもう、夜子ってば何で出かけてるんだ?」

『依頼人と打ち合わせだって』

「さっき一回帰って来たのに?!」

『今月の家賃おいてっただけだよ』

 クレイヴと霊愛だけでは、こうなった徹を止められない。

「なあ。あんた、名前は何て言うんだ?」

 急に態度を軟化させた徹に、女は一瞬、面食らった表情を見せた。

わたくし、こういう者で…」

 差し出された名刺…と、呼ぶには余りにきらびやかな装飾のカードには、次のような文章が綴られていた。


 ✝占いアドバイザー兼悪霊バスター✝

 魔梨杏マリアン


「山崎さん? 山崎さーん!」

 クレイヴは、103号室のインターフォンを連打していた。

「助けて! 徹が女の子殴っちゃう!」

 元ホストとして、女性への暴力は阻止したい。示談にするにしても、夜子の財力なくしてはどうにもならない。

「そうか、魔梨杏ヌ」

 徹が、自称霊能者・魔梨杏ヌの手首を掴んだ。

 魔梨杏ヌがびくりと身体を震わせる。

「な、何を…」

 口元に笑みを浮かべたまま、徹の目は完全に据わっていた。魔梨杏ヌは徹の手を振り解こうとしたが、女の力ではどうにもならない。

「よせ、徹」

 草麻が声を掛けたが、徹の耳には届いていない。

 魔梨杏ヌの目に、初めて怯えの色が浮かぶ。

「は、離して…」

 惨劇を防いだのは、103号室の隣人、山崎さんだった。

 『ぽん』というよりは『ぼたっ』と肩に置かれた、緑色の粘液質な手(?)を見て、徹が眉毛を寄せる。

「山崎さんか。悪いけど、今…」

 言いかけた後で、徹は再びにやりとした。

「ああ、そうか、山崎さん。この女、食いたかったら食ってもいいぜ」

 夜子の元恋人と、その護衛だったらしいエージェント・スミスもどきA&B。

 3人は山崎さんに身体を溶かされて、骨だけになってカフェバーのオブジェに紛れている。

「無理だよ、徹。さっき1人食べたばっかりだから、お腹空いていないってさ」

 どういうわけか、クレイヴには山崎さんの言葉がわかるらしい。

「あの女子大生か」

 すっかり忘れていたが、山崎さんは徹のストーカーで夜食を済ませたばかりだった。

「だからさ」

 クレイヴが、隣人の暴力団構成員に向き直った。

「草麻さんに頼んで、203号室の鍵、貸して貰ったらいいんじゃないかって」 

「あの部屋か?」

 草麻が僅かに顔をしかめる。

「女の子にはキツすぎねぇかな」

 草麻 大は、『コーポきぼう』の部屋を2つ借りている。1つは、自身が愛猫のシャブ太と暮らす103号室。もう1つは、2階の203号室だ。

 203号室の家賃だが…何と、驚きの月300円。

 正直なところ、月に3万円貰っても絶対に住みたくない部屋だ。

 草麻は主に、借りた金を返さない債務者や、クスリの代金を踏み倒す輩を閉じ込めるのに使っている。

「203号室、か」

 徹の目に、残忍な光が宿った。

「おい、魔梨杏ヌ。お前、悪霊を祓いに来たんだよな?」

 すっかり血の気の失せた霊能者は、それでも気丈に頷いた。

「え、ええ。そうですわ」  

「だったら、このアパートで最強の悪霊を退治して貰おうか」

 草麻から受けとった203号室の鍵を、魔梨杏ヌの前で振って見せる。

「それができたら、俺達の部屋に入れてやる。後は好きにすればいい」

「203号室? そこは何も…」

 怪訝そうに首を傾げた魔梨杏ヌの唇が、やがてゆっくりと半月を描く。

「よろしいですわ。わたくしの力、しかとご覧あそばせ!」

 203号室に、霊の気配は無い。

 祓った振りで十分事足りる。

 おおかた、そんな風にでも考えているのだろうが。

「あーあ」  

 クレイヴが溜息をついた。

「可哀想に」

『山崎さんも、残酷なこと提案するね     

  Σ(・∀・;)』

 霊愛の姿が見えていない時点で、魔梨杏ヌに大した力は無い。最も、203 号室に関しては、霊感の有無がまるで関係ないのだが。

「発狂しないといいけど…」

 徹の馬鹿力で殴られた方が、幾分マシだったかもしれない。

「俺、山崎さんにあの部屋のこと、まだ教えていなかったんだけどな」

 ブツブツと呟く草麻の隣で、クレイヴは2階への外付け階段を登る2人を、合掌しながら見送った。

 

 

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山崎さんへの手紙 酒呑み @nihonbungaku

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