ご近所付き合い
山崎さんは徹たちの隣人だ。
すぐ左の103号室に居るのだから、会いたいと思えばいつでも会える。
真夜中を告げる時報が鳴った。
アパート2階、202号室の住人が奏でるギターと熱の籠もった叫びを背に、大須田徹は食事の支度を始めた。
徹と仲間たちは、102号室に住んでいる。
コーポきぼう、とは名ばかりで、住人達は人生に希望の欠片も無いような奴ばかりだ。
部屋数は全部で6室。
全て似た作りの6畳間で、ガスコンロガ1つしか無いキッチンと色褪せた畳、不動産会社の広告ではクローゼットと書かれていた押し入れが1つ付いている。
バス・トイレは別。
豪邸とは程遠いが、家賃15,000円はかなり破格の部類である。
「霊愛、クレイヴは?」
夜子の作った紙粘土の人形を流しの3角コーナーに捨てながら、徹が尋ねた。
呪術師夜子の人形は、用が済むと真っ黒に炭化してしまう。
原理はわからないが、何となく気味が悪いので、徹はすぐに捨てることにしている。
『山崎さんとこじゃない? クレちゃん、山崎さんと仲良し(ӦvӦ。)だから』
少しは警戒心を持ってくれ。
畳に投げ出されたピンク色の便箋を拾って、徹はため息をついた。
「何で皆平気なんだよ。あんな緑の怪物」
ひらり、と、2枚目の便箋が落ちる。
『(・∀・)』
この部屋で死んでから、大分時間が経ったせいだろうか。
霊愛の顔文字の使い方に、徹は歴史を感じてしまう。
「ただいま」
塗装の剥げたドアを開けて、クレイヴが帰ってきた。長い金髪が夜風に緩くなびいている。
「お前、山崎さんと何話してたんだ?」
つい詰問するような口調になってしまい、クレイヴはきょとんとして首を傾げた。
「仕事の話かな。山崎さん、単身赴任なんだって」
白く濁った右目と、青く澄んだ左目が同時に徹を見上げた。
「地球とか侵略とか言ってたけど、専門用語が多くて」
「それ、隣人に言っちゃ駄目なやつなんじゃねーか?」
地球外人が地球に来る理由は、1つしか無い。
そうなんじゃないか、と予想していたことが、今しっかりと裏付けられてしまった。
「大丈夫だよ。山崎さん、地球の宗教についても勉強してるから」
傷痕だらけの顔で、クレイヴが笑う。
「汝の隣人を愛せ。山崎さんは紳士だから、同じアパートの人を困らせたりはしないと思うぜ」
信じても良いものだろうか。
しかし、差し当たって今、ただの人間の徹にできることは無い。
何か言おうと、徹が口を開きかけた時だった。
「だから、そんなもんはいねぇ! 帰ってくれ!」
半開きのドアを通して、馴染の怒鳴り声が聞こえてきた。
「どうしました?」
徹が顔を出す。
101 号室の住人で麻薬中毒者の反社会勢力構成員(下っ端)、
草麻の傍らでは、真っ白なワンピースを着た女が静かに微笑んでいる。
見かけない女だ。
少なくとも、このアパートの住民ではない。
「おう、徹か。この姉ちゃんが、お前の部屋の悪霊を退治する、って言うから」
「悪霊…?」
徹は怪訝な顔で【102】と書かれた自室のドアを見つめた。
入居する前に、事故物件だという説明は受けている。
「霊愛は地縛霊だけど、退治されるようなことは…」
していない、と言いかけた辺りで、草麻は人差し指を口に当てて「シッ」と息を吐いた。
「徹、おめぇが来る前にも何人か102号室に入ったんだ。どいつもこいつも、1週間保たなかった」
草麻は小声で囁くと、苦虫を噛み潰したように眉を顰めた。
「霊愛ちゃんが何もしてねぇのは、俺でもわかる。でも、出ていった奴がその…SF? SМ? とやらに、お化けアパートの話を書いちまったらしい」
どうやら、インターネット上のSNS《ソーシャルネットワークサービス》が原因で噂が広まってしまったようだ。
「えーと。あんたはその、霊とやらが…」
徹は、霊愛を払いに来たという女に向き直った。
今までも、自称霊能者とやらが来ることはあった。大半がただのインチキだったし、相手が男ならば力ずくで追い返すこともできるのだが。
「私には、感じられますの」
長い髪にヘッドドレスを付けた、夜子よりも化粧の濃い女が澄まし顔で言う。
レースとフリルで過剰に彩られた衣装の純白が、夜の闇に鮮やかに浮かび上がっていた。
「この部屋に住み着いているのは、間違いなく悪霊…それも、恨みを残して死んだ恐ろしい女の悪霊ですわ!」
クレイヴが後ろから徹の袖を引いた。
何? このバカっぽい電波女。
口の動きを見なくても、徹はクレイヴが何を言いたいのかがすぐにわかった。
玄関先に、小さな便箋がひらりと落ちる。
『私、いなくなるの(´;ω;`)』
霊愛と出会って早数年。
徹とクレイヴにとって霊愛は妹のようなものだったし、最近加わった夜子だって、霊愛がいなくなることを望んではいない、と思う。
「大丈夫だ霊愛、俺に任せろ」
本人が望んでいるのなら仕方ないが、強制的に成仏させるのは徹としても納得いかなかった。
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