地縛霊・霊愛

久しぶりのお客様

 押し入れの上段は、今や夜子専用のクローゼットと化している。

 服ばかりかバッグや小物までが雑多に詰め込まれ、大人どころか、子供でもこの空間に居るのは窮屈だろう。

 しかし、肉体を持たない霊愛にとっては関係のないことだ。

 霊愛はシパシパと透明な睫毛を瞬くと、両腕を頭上に掲げて、思い切り伸びをした。透明な拳は、ハンガーに掛かった服も、押し入れの天井も、容易にすり抜けてしまう。

 唇から欠伸が漏れ、目から一筋涙が流れた。

 他の幽霊がどうなのか知らないが、霊愛は眠るのが好きだ。

 そういえば、前にこの部屋に住んでいた人は、耳に吐息を感じたとか、突然水滴が落ちてきたのに畳が濡れていないとか騒いで出ていったんだっけ。

 ふすま1枚を隔てて、話し声が聞こえた。

 今は夜。

 徹もクレイヴも、とっくに目を覚ましているらしい。

 すぐに出ていこうかと思ったが、ちょっとした悪戯いたずらを思いついた。

 そっと襖に近づき、意識を集中する。

 ものに触れることはできないが、触れずに動かす、所謂いわゆるポルターガイストならば得意技だ。

 話し声に耳を澄ませる。

 よし、気づかれていない。

 今だ!

 勢いよく襖を開け、霊愛は真っ赤な下着姿で飛び出した。

 畳に『わっ!!』 と書かれたA3用紙(A42枚を糊でくっつけてある)が落ちたのは、間抜けと言えば間抜けだが。

 しかし。

(あれ…?)

 反応が無い。

 徹もクレイヴもそこに居るのだが、何だか困ったような顔で正面を見つめている。

 彼らの視線の先では、ブランドのバッグを抱えた若い女が、正座の姿勢で啜り泣いていた。

(えーと…どういう状況?)

 大学生くらいだろうか。明るい髪色に、淡い色のスカートを合わせている。

 もちろん、霊愛と面識は無い。

「おう、霊愛か」

 ようやく霊愛に気付いた徹が口を開く。

「女同士なら、話通じるかな?」

「いや、無理だろ。霊愛ちゃんだぞ」

 クレイヴがとても失礼なことを言った気がするが、一旦保留にするとして。

『誰?』

「徹のストーカー」

 淡々と告げて、クレイヴは何処か乾いた笑い声を挙げた。徹が困った顔で頭を掻く。

「コンビニで夜勤やってたら、この女の子が酔っ払いに絡まれてて…」

「徹が酔っ払いのこと追っ払ったら、気に入っちゃったみたいでさ。アパートまでこっそり着いて来ちゃったんだよ」

 まるで見て来たように言って、クレイヴが苦笑する。

「徹がシャワー浴びてるとこ、スマホで撮ろうとして、シャッター音でばれちゃって」

「この子には悪いけど、びびったよ。窓の方見たら、目が合うんだもんな」

(……)

 霊愛から見て、徹はまあまあ格好良い部類だと思う。

 絶望的に目付きが悪いのは仕方ないとして、背は高いし筋肉質だし…いや、でも、26歳のフリーター男を、花の盛りの女子大生がストーカーしなくても…。

「それで徹、何て言ったと思う?」

 クレイヴがクスクスと笑う。

「近所迷惑だし、危ないから中入れ! だって。ストーカーにお茶まで出してんの!」

 もうこらえきれない、と言うように、クレイヴは口元を抑えてゲラゲラ笑った。

「別に変なことは言ってないぞ」

 徹が首をかしげる。

「アパートだから五月蝿うるさくしたら怒られるし、早朝って言っても薄暗いから、女の子が外に居たら危ないし。何かあったら俺の責任になりそうだし」

(……)

 霊愛は、自分が馬鹿なことは自覚している。ソープランドやデリヘルで働いていた時も、客からは散々頭の悪さを指摘され、時には長時間説教されることもあった。

 でも、徹は霊愛より馬鹿なんじゃないかと思うことが時々ある。

『それで徹君、その子に何したの?』

「何もしてねーよ。クレイヴと3人で酒呑んで、普通に寝た」

『寝た?』

「いや、変な意味じゃねーぞ? いつも通り俺はクレイヴと一緒の布団で、夜子は帰らなかったからベッド空いてたけど、怒られたくないからこの子には寝袋用意して…」

『他は?』

「普通だよ。クレイヴに1回起こされただけだ」

『何で?』

「腹減った、って言うから、俺の血飲ませて…」

『どんな体勢?』

「いつも通りだよ。こう、座った俺の膝にクレイヴが乗って、俺がクレイヴの腰に手を回して…」

 たまらなくなったのだろう。

 1度大きく鼻を啜ると、ストーカー女はブランドバッグを抱えて6畳間を飛び出した。

「あっ、おい…」 

 追いかけようとした徹だが、入れ違いに飛び込んできた夜子にぶつかりそうになる。

「ただいまー! いやー、こないだダブル・スミスから回収した拳銃だけど、ちょっといじって2、3発だけ撃てるようにしたら、半グレのバカに売れちゃって

…」

 徹の表情と、物凄い勢いで走り去るストーカー女子の姿を見て何かを察したのだろう。

「何かあった?」

「いや…」

 ストーカー女子が、ろくに信号も見ずに道路に飛び出して、真っ赤なフェラーリに轢かれたのは偶然だ。

 そのフェラーリから山崎さんが降りてきて、ネチャネチャした緑の粘液で動かない女の体を包み込んで、骨だけを吐き出したのも多分偶然だ。

『山崎さん、フェラーリ買ったんだ』

「いいなー。俺もホスト時代に買っとけば良かった」

 霊愛とクレイヴの緊張感の無い会話を聞きながら、徹は「ははは」と乾いた笑い声を上げた。

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