お片付けまでがお仕事です
山崎さんは何処に行ったのか。
徹は、脱ぎ捨てられたスーツに注意深く近寄った。
緑の粘液でベトべトだ。
正直なところ触りたくはなかったが、人体に影響は無いと信じて持ち上げてみる。
黒い上着に黒いスラックス、シャツ、ネクタイ、革靴、手袋、靴下まで揃っているのに、肝心の中身が無い。
「裸で逃げた、ってことか?」
スミスAがふらつきながら起き上がった。
「馬鹿な。何の音もしなかったぞ」
部屋の中を見回したが、影も形もない。
天井に貼り付いているのかと思ったが、ランプがひとつ減っているだけだ。
徹が夜子を見た。
赤いソファに身を沈めた夜子は、意味ありげに微笑んだまま何も言わない。
「徹」
クレイヴが徹の袖を引っ張った。
「あれ…」
クレイヴが指さしたのは、部屋の一角に置かれた骸骨のオブジェだった。
骨格標本を何体もばらばらにしたようなそれは、床と天井の中間くらいにまで高く積み上がっている。
その、虚ろな眼窩から。
どろり、と、緑色の涙が流れ出した。
作り物の骸骨が泣くわけがない。
だが、緑の涙はとめどなく溢れてくる。
「ひっ…」
ダブル・スミスも異変に気付いた。
顔と股間を押さえてヨロヨロと後退りしたものの、オブジェは部屋の四隅にある。
そして、四隅に山と積まれた頭蓋骨の全てが、おびただしい量の緑色の涙を流している。
がしゃん。
オブジェが揺れた。
バラバラになった肋骨が、背骨が、大腿骨が、みしみしと音を立てて崩れ始めた。
緑色の液体の流出は、髑髏の眼窩に留まらなかった。
積み上がった骨の隙間から、滝のように溢れ出している。
「山崎さんだ」
クレイヴが呟く。
緑の粘液に混じって、ワインレッドの布切れのようなものが流れ出した。
パンツだ。
それも、ボクサータイプ。
妙に冷静に、徹はそんなことを思った。
「裸になっても、パンツは手放さなかったんだ。紳士の嗜みだな」
どこに感心しているんだ、と、クレイヴに言ってやりたかったが、徹は今ここで起きている現象から目が離せなかった。
骸骨の山から流れ出した緑色の液体は、ずるずると床を這い回り、部屋の中央に集合しつつあった。
「に、逃げ…」
ダブル・スミスが部屋のドアに手を掛ける。
しかし、開かない。
押しても引いても、ドアはぴくりとも動かなかった。
「何でだよ! 俺らは呪われていないだろ!」
彼らは気づいていなかったが、ドアの隙間は緑色の粘液でぴったりと塞がれていた。
「地球人って、不便よねぇ」
夜子がため息をつく。
「脳も内臓も全部溶け合って、硬くて不便な肉や骨がなくなったら、私達はもっと自由に動けるのに」
そんな体、まっぴらだ。
徹はクレイヴの前に立つと、できるだけ山崎さん(らしきもの)から距離を取った。
アメーバのような4つの緑の粘液は、部屋の中央で互いにくっつき合い、巨大な塊となった。
悪い冗談のように、巨大な眼球が2つ浮かんでいる。
「あ、あ…」
「い、い…」
スミス達は互いの体を抱き合い、ヘナヘナと座り込んでしまった。
「う、う…」
「え、え…」
こんな時にも、息の合った奴らである。
ほとんど液体のようだった山崎さんらしき緑のネバネバが、ズルリと垂直に立ち上がった。
高さは天井に届く程だ。
てっぺんに付いた目玉が、震えるスミス達を見下ろしている。
薄く透ける緑の壁のような体を通して、徹はサングラスのずれた男達の泣き顔までしっかりと見ることができた。
「「お、お…」」
べちゃり。
緑の壁が突然崩れた。
再び液体となった山崎さん(?)を、ダブル・スミスはたっぷりと頭から浴びる羽目になった。
粘つく感触を想像し、徹が眉をひそめる。
すると。
「「うあああああああ!!!!」」
澄んだ緑色の煙が上がった。
ハッカのような強烈な香りが鼻を刺す。
「「あああああああああ!!!!」」
溶けていた。
緑色の粘液が、スミス達の体を溶かしていた。
安っぽいスーツは一瞬で消え失せ、見たくもない全裸さえまともな姿は1秒も保たない。
皮膚があっという間に溶かされ、露出した筋肉がみるみるうちに無くなり、内臓が縮み、コマ送りのように骨が露出していく。
「すげえ! CGみたいだ!」
「馬鹿、近づくな! お前まで溶けちまう!」
目を輝かせるクレイヴの肩を、徹は強く掴んだ。
一滴の血も流れなかった。
山崎さんは最後に一度、身震いすると。
果実の種を吐き出すように、2人分の白骨をはじき出した。
「はい、おしまーい」
夜子がぱちんと手を叩き、赤いソファから立ち上がる。
2人分の肉を食べ(?)終えた山崎さんは、床に落ちたスーツに素早くにじり寄ると、一瞬後にはアパートを出た時の山崎さんに戻っていた。
違うのは、粘液まみれのスーツを床に置いたせいで、少々埃っぽくなっていた点か。
パンツはどこにも落ちていない。
紳士の嗜みとして履いたのだろう。
「お肉の焼ける匂いもたまらないけど、山崎さんのお陰で仕上げのミントガムまで思い出しちゃった」
夜子は、仕事終わりに必ず焼き肉を食べる。徹たちにも、バイト料とは別に奢ってくれるので、別に文句は無い。
「それはいいけどよ。これ、どうするんだ?」
徹は、部屋に残された3体分の白骨死体を指さした。
いつの間にか、最初の焼死体までが骨になっている。
「それは、ほら」
夜子が、四隅に散らばる骸骨オブジェを顎で指した。
山崎さんの体液でネバネバしているので、オブジェを積み直すのは簡単だった。
元が元だから、骸骨が3体くらい増えても気付かれないだろう。
「徹ってば、まだ呪いを信じないの?」
夜子がホホホ、と笑う。
「そんな便利なもんがあるって認めたら、頼りたくなる。だから、俺は信じない」
それに。
徹は、隣でオブジェを組み直そうと苦戦するクレイヴを見た。
「…守りたいもんは、自分で守る」
クレイヴの積んだ骨が、派手な音を立てて崩れた。
「不器用だな。バランス考えろ」
徹が手を貸すと、片方だけ残った青い目が笑った。
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