不用品の廃棄

 秒針は無情に進んでいる。

「あと40秒」

 夜子の白い頬が、薄紅に染まっている。

 あどけない目元に不釣り合いな化粧を施した瞳が、ランプの明かりの中でキラキラときらめいた。

「頼む、頼むよ夜子」

 ただでさえ貧相な肩をがっくり落として、貧相男は鼻をすすりながら床の上にへたり込んだ。

 後30秒。

「金なら作る。どうにかする。だから…」

 40は過ぎていそうな男が、娘ほど年の離れて見える相手に泣きながら土下座している。

 普通に生きていたら、なかなか見られる光景ではない。

「駄目よ」

 少女の外見をした殺し屋は、どこまでも非情だった。

「くそ。どうして…」

 貧相男が、拳で床を叩いた。

 後20秒。

 スミス達は泡を吹いて転がっている。

 役立たずの拳銃は黒煙を上げている。

「散々弄んで、この仕打ちなのか」

 後10秒。

 男と夜子が、どんな付き合いをしていたのか徹は知らない。

 だが、最近の夜子はいかにも高価そうな新しいバッグを持っていた。

 鏡台の上のアクセサリーケースにも、宝石のついた装飾品がいくつか増えていた。

 七光とかいう社長は夜子を相手にしなかったようだが、貧相男はしっかり搾り取られていたようだ。

「種明かししちゃうとね。あなたの呪殺を依頼したのは、あなたの奥さんなの」

 夜子の笑みが大きくなる。

「女子高生や女子中学生への付き纏いで仕事をクビになる夫なんか、いらないんだって」

 ランプの明かりが揺らめいて、男の血の気の失せた顔をくっきりと浮かび上がらせた。

 鼻水とよだれで汚れた顔の中で、口だけをぱくぱくさせて、何か言おうとしていたようだった。

 だが。

「あ、12時」 

 クレイヴが、独り言のように呟いた瞬間。

 ふたつのことが、同時に起こった。

 鳩時計から鳩が飛び出し、けたたましく鳴き始める。

 天井に吊るされたランプが落下し、床に座り込んだ貧相男の脳天を直撃した。

「ぎゃああああ!」 

 ランプの炎が、男に燃え移った。

 炎は少ない頭髪を舐めるように燃やし尽くし、顔面と後頭部を伝って安っぽいスーツを侵食して行った。

 叫び声を上げた口内に、真紅の揺らめきが生き物のように滑り込む。

 濡れた場所で炎は勢いを失うはずだが、どうやら体内の水分程度で呪いは消火できないようだ。

 長く尾を引く悲鳴は次第に掠れていき、やがて止んだ。

 喉が焼け爛れたらしい。

 じたばたとでたらめに手足を振り回しながら、部屋の中を赤い炎の塊と化した男が無言で転げ回る。

 複数あるランプのうち1つが落ちてしまったというのに、薄暗かった部屋はむしろ明るさを増していた。

「ストーカーや痴漢なんてさ」

 肉の焼ける香ばしい匂いのなかで、クレイヴが冷めた調子で言った。

「本当に、皆死ねば良いのにな」

 炎を衣装のようにまとった男は、床を転がってどうにか鎮火を試みようと悪足搔きを続けている。

 不思議なことに、布製のソファにも、木製の壁や床にも焦げ跡ひとつ付かない。

 これだけ暴れまわっていれば徹達にも飛び火しそうなものだが、踊る火達磨は上手い具合に彼らを避けていた。

 夜子が笑っている。

 心の底から楽しげに、クスクス笑いながら恍惚とした表情で恋人を見つめている。

「綺麗だわ。何て素敵なの」

 香ばしい匂いには、そろそろ焼きすぎの焦げ臭さが混じり始めていた。

「今のあなた、最高に魅力的よ」

 鳩がきっかり12回鳴く頃、夜子の恋人はばったり倒れて動かなくなった。

 鮮やかな真紅から一転。

 男の着ていた服も皮膚も焦げ付いて一体となり、真っ黒な塊は表面にじくじくと脂を滲ませながら、どす黒い煙を上げていた。

「今回、レア? ミディアム?」

「大口あけて悲鳴上げたから、内臓も焼かれてるな。ウェルダンだ」

 クレイヴと軽口を叩きながら、徹は黒焦げの死体を観察した。

 いつもながら見事なものだ。

 あれ程激しく燃え上がったのに、鎮火は一瞬で終わる。

「あなたの命の火と、私の炎は同時に燃え尽きるの。たった一度の魂の交わりに比べたら、性行為なんか薄っぺらいと思わない?」

 夜子の恋心も、同じタイミングで燃え尽きる。

 夜子はもう、焼死体となった元・恋人に興味を失っていた。

「人殺し」

 床に這いつくばっていたスミスAが、ずれたサングラス越しに徹達を睨んだ。

 顔色は真っ青で、漂う肉の臭いに表情を歪めている。

「お前たちは、人殺…」

 人殺しだ、と続けたかったのだろう。

 だが、徹に崩れたオールバックを鷲掴みにされると、途端に大人しくなった。

「お前、あの黒焦げ野郎がロリコンの変態ストーカーだって気づいてたのか?」

 サングラスの向こうで、スミスAの目が泳ぐ。

「正直に言ったら、お前らは許してやっても良いぞ」

 スミスAとスミスBが顔を見合わせた。

 この2人に、呪いの効果は及んでいない。

「知ってました」

 徹はスミスAの前髪をより強く掴み直すと、顔面を床に叩き付けた。

 サングラスが割れ、鼻血が噴き出す。

「そんな、約束が違う…」

 当然、スミスBも同じ目に合わせる。

 サングラスのずれ方も、鼻血の出ている鼻の穴も左右対称だ。

「夜子、こいつらどうする?」

 徹が夜子を振り返ると、

「徹」

 困惑顔のクレイヴと目が合った。

「おい! あのでかいの、どこ行った!」 

 お揃いの鼻血を出したスミス達も、慌てたように叫ぶ。

「山崎さんが、いない…」

 先ほどまで山崎さんが立っていたところには、半透明の緑色の水溜りと、抜け殻のような黒いスーツの小山が残されていた。

 

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