お仕事を頑張ろう

 秒針が非情に時を刻む。

 11時57分ということは、と、徹はガタガタ震える貧相男を見下ろしながら考えた。

 この男の寿命が尽きるまで後3分。

 いや、2分50秒くらいか?

「嘘だろ、夜子」

 貧相男が呻くように言う。親指の爪を強く噛んでいたが、前歯の付け根から血が滲み始めていた。

「歯槽膿漏?」

「歯周病じゃねーか?」

 クレイヴの問に短く答えながら、徹は歯茎の弱い貧相男を観察した。

 頭のてっぺんが薄い。

 最初は裏社会のフィクサーといった感じを醸し出そうとしていたのに、そんな余裕はとっくに無くなってしまったらしく、スミス達も戸惑っている。

「約束は11時だっただろうが! 俺を愛してるって言ったくせに!」

 現在、12時2分30秒前。

 夜子たちは完璧に遅刻だったわけだ。

「だって、あなたが1千万円も用意できると思えなかったし」

 夜子の赤い唇から、細い煙が吐き出された。

「それに、好きなのよ。愛おしい人が死ぬ瞬間が」

 爪を噛んでいた貧相男が、じろりと上目遣いに夜子を睨んだ。

「炎の夜子姫。お前が何人も殺してるってことは、もうわかってるんだ」

「そ、そうだぞ」

 徹達から見て左側のスミスもどきが、上ずった声で叫ぶ。

「し、調べは付いてるんだ! 人殺しめ!」

「逮捕するぞ! お前なんか死刑だ!」

「刑法代199条、殺人罪とは…」

 スミスAに続いて、スミスBもまくし立てる。

 夜子はそんな3人組を面白そうに見やってから、

「証拠はあるのかしら?」

 余裕たっぷりに赤い口紅のついた煙管を弄んだ。

「私はしがない占い師。怪しげな仕事だろうけど、法に触れる行いはしていないつもりよ」

 夜子は表向き、占い師ということになっている。実際に占いの仕事もしているし、SNSにも呪殺のことは書いていない。

「で、でも、七光しちこう社長は…」

 ああ、そういえば。

 徹は、少し前のニュースを思い出した。

 例の億万長者は、親から受け継いだビルの屋上で煙草を吸っていて、それが何故か衣服に引火して燃え広がって火達磨になって…。 

 パニックに陥った挙げ句、ビルから落下したんだっけ。

「知ってるんだぞ、夜子! お前が七光社長に近づいていたことくらい…」

「軽くあしらわれたわよ、子供に興味無いって。恋することが罪だっていうの?」

 徹の記憶が正しければ、七光社長が死んだ時、夜子は徹達と一緒にアパートでくつろいでいたはずだ。

 ネットリテラシーの欠如した人物が投稿したらしい、【人間火ダルマやべぇwww】と題された動画を見ながら。

 現在12時1分30秒前。

「くそ!」

 貧相男が叫んで、赤いソファから立ち上がった。

「俺の呪いを解け! 夜子! さ…」

 さもないと、と言いたかったのだろう。 

 だが、徹の方が早かった。

 右の拳に体重を乗せ、貧相男の貧相な鼻っ柱に勢いよく叩き込む。

「ふぎゅっ!」

 余程腕に覚えが無い限り、脅し文句は口にすべきではない。台詞を言い終わるまで待ってやるような親切心を、徹は持ち合わせていない。

 鼻血を噴きながら倒れ込んだ貧相男を見て、スミスAとBが「え?」という顔になる。

 スミスAは右手、スミスBは左手をスーツの懐に入れていた。

「クレイヴ、夜子を頼む!」

「了解!」

 スミスAの右手を徹の左手で、スミスBの左手を徹の右手で掴んで、手加減無しにねじり上げる。

「いてぇ!」

「畜生!」

 肘の辺りが摩耗して光っている安っぽいスーツから掴み出された出された手には、当然のように拳銃が握られていた。

「は、離せ!」

 こう言われて、実際に離す人間がいるのだろうか。

 スミス達はやけになって引き金を引いたが、ぼす、ぼふっという音と共に黒煙が上がっただけだった。

「偽物かよ! ぼったくりやがって!」

 泣きごとを言い出したスミス達にほんの少し同情しないでもなかったが、

「このクズ! 犯罪者! あのグロい傷野郎もそうだ! チンピラ共が!」

 気が変わった。徹はスミス達を徹底的に痛めつけてやりたくなった。

 スミス達はそれぞれの利き腕を徹に封じられている。

 そのままぐっと上に持ち上げてやると、ダブル・スミスの体は宙吊りとなった。

「ひぇ…」

 ずれたサングラスの奥の瞳に涙が滲んでいる。

 徹だって、伊達にアルバイトをこなして来たわけではない。

 運送業のバイトは筋力トレーニングになったし、コーヒー豆の卸売りでは豆の入った袋を一日に幾つも担いだ。

 ピザの宅配で、何キロも自転車で走ったこともある。

 夜間のコンビニに来る酔っぱらい客をつまみ出すなんてしょっちゅうだ。

 フリーターの体力を舐めるな。

 涙声でじたばたと暴れるスミスAの股間を、徹は思い切り蹴った。

 1度ではない。

 2度、3度。

「あ、その、ごめんなさ…」

 スミスAが泡を吹いて気絶したのを見て、スミスBが怯えたように呟く。

 構うことは無い。

 こいつらは、一般人に拳銃を向ける極悪人だ。

 徹は、スミスBも同じように料理した。

「あら、どこへ行くの?」

 夜子の声で、ようやく貧相男のことを思い出した。

 反射的に鳩時計を見上げる。

 12時1分前。

「あ、あ、助けて…」

 貧相男は、泣きながら部屋のドアノブをガチャガチャと回しているところだった。

「無駄よ。私の呪いは、関係ない人を巻き込まないようになっているの」

 夜子がうっとりと笑う。

「残り1分を切ったわ」

 貧相男が絶望の叫び声を上げる傍らで、鳩時計の秒針はゆっくりと、しかし確実に時を刻んでいた。

 山崎さんのスーツから滴る体液が、心なしか少し多くなったようだった。

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