皆でお仕事

 カフェなのかバーなのか、はたまた何らかの怪しげなイベントが行われる場所なのか。

 徹たちが夜子に連れて行かれたのは、そんな不可思議な店だった。

「先方の希望なのよ。今夜この時間、ぜひこの店で会いたいって」

 はっきり言って、この辺りの治安はあまり良くない。

 アルコールを提供する店は玉石混淆で、雑多なビルの片隅にテナントを構えてはいつの間にか煙のように消えていく。

「約束があったはずだけど」

 仮面のウェイターは、夜子が名刺を差し出すと、心得たようにニヤリと笑った。

「お待ちしておりました。夜子姫様」

 店内は薄暗く、鰻の寝床のような細い廊下をランプの朧な灯りが照らしている。

 揺らめく影の中で、山崎さんの明るい緑色がやけに場違いだ。

 黒い革手袋の隙間から、黒いスラックスの裾から。

 緑色の粘液が滴って、磨かれた板張りの廊下に鮮やかな液体の跡を残した。

「すげー汚してるけど…」 

「良いんじゃない? 店員、気にしてないし」

 徹が囁くと、マスクとサングラスで顔を隠したクレイヴが仮面のウェイターの後ろ姿を見ながら言った。

 粘液のこぼれたところが、鈍く光っている。山崎さん自身もだ。

 暗いところで光るなんて、蛍みたいだな、と徹は思った。

「こちらでございます」

 通されたのは、互いの声が反響する防音の個室だった。

 天井から蜘蛛の巣のようなレースが垂れ下がり、部屋の四隅には髑髏のオブジェが積んである。

 いかにも夜子の気に入りそうな店だ。

 部屋には、既に先客が居た。

 中央に配置された赤いソファに、貧相な顔つきの男が前のめりに座っている。

「夜子!」

 男は夜子の名前を呼んで、落ち着かなそうに組んだ指を動かした。

 貧相な男の左右には、サングラスを掛けた安っぽいスーツ姿の男が1人ずつ立っていた。

 3人か。

 徹は心の中で舌打ちした。

 夜子は呪術師だ。

 呪いが効くかどうかは別として、それ以外は普通の人間であり、怪我もするし風邪も引く。

 小柄で細身の、見るからに非力そうな女を呼び出しておきながら、男3人で出迎えるつもりだったのか。

 防音の部屋を指定していたのも気に食わない。店員に助けを求めても、この部屋にいる限りは何も聞こえない。

「確か、一人で来るように言ったつもりだが」

 貧相な男は、恨みがましそうな目で夜子を睨んだ。

「気に入らないなら、帰ってもいいけど」

 夜子は当たり前のように貧相男の向かい側のソファに座ると、短いスカートがずり上がるのも構わずに足を組んだ。

 男の喉がゴクリと動く。

 こいつもロリコンか。

「私の護衛の方が素敵でしょ? リクルートスーツのエージェント・スミスもどきじゃ、サマにならないもの」

 夜子がホホホ、と笑うと、貧相男の左右に立っていた二人組が居心地悪そうに顔を逸らした。

 言われてみれば、確かにスーツだけではなく靴もサングラスも安っぽい。髪はワックスをべったりつけて無理矢理作ったようなオールバックだし、立ち姿からしてやけに芝居じみている。

「そのサングラス、100円ショップかしら? 私なら、もうちょっと良いのを買ってあげられるんだけどな。クレイヴ、あんたのを見せてあげたら?」

 クレイヴが、エージェント・スミスもどきよりは上等なサングラスを外した。

 ついでに、マスクも。

「ばぁ」

 歪んだ唇で笑って、舌と牙まで見せつけたのはやり過ぎだったかもしれないが。 

「ひっ…」

 貧相男が息を呑んだ。ソファが床と擦れて音を立てる。

 スミス達も腰が引けていた。

 無理も無い。

 クレイヴの傷痕は、見慣れてしまえばどうということは無いが、初めて見た者には悲鳴を上げさせるくらいには凄惨なのだ。

「ひ、ひ、卑怯だぞ」

 貧相男が涙声で叫ぶ。

「そ、そんな、やばそうな男ばっかり連れて来やがって! う、後ろのデカブツは何だ。 外人か?」

 徹は、思わず後ろを振り返った。

 夜子の左右に徹とクレイヴ、更にその後ろに山崎さん。

 ランプの柔らかい灯りの中で、山崎さんは相変わらずぼんやりと光っている。巨大な眼球は粘液質な顔の中を泳ぎ回っていたが、それは相手を観察しているようにも思えた。

「で、結局、幾ら用意できたの?」

 夜子の声が、死刑宣告のように冷たく響いた。

 貧相男はがっくりと頭を垂れると、

「300万だ」

 絞り出すような声で、そう言った。

「ああ、そう」

 夜子が冷たく言って、バッグから取り出した煙管を咥える。 

「じゃあ、諦めるしかないわね」

 貧相男が、両手で顔を覆った。

「頼むよ、夜子。俺を愛していないのか」

「愛しているわ」

 夜子が目を細めた。慈しむように、すすり泣く貧相男をじっと眺めている。

「だったら、俺に掛けた呪いを解いてくれ…」

 山崎さんが、不思議そうに首(?)を傾げた。

「気にしないで、山崎さん。いつものことだよ」

 クレイヴがそっと耳(?)打ちする。

「夜子は呪い専門の殺し屋なんだ。夜子も結構趣味が悪くてさ、自分が呪い殺す予定の人間にしか恋ができないんだよ」

 夜子の彼氏は頻繁に変わる。

 彼女ができることもある。

 でも、誰も彼もすぐに死んでしまう。

「500万で貴方を殺す依頼、受けちゃったのよね。呪い解除には、依頼金の倍は払って貰わないと」

 手の甲を唇に当てて笑う夜子の前で、貧相男が声を詰まらせる。

「妻も子供も居るんだよ…家のローンだってあるんだよ…」

 保険に入っているなら、このまま死んだ方が妻子の為なのでは?

「護衛のセンスは頂けないけど、この店は悪くないわね。気に入ったわ、私の愛おしい人」

 夜子が微笑んで、壁にかかった古い鳩時計を見上げた。

「日付が変わる頃。あなたの命は、それで終わり」 

 時計の針は、11時57分を指していた。

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