呪術師・夜子

あるバイト

 巨大な目玉がいくつもくっついた、緑色のゼリーの塊に追いかけられる夢を見た。

 目覚めは最悪である。

 徹は布団からノロノロ身を起こすと、ぼさぼさの頭を掻きながら隣で眠る吸血鬼の肩を揺すった。

「クレイヴ、夜だぞ。起きろ」

 徹より大分早く眠ったのに、クレイヴは「あと5分」などと往生際の悪いことを呟く。

 日が昇ったら眠り、日が沈んだら起きる。 

 朝5時に寝たとしたら、最低でも夕方の5時までは起きない。 

 コストパフォーマンスが悪すぎる気もするが、残念ながら吸血鬼とはそういう生き物なのだ。

 徹は黒い遮光カーテンを開けると、空を見上げた。

 既に夜8時を過ぎている。星は見えない。銀色の円盤らしきものも飛んでいない。

「山崎さん、この辺は交通も便利そうだから、マイカーは倉庫に預けたって」

 もつれた金髪のクレイヴが、徹の心を読んだように言った。

「銀色の円盤型じゃ車検通らなそうだし、地球の免許も持ってないだろうし」

 そういう問題か?

 布団を畳む。男2人で布団1組は少し窮屈だが、6畳間の一画は夜子のベッドや鏡台や本棚で占領されているから仕方ない。

 押入れの上段に布団を仕舞いたかったが、開けてみるといつの間にか突っ張り棒が取り付けられていて、100円ショップのハンガーがいくつも引っ掛けられていた。

 ハンガーに掛かっているのは、小さなワンピースやドレスばかりだ。

 全て、黒一色である。

 徹はため息をつくと、諦めて布団を下段に押し込んだ。

「あんた達、起きた?」

 玄関が開いて、既に完璧に化粧を済ませた夜子が黒いハイヒールを鳴らしながら入ってくる。

「2人共、今日は私に付き合ってもらうから。ほら、さっさと着替えなさい」

 既に決定事項なのか。

「夜子、俺、これからバイト…」

「どうせ、コンビニでしょ? 私の方がバイト代弾んであげられるけど」

 それは有り難いが、と、徹は言葉に詰まる。

 世の中、金が全てではない、と思う。

 急に休んだことで、他のバイトに掛かる迷惑や消失した信用は、金で買い戻せるものではない。

「大丈夫よ。実はもう、電話しちゃったの」

 赤い唇に手の甲を当てて、夜子がホホホ、と笑い声を上げた。

「店長ってば、私が徹貸して!って頼んだら、いくらでも使ってください!って」

 ロリコン店長め。

 徹はアルバイト先の店長のハゲ頭を思い出して、さっきより深いため息をついた。

 今夜の夜子は、袖がレースになっている背中の空いたドレスを着ている。 

 黒髪はモミアゲの部分だけを少し伸ばしつつ、残りは肩の上で切り揃え、両耳には赤いルビーのピアスが光っている。

 黒いハイヒールに網タイツ、猫のようなアイラインと、真紅の口紅。

 かなり大人びた装いと言って良いだろう。

 しかし夜子本人は、どうしても中学生以上には見えない。

 身長は徹の胸より下で、華奢な体つきであるのに加え、顔立ちがかなり幼いのだ。

「おう、嬢ちゃん達。今からシノギか?」

 支度を済ませて出掛けようとすると、右隣のシャブ中が声を掛けてきた。

 腕の中に愛猫のシャブ太を抱いていたが、昨夜のマタタビが効いたのか、トロンとした目でゴロゴロ喉を鳴らし続けている。

「嬢ちゃんはやめてよ。これでもハタチ超えてるんだから」

 夜子が苦笑する。

 夜子が実際いくつなのかは、徹もクレイヴも知らないままだ。

「若く見える、って点じゃ、嬢ちゃんも山崎さんも良い勝負だな」

 山崎さんって、若いのか?

 いや、あの外見で、若いとか年を取っているとか、関係あるのか?

「若いうちは半透明の緑色で、寿命が近づくと濁ってくるらしいよ」

 クレイヴがまた、徹の心を読んだように言った。

「山崎さんが若いかは知らねーけどよ。俺、あの人苦手かもしれねぇ」

 徹がぽそりと呟くと。

 夜子は黒いアイラインで縁取られた両目をパチパチ瞬いた後で、ホホホホと笑い出した。

「あら、残念。今夜は助っ人のバイトも頼んだんだけど、それじゃ徹は我慢して働くしかないわね」

 夜子の台詞は、薄々感じていた嫌な予感を決定づけるものだった。

「助っ人? おい、夜子、まさか」

「あっ、山崎さん! こっち、こっち!」

 徹たちの住む部屋の、左隣の扉がゆっくりと開く。

「私があげたスーツ、入ったかしら? オーダーメイドじゃないから、窮屈かもしれないけど」

 徹もクレイヴも、夜子の下で働く時は黒いスーツ姿だ。

 お揃いの衣装というものは、嬉しい時と全く嬉しくない時があるのだが。

「うん、なんとか入ったみたいね。似合うわよ、山崎さん!」

 はち切れそうなダブルスーツのボタンの間からは、緑色の粘液が滴っていて、仕立ての良い衣装をさっそく台無しにしていた。 

 

  

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