家賃1万5千円、ワンルーム、4人暮らし
「ひのう、ほなりに…」
「何言ってるかわからん。口に物入れたまま喋るな」
長い金髪に縁取られた端正と言えなくもない顔を見下ろし、大須田 徹(おおすだ とおる)は僅かに眉を顰める。
「徹の言う通りよ、クレイヴ。お食事中にお行儀が悪いわ」
彼らの後ろで内職に勤しんでいた夜闇
夜子(よやみ やこ)が、口を挟んだ。
行儀もそうだが、この状態で喋ろうとすると、歯が変なところに当たるので噛みつかれている方は不快である。
「ごめん、ごめん」
金髪の青年、クレイヴ・パーカーは慌てて徹の首筋から唇を離すと、唾液と混じって糸を引く血の筋を細い指先で拭い取った。
笑うと、白い顔をズタズタに切り裂いた紅色の傷痕が僅かに引きつる。
この傷がつく前は、と、徹は遠い昔に思いを馳せた。
クレイヴは、誰よりも綺麗だったのに。
「昨日、隣に引っ越して来た人、外人さんだって」
吸血鬼の食事は、言うまでもないが人間の血液である。赤い舌で鋭い牙についた血を舐めるクレイヴは、まるで面白いニュースを見つけたかのように青い左目を光らせている。
「外国の人? へえ、やっぱり」
夜子が内職の手を止めて顔を上げた。
名前の通り、髪も目も着ている服さえも、真夜中の闇のように真っ黒だ。
「ずいぶん遠くから来たんだな、って、そんな気はしてたけど」
夜子が内職で作っているものは、傍目には小さな人形…の、ように見える。
100円ショップで買い揃えた紙粘土とスパイス各種、その辺で採取した雑草やら土やら砂やらをこねくり回して作られる人形は、何とも言えない不思議な匂いがする。
「今度の依頼人も、随分羽振りが良さそうだったの。うまく行ったら、焼き肉でも行きましょう」
焼き肉好きな女呪術師、というのは、果たして信用に足りるのかどうか。
呪い、などというものを徹はあまり信じていないが、先月どこぞの億万長者が自身のビルから飛び降りて挽き肉になった事件はニュースになったし、その時も夜子の奢りで焼き肉を食べに行った。
ひらり。
6畳のワンルームに、小さな紙切れが落下した。薄いピンク色の便箋だ。
徹が拾い上げてみると、そこには丸っこい字で短い文章が綴られている。
【ガイジンさん? イケメン?】
「気にするところ、そこかよ」
徹がため息を吐くと、部屋の中の空気がふわふわと泡立った。泡立った中に、ピンク色の女性用下着一式が現れる。
レース付きのブラジャーとパンティ、ベビードールにガーターベルト。
地縛霊の霊愛(れいあ)だ。
畳の上に、2枚目の便箋が落ちる。
【重要じゃん。ブサイクなお客さんだと、レイア、テンション下がるもん】
霊愛はこの部屋で自殺した風俗嬢だ。自他共に認める面食いだが、彼女自身の顔を拝むことはできない。生前の容姿が気に入らなかったらしく、透明人間が女性下着を身に着けているようにしか見えないのである。
「全部屋事故物件のぼろアパートに引っ越して来る外人とか、絶対訳ありだろ」
このアパートには禄な住人がいない。
右隣はシャブ中のヤクザで、マタタビ中毒の猫を飼っている。
上の階には、夜中に奇声を発する推定体重100キロの自称ビジュアル系ミュージシャンが居る。
例の外国人とやらは、先週空き部屋となった左隣に引っ越して来たらしいが、空き部屋になった理由は住人が妙な薬を大量に飲んで服毒自殺したからだ。
「その外人さんは、何ていう名前なんだ?」
だが。
今度こそまともな隣人付き合いができる可能性も、無くはない。
徹が尋ねると、クレイヴは再び徹の首筋から牙を外して、
「山崎さん」
「やまざ…えっ?」
随分と和風な名前だ。
日系なのか、それとも下の名前が変わっているのか。
例えば、山崎ジョージタゴサク、とか。
「心配しなくて大丈夫よ、徹。山崎さん、紳士なんだから」
夜子が赤い唇で笑う。
「だよな。ちょっと水っぽいしネバネバするけど、すげー良い人だよ」
クレイヴの言葉が、更に不安を掻き立てる。
水っぽい?
ネバネバ?
何だそれは。
何かとてつもなく嫌なものが忍び寄って来るのを感じて、徹は一人頭を抱えた。
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