我、邪道を往く

HerrHirsch

死んでしまった

死んでしまった。やらかした。正直な所、それくらいしか感想は浮かばなかった。

嶋垣〔しまがき〕五日〔いつか〕、18歳。死因、出血性ショック。その直接の原因は、自転車での通学中に横転、ワンボックスタイプの乗用車に胴体をもろに轢かれて骨盤付近から大量の出血があったこと。

痛み、寒気、強烈な倦怠感、その他様々な情報に脳が飽和されていくうちに、いつの間にか意識を手放していた。

そして冒頭に戻る。私は死んでしまったのだと、そう自覚した。だが、如何にしてそのような思考を保っているのだろうか?これは走馬灯の一種なのだろうか。にしては鮮明な思考回路。あの状態から復帰したということは非常に考えづらいから、恐らくは死亡する直前か死後かの二択なのだが、前述の状態から現在の鮮明な思考に至る経緯が想像できない以上、死後であるという可能性が前者に比べ越であると断ずることにする。

死後。それは私にとっては非常に大きな疑問の対象であったのだが、皮肉にも若くしてその真実を見ることが出来るとは。実に面白くないことだ。もう少し、現世からこの世界を想像していたかった。そうして現世の不条理に愚痴を言って神を憎み、そうしながらも生を享受していたかった。そんな希望ばかりが溢れて来るが、もはや後の祭り。私が行ってきたあらゆる活動は今や灰燼に帰した。よもや自分の生まれた世界を《あの世》と呼称すべき時がこようとは。あの世に遺した全てのものが、せめて有意義に使われることを祈って、私はこの世に目を向けねばならない。

眼を開く。見れば、黒、黒、黒。漆黒ばかりが広がる虚無の権化とも評しよう全景の、その中に一点の白。私自身は、体の感覚が無い。思念だけが存在しているかのような感覚。その白もまた、ぼんやりと存在を知覚こそできるものの、それが物質的形質を持つものなのか、或いは同じ思念体なのか、まるで分らない。いやぁ、困ったものだ。人間は情報のほとんどを視覚に頼っているというのは有名な話だが、五感全てを失って気が付く。視覚情報というのは本当に偉大だ。ものの形が分からないというのはここまで不安を抱かせるものなのか。

『やぁ。』

と、身体があれば頭を掻きむしっていたであろう状態に対して、意外な事に音声情報が流れ込んできた。聴覚ではなく、なんだか脳みそに直接再生されたような感じ、という表現が妥当であろうか、まぁ簡潔に言えば違和感しかない手法を用いて意思伝達を試みてくる奴がいた。

『会えてよかった、嶋恒五日君。』

どうやら個人情報とか知ってる系の案内人らしい。こちらからの発言方法が見当たらない以上、こちらの状態を知ってくれているという事実は非常にありがたいところではある。

『君には、これからいわゆる転生をしてもらい、こちらの指令になんらかの手法で応えて欲しい。』

転生。確か仏教だか、なにかインド系の宗教の考え方であったと思う。万物の魂は輪廻し、再利用されるから、そのループから抜け出すことが必要…大分解釈に問題があると思うが、概ねこのような論調であったような気がする。歴史の授業で先生がやや興奮気味に話していた覚えがある。個人的にも興味のある分野であったから、割と真剣に聞いていた。

『詳細は追って伝える。では、健闘を祈るよ。』

…一方的な通告。非常に大きな問題に発展することが容易に想像できる。どうするべきだろうか?しかしこちらに選択肢はなさそうだ。現在一方的にこちらへ情報を送ってきている存在、恐らくはこの《白い何か》なのだろうが、それがどの様な手法を用いて通信しているのか見当もつかない以上、会話の可能性は絶望的である。しかもここまでこちらに対して配慮が無いとなると、今後の、あれの言う《転生後》に何が待っているか想像だに出来ない。最悪の場合即時の死亡も想定していた方が良いだろう。と、そんなことを考えているうちにまた意識が薄れてきた。

『あ、そうそう、君の名前は今からアイラマート・キュディエスだ。間違えないようにね。』

うーむ、ネーミングセンス的には問題ない…そんなことを考えている暇はない…安定しない思考…衝撃に備える、今は逸れに集中する。



目を覚ませば、鳥のさえずり、川のせせらぎ、森のざわめき。自然の三重奏が心地よく鼓膜を震わせる。即座に直立して状況把握に努める。視覚、良し。聴覚は先の描写の時点で確認済み、触覚、地面と自分の身体の間に抵抗を感じる。味覚、舌がある。口内は何とも言えない味だが、少なくとも感覚として存在することは確認できる。

両手を握って開く。手を見れば…白く、小さいが人の手だ。なるほど、転生と言うからには別生物への輪廻も想定していたが、幸い人間ないしはそれに類する生物なのだろう。

そのまま視覚を先程粉砕された胴体へ移せば、服を着ている。長袖のワイシャツに黒いパンツ。どうやら下着もあるようで、陰部は他よりも重厚な防備を触感する。……そうして陰部に集中していれば、どうやらこの身体が女性体であることを認識できる。男性器に相当するものが感じられない。アンダーウェアの中に左手を突っ込んでみれば、放尿器官と排便器官以外無い。と成れば、女性体という認識も誤りか。無性体であるという初期診断を片隅に置いて、次に足元。

白いくるぶしまである靴下と、黒い革靴。野道を行くには頼りないが、それでも素足に比べればはるかに長距離の行軍能力を有する。

そして、何か違和感を覚えたのは側頭部、耳だ。手で触ろうとすれば、明らかに知っている場所より手前で接触する。耳が、横に、長い。聴覚にも微妙な違和感、具体的には音を拾い過ぎる感覚がある。逆に後ろに木があるにもかかわらずそれを聴覚で知覚できない。人間は微細な収音の変化から《気配》というものを広域に対して感知することが出来るのだが、この耳の形状からして前方への聴覚情報に特化している。想像するに、いわゆるエルフとかいう偶像に近しい状態であると認識する。

ついでに髪を触ってみれば、クリーム色と表現するべきだろう、やや白み掛かった黄色い長髪であった。生前の黒の短髪とは違うが、髪質自体はさらさらしたものでそこまで大きな変化を感じはしなかった。

自己の確認はこんなところで基本は良しとする。次に環境の確認だが、音から察するに森の中。近くに水源があるようだ。そして、やけに木が高い。あるいは自身の身体が以前よりも小さくなっている可能性を考慮することが出来る。恐らくは後者であるように思う。日光は太陽同様に白く、暖かい。どうやらG型主系列星…だったか?まぁ太陽と同じような恒星を主に持つ惑星に落ち着いたようだ。

近くに川があることを認識しているから、取り敢えずその方向へと向かう。今は問題ないが、空腹に襲われる可能性もある。食料の宝庫であり生態系を支える重要な拠点である河川は、可能な限り早期に探索して置いてなんら不都合はないだろう。

川のせせらぎを辿って、木々の合間を歩き、低木と高草を掻き分けつつ着実にその方向へと近付く。 せいぜい数十秒のうちに、視認することが出来た。

「小さいな……。」

自分の声を初めて聴いたわけだが、やけに高い。どちらかと言うと女性に近い体躯なのかもしれないが、身長的にはまだ小児程度だろう。恐らくそのせいで声が高いのだ。

『やぁ。』

そんなことを思っていれば、また違和感。二度目にしてその原因は分かり切っていた。

「名を名乗れ。」

今度は情報伝達の手段は単純、発話だけでいい。会話の手段があるということのありがたさを身にしみて感じる。

『名は無いね。そんなことより覚えているかい?君の名前。』

一瞬で質問を躱されてしまった。あくまでも会話の主導権を渡さないという確固たる意志を感じる。この素早い応答、恐らく相手はこちらより遥かに膨大な会話を重ねて来たのだろう。齢18の小童にはとてもじゃないが対戦出来なさそうだ。

「確か、アイラマート。」

『そう、アイラマート・キュディエス。君の名前の漢字をラテン語に意訳して適当に繋げただけの名前だけれど、そちらの世界での立派な名前だ。決して忘れないでくれ。』

名前にそれほど重要な意味があるのだろうか?自分の名前、嶋恒五日と言う名称自体は、他者から自分を認識する際には確かに重要であったが、個人として必要に感じたことはそう多くない。まぁ、それも凡庸な脳みそしか持ち合わせていないからかもしれないが。

『さぁ、初めての任務だ。その川を辿り下って行け。そうすれば何らかの事象に遭遇するはずだから、その後の対処はご自由に、ね。』

「…了解。」

川を下る。それは規定事項だ。このまま森の中に居るというのは危険が多すぎる。野獣が居ると推測されるがそれだけではないかもしれない。この世界の自然界がどの程度の脅威なのかは全く情報が無い。この川の下に、街がある可能性を辿って下る方が大分ましであるというのが私の判断だった。これを肯定する形で、ついでに《何らかの事象》ときた。かなり面白くなってきそうではないか。

私は何も持たない身軽な体でゆっくりと川縁を下っていく。川の流れはそこまで早くない。日本の川と比較して、であるが。海外基準で考えれば十二分に急流と呼べるだけの速度だ。この身体で転落すればひとたまりもないだろう。ふと水面を覗いてみると、自身の顔がくっきりと見えた。

くりっとした丸く黄色い眼に高い鼻、長い耳に梳かれた長髪。美少女と形容するに相当な容姿であった。改めて、転生したという超常的現象を知覚する。

ふと、歩きながら思考する。そもそもここは地球ではないのだろうか。先ほど聞いた鳥のさえずりはどこかで聞いたような覚えもある。とはいえ、生物の進化体系が変わったとしても合理的集束によって環境は類似したものになることが推察される。或いはあの私に指令する存在、仮に【高位存在】と名付けるが、あれが私の生前の環境に近しい場所を転生先として選別した可能性も十分にある。結論は出ないが、一応地球に類似した生態系を有する惑星であろうことは木々を見れば明らかであるから、少し警戒を緩めることにしよう。このままでは緊張による精神疲労が肉体疲労より先に来てしまいそうだ。

「……だ……い!………く…ろ…‥…ひ…!」

…人の声。前方から。距離的には200~300m程度のように感じる。この身体の聴力がそこまでの精度を有しているか、あるいは有していたとして以前と同じような思考回路を演じている脳が適当に処理できているのかは未知数だが、とはいえ聞こえたということはそれなりの近さ。さらには轟音と、土柱が続けざまに感知される。目視した情報を基にすれば、どうやら確かに200~300m程度であることは間違いない。思考しながらもピッチを上げていたが、顎につけていた右手を放し、全力で走行を始める。《何らかの事象》、思っていたよりも早く来たな。これは、退屈しなさそうだ。少々笑みを浮かべて速度を上げる。

こんな小さい身体だが、地面をしっかり踏みしめて軽やかに走れる。どうやら肉体の能力値自体は生前のそれよりも遥に高いようだ。走るというよりも跳び続けるイメージの方が適当だと考え、ストライド、即ち一歩一歩の距離を長くしてピッチを下げる。すると、先まで流れていた川の流れが逆転し、後方へと遅れていく。私の方が革よりも速くなったのだろう。高揚する事実だ。走るのが楽しい。いつまでもこうして汗を流していたいものだが、それよりも前に目的地に着いてしまった。

「ロイ!気を付けろよ!」

「マック、後ろ!」

「っと、危ねぇなっ」

間一髪のところで、石の塊が繰り出した拳を両手剣で受け流す男。マックと呼ばれていたそれは、中世欧州を思わせる鉄製の胸当てとレッグアーマーを装備して、石の塊に対峙している。あとハゲだ。陽光に頭頂部が照らされて煌々と輝いている。

その石の塊はと言うと、やや図体の大きい人型をしていて、どう繋がっているのか分からないが巨大な丸石を複数主体としたゴーレムとでも言うべき生物のようだった。

ついでに、マックとやらに警戒を促していたのは軽装の魔術師然とした格好の杖を持った女性。黒髪に眼鏡をかけていて、大きな円錐形の角帽子を被っていて、あと胸がでかい。あれだけでかいと戦闘には向かないと思うのだが、と言うレベルででかい。

ちなみにゴーレムは二体。戦況は人間側が劣勢と言ったところ。

さて、ここで私が採る事の出来る選択肢はいくつかある。

まず思いつくのは静観。正直あのような戦闘にまだ慣れない身体で突っ込んでいくのは正気の沙汰とは言えない。が、これは棄却。理由は単純、面白味が欠ける。一度失った命だ、この一生はせめて満足の行く人生にしたい。

次に、人間に味方する。これも無し。理由は死亡率があまりに高すぎること。あのゴーレムに対し、両手剣がまともに通用するとは思えないし、魔術師らしき人間も先ほどから攻撃できていない。杖による有効打というのも考えづらいし、例えこの星に魔法と言う事象があったとして、それを使っていない以上実力としては無意味。

さて、困った。となるところだが、私は即座に判断を下した。

「なっ、子供?」

戦場に飛び出し、マックとやらがこちらに注意を向ける。

「マック!前!」

「ぐっ!」

その隙を狙って、一体のゴーレムが右腕を振り下ろす。それを剣でなんとか抑えるマックとやら。そこに急速に接近して、私は、《打撃を加える》。

「ぐはっ!?」

結論、戦いにおいては優勢の側に助力することが最も有益である。これは戦略に関する極めて当然の法則であり、そして現在の状況においてもおよそ最適な回答であると判断できた。

ゴーレムの戦法は明らかに人間と同じ武道を志している。例え意思の疎通が容易でなかったとしても、敵と味方の判別はしっかりと付くだろう。そして彼らは明らかに捕食器官を有していない。つまり、人間を襲うメリットがない。であれば人間側が何らかの目的でゴーレムを攻撃し、返り討ちに遭っているというのが妥当な推測であろう。つまり、ゴーレム側は《正義の戦争》に臨んでいるということになろう。であれば、それを応援するのが国際社会の規範たるべきものだと私は考えた。

ゴーレムはそのまま、マックとやらを押しつぶし、辺りには鮮血が飛び散り、ワイシャツも紅のアクセントを湛えた。

ゴーレムの目は…私を一瞥した後は、ロイとかいう女に向いている。どうやら間違いではなかったらしい。こちらに敵意を向けるようであればこのまま逃走してしまおうと考えていたが、状況は私の判断に沿って推移しているらしい。

「え、エルフ!?森の民が…イヤ!」

恐怖に顔をゆがめた様子で、ロイとやらは潰走した。まぁ、逃がさないが。

「ぐはっ――」

即座に切り返してがら空きの背中を一突き。ロイとやらはバランスを崩し、川縁に倒れる。

「よしよし、上々ですねぇ。お話と行こうじゃありませんか、お嬢さん?」

覇気のない声で、私はそう言った。

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