第2話 メルク村のアンヌ
祖父は騎士だったといいます。祖父が戦争で戦い、功績を立てて得た土地を耕し私たちは生きている。
たった5軒家があるだけの小さな村。その内3軒の家は父と父の兄弟の家で、祖父の土地をみんなで守りながら、それぞれの家族が慎ましく日々を送っていました。
喜びも悲しみも巡りめく季節と共に、春に種を蒔き、秋に収穫し、そしてまた種を蒔く……。収穫を喜び、獲物を獲り、冬を耐える。ただその日々を繰り返す。
祖父はよく言いました。
「貧しさが私を育ててくれた。貧しいものが救われる」
それはエイリア教の教えでした。この世界のたった1つの神、エイリア様。わたしたちを救い、光の国へと導いてくれるお方。祖父は敬虔な信徒でした。祖父は神のために剣を握り、戦いました。勇猛な騎士だったと言います。
祖父が生きていた頃、酒を飲み上機嫌になると大陸の東の蛮族から、領主様の領地を守り抜いたのだとよく聞かされました。そんな祖父は父たちが騎士になることを望みませんでした。
「私は何も持たなかった。だから戦うしかなかったのだ。しかし、今ではこの土地がある。この地で麦を蒔き、羊を飼い、暮らそう。人が人として生きるように」
祖父は領主様に特別に許可をもらい、息子たちを騎士にしないことを勝手に決めてしまいました。
父はそんな祖父を恨んだこともあったと言います。自分も騎士になれば祖父よりもっと功績を残せたかもしれないと。戦士として生きてみたかったと。
しかし、今ではこれでよかったのだと言います。私が生まれた時にそう思ったと。生まれたばかりの小さな私が、父を見つめ、父の指を握り締めたときに、父はこれでよかったのだと思えたと言いました。
――命を尊びなさい。そこに喜びもあるのだから――
私はこの言葉を思い出します。きっと神は父にそれを教えるために、苦悩を与えたのだと思いました。戦士の夢とそれを阻む現実を。私の命が父にその意味を教えた。神の思し召しはなんと深く、そして愛に溢れているのだろうと、今でも私はこの話を思い出すたびに胸が熱くなるのを感じます。私が存在している意味と、父からの愛を感じます。
エイリア様はきっと私たちを見守っていてくださる。きっと私たちを正しい方向へと導いてくださる。
そう、思っていました。あの日までは――
その日、父は上機嫌でした。商人のべヘルさんが家を訪れ、羊の毛を高く買い取ってくれることになったからです。私たちが育てるメルク羊は美しく長い毛が特徴の羊です。その羊毛の商品としての価値に気づいたやり手の商人がうちへ訪ねてきたのです。父は商談を快諾して、大きな笑みを見せました。
「これからずっと楽になるぞ。そうだ、もっと羊を増やそう。人を雇うのもいい」
私はその時、何か胸騒ぎを感じたのです。『貧しきものが救われる。持たざる者が救われる』これはエイリア様の教えでした。もちろん私たちは農奴と呼ばれる人や、小作人の方々よりは恵まれていました。自分達が耕し生きる分だけとはいえ、自らの土地を持っていたのですから。
それでもこれ以上持つことは、持ちすぎることにならないだろうか? 神は私たちを見放してしまわないだろうか? 私がそんな小さな不安に襲われていることを母は察したのでしょうか、母は私をさっと抱きしめました。
「大丈夫だよアンヌ。これは神様からのプレゼントだよ」
「プレゼント?」
「そう。私たちが神様へのお祈りを欠かさなかったから」
そう言って、母は優しく微笑みました。それから母は「このお金であんたにいい服を買ってあげようね。アンヌももうすぐ16だからね。どこへ嫁いでも恥ずかしくないように」と言って私の頭を撫でました。
母の温かい手の感触が私から不安を振り払ってくれるようでした。私は落ち着いて、母の目を見て「うれしい。ありがとう、お母さん」と答えました。
その時、外で遊んでいた弟のマイロが慌てて家へと飛び込んできました。
「盗賊だ! 盗賊が来た」
マイロはそう言うと、父の顔を見ました。外からは誰かの叫び声が聞こえました。父は真剣な顔になり、私たちに言いました。
「みんな隠れるんだ。母さん、頼んだ」
父はそう言うと、寝室へ行き、剣を手に戻ってくるとそのまま表へと出てゆきました。母は私たちを家の裏にある、農具が置いてある物置小屋へと連れて行きました。
しかし、小屋の前まで来てマイロは「僕は父さんを助けに行く」と言って駆け出して行ってしまいました。マイロは今年で14になるのできっと、自分も父のようにこの家を守らなければいけないと思ったのでしょう。母はマイロを止めましたが、マイロは聞く耳を持ちませんでした。
母は私だけを小屋に入れると、「マイロを連れ戻してくる。内から鍵をかけて、絶対に開けてはいけないよ」と言って母も行ってしまいました。私が何かを言う暇もなく、私は一人小屋の中に残されました。
どれほどの時間が経ったのでしょう。表からは何やら叫び声や怒号が聞こえてきました。私は言われた通り内から鍵をかけて、ただうずくまっていました。声が聞こえてくるのが怖くて、耳を塞ぎました。そして、どうしてこんなことになってしまったのだろうか? とただただ自問しました。
どうして? 私たちはいつも神さまにお祈りを捧げてきたのに。毎日を感謝し、そして小さな過ちを教会で懺悔してきたのに。なのに、なぜ? なぜ、神さまはこんな試練を私たちに? 持ちすぎたから? 貧しさを失ってしまったから? けど、貴族や商人はもっと持っているのに。なぜ?
そうしてうずくまっていると、ふとある木箱が目に入りました。その箱の中には祖父の剣と装備が入っていることを知っていました。父と祖父では体型が全く違うために父がこの装備を使うことはありませんでした。祖父の装備はただ綺麗に、家を見守るようにずっとそこにありました。
私は箱を開け、剣を取り出しました。それをお守りのように抱きしめ、私はうずくまり続けました。光の国にいる祖父が私に力を貸してくれるよう祈りました。家族の無事を祈りました。
しばらくして、あたりは静かになりました。時折、誰かが喋るようなくぐもった声と、笑い声が聞こえました。誰も私を呼びには来ませんでした。母もマイロも戻ってくることはなく、もちろん父も……。それはみんなが死んでいることを意味しました。私の目に涙が溜まって、落ちました。
私がここでうずくまっている間にみんな死んでしまった。いやっ、まだわからない。もしかしたら……! けど、その可能性はあまりにも少ない。私はここでうずくまっているべきなのだろうか。もし、みんな死んでいたとして、一人生き残った私はどう生きてゆけばいいのだろうか。
私の手の中には剣があった。祖父の形見であるロングソード。私は革鞘から剣を引き抜く。壁板の隙間から入ってくる光に照らされて、白く、美しい剣身が光った。少しでも家族が生きている可能性があるなら、私はここを出てゆくべきだと思った。
ここを出ればきっと私は死ぬだろう。いや、ここにいたとしても見つかって死ぬかもしれない。ならいっそのこと戦って死にたい。祖父のように勇敢に戦いたい。このままここに居たら、私はきっと私を恨むことになる。何もしなかった私を私は許せないだろう。私は剣のグリップを握りしめました。剣は私に勇気をくれる気がしました。そして、扉の鍵を外し、外へ出ました。
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