第51話:触れてはいけない

存在理由のはっきりしない無縁体は、実は人間の姿だけではない。


時々、犬猫やハトや雀も見たことがある。

微動だにしない雀は分かりやすい。

微動だにしないハトや、近寄っても逃げないハトは時々いるため分かりにくいが、すすーっと動くハトはさすがに無縁体だと分かる。

日本には野犬が少ないので、街中に単独でうろついている犬は100%無縁体だと考えられた。

それに対し、駐車場の隅で寝ている猫や、人の目をぬって物陰から物陰へ、目にも止まらぬ速さで移動する猫は、なかなか見分けるのが難しかった。


ただ、駅前の高級デパートの中に堂々と猫が座っていた時は、さすがにそれが無縁体だと、公子もすぐに分かった。

デパートの婦人服売り場に猫がいて、誰も気にしないことなどありえないからだ。


そして、この猫に触ろうとしたのが、公子にとって、最初の交ぜないの体験になった。

一緒に来た母が店員と話しながら服選びに夢中になっている間、暇を持て余した公子はふと、その無縁体の猫に興味が湧いてきた。


フロアの隅のカーペットの上に設置された休憩用ベンチの脇に、優雅に横たわるグレーの長毛種だった。


公子はそっとベンチに近寄り、しばらく猫を眺めた。

その背中は小さく上下し、呼吸をしているのが分かる。

じっと見ているうちに、無縁体ではなく本物の猫なのではないかという気がしてきて、思わずそれを確かめるように手を伸ばしてしまった。


無縁体に触れると危険だから触れてはいけない、そう言い聞かされていたことをすっかり忘れた公子の自業自得ともいえるほど痛烈で、忘れられない感触だった。

指先から全身に何かわからないうねりのような恐ろしい感覚が走り、眩暈がし吐き気がし、公子は気を失った。


尋常ではない叫び声に、駆け寄った母は、一目で状況を理解し、気を失った娘を抱き上げた。

心配顔の店員と駆けつけた警備員に言い訳もそこそこに、休憩室で少し休ませてもらえないかと頼み、公子が気づくまで手を握って霊力を送り続けてくれたのだと、後から聞いた。


***


それ以降は、無縁体に触れないように注意してきた公子だったが、それでも何度かは誤って触れてしまうことがあり、気を失うまではいかないものの、相当のダメージを受けて立ち上がれなくなり、視えない周囲の人たちを無駄に心配させたことも何度もあった。


先日、姫子がミテルの中に手を入れ、交ぜないの術を使ったことを思い出した。


今、歩道橋の上でに立つ公子の右側で、眼下を往来する車の流れを見つめているミテルの顔がいつも通りに無表情のままであるのを確認すると、公子はそっと、手すりに置かれたミテルの腕、パーカーの袖の部分に視線を落とした。


それは、よくある着古された生地の柔らかさがあり、目を凝らすと一本一本の布地を形成する糸が見えるほどリアルで、そこに確かに存在するモノ、にみえた。

それでもやはり、この腕に触ると、あの吐き気をもよおす感覚が襲ってくるのだろうか。

友達の腕に触るように、指先に布に触れる柔らかく温かい感覚は返って来ないのだろうか。


せめて、少し透けているとか、少し輪郭がぼやけているとか見た目上の違いがあれば、そんな考えも抱かずに済むのだろうが、見れば見るほど、実体が無いとは思えなくなる。

そして、それを着ている本人も、無縁体とは思えない、普通の男性の姿なのだ。

しかも、結構イケメンの。


公子もミテルに触れたことはある。

ミテルの前髪を上げる時、その髪に触れた。

ほんの一瞬だったので、少し耐性ができてきた公子は耐えられたが、やはりあの感覚は思い出しただけでも寒気がしてくるほど、嫌な感覚だ。


目の前の異性に触れたいと思うことが、恋心の始まりだということを公子はまだ知らないし、考えもしない。

無縁体への興味という自分の中の好奇心の方が、圧倒的に勝っている年頃なのだ。


今朝も修行を終えた帰り道、わずかな時間を共に過ごす。

聞いているかもわからない、答えもおそらく返ってくることは無い。それでも公子はこの時間が、この空間が気に入っていた。

誰にも気を遣うことなく、過去も未来も関係なく、自分の中にある想いと言葉を素直に口に出せる、そういう場所として、”ミテルくんの隣”はとても居心地が良い場所になっていた。

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滅霊師見習い 登和公子(とわきみこ) 風光 @huukougensou

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