第25話:滅霊道場(入門)
登和家ゆかりの
書院の四方を囲む分厚い垣根には入り口はない。
正確には、一か所だけ入口はあるのだが、それは登和家の術によって許可された者にしか見ることができない。
『垣根に一か所だけ切れ込みがある、そこが書院の入口だ』とだけ言われて訪れた公子が驚いたのは、その切れ込みというのが、垣根に施された装飾刈り込みによって、あたかも立体的な彫刻に覆われた重厚な門構えのようにしつらえられていたことだった。
(おぉぉぉ、こんな風になってたんだ。テンションあがる~♪)
と目を輝かせて書院の敷地に公子は足を踏み入れた。
真っ白い砂利庭に佇む、黒瓦葺きの書院の正面が公子を出迎えた。
この道場は、登和家の人間に対して、16歳から18歳まで2年間で基礎的な術と自らの力のコントロールを目的にした修行の場となっている。
登和家の人間といっても、末端の分家まで数えると百近い世帯があるので、常時、数名の若者たちが修行を受けていることになる。そのため、日が重なった場合は、午前と午後で分けて修行時間が決められたり、共同修行が行われたりすることになっていた。
公子が道場に着いたのは修行開始予定である7時の20分ほど前だった。
正面の引き戸を開けて中に入ると、玄関の中央に貼り紙がしてあった。
『入りやすいと感じる扉へお入りください。』
見ると、玄関を上がった奥には3つの扉があった。
左は硬くて重そうな鉄の扉、中央は豪華な装飾のなされた木の扉、そして右は、関係者出入り口のようにひっそりとある障子の襖だった。
「入りやすいって、どういう意味よ…?」
再び貼り紙に目を戻し、二、三度読み直すが意味が分からない。
並ぶ三つの扉をしばらく眺めた。
いずれにしろ装飾が施された立派な鉄と木の扉は、間違って開けると怒られそうな気がした。そういう意味では、公子にとって、入りやすい、つまり、開けても怒られなさそうなのは、一番右の障子の入り口、一択だった。
とりあえず靴を脱ぎ、空いている下駄箱に入れると、障子を引いて中に入った。
そこには、ただ真っすぐ正面に向かって外廊下がのびていて、遠くに母屋がつながっていた。
ふと横を見ると、木や鉄の扉の先からも同じような外廊下が二本並んでいる。
つまり、どの扉から入っても、それぞれから伸びた外廊下を通って突き当りの母屋に入ることになったようだ。
そして、どの廊下にも、手前になにやら貼り紙が貼られているようだった。
『ここからは真っすぐの道、固く目を閉じてお進みください。
ぶつかったところで、目を閉じたまま扉を押して母屋へお入りください。』
他の廊下の内容までは読めなかったが、書かれた文章の長さ的に同じ内容のようだった。
(目を閉じて、って言われても…)
外廊下の手すりは腰より高い位置なので、目を閉じて進んでも足を踏み外して廊下から落ちてしまうことはなさそうだった。
「――いい、公子?道場では、イエスマンでいなさい。何を指示されてもそれが意味不明なことであっても、とにかく黙って従う、それが無事に修行を進めるコツよ。修行中に余計なことは考えない、分かった?」
昨夜、修行の準備をしている公子の部屋に訪れて、修行経験者としてマウントを取ってきた姫子の言葉を思い出した。
(まぁ、いいか。考えるのはやめて言われたとおりにやってみよう。)
公子は目を閉じた。
書院は神社の裏山の森の中にあるだけあって、夏の朝特有のひんやりとした風が吹くのを感じた。
遠くに蝉時雨が聞こえる。
左手に持っていた鞄を右肩にかけ、空いた左手で廊下の手すりを触りながら、一歩一歩足を進めた。
目を閉じた暗闇の中、公子の足元で小さくきしむ床板の音と、蝉しぐれだけの静かな時間が流れた。
外廊下は50m以上あったように見えたが、そんなにこの書院の敷地って広かったっけ?などと考えているうちに、姫子は何かにぶつかった。
(あれ?もう廊下渡り切ったのかな?)
まだ数メートル程度しか進んでないと思っていた公子だったので、少し戸惑ったが、思い切ってぶつかった戸板のようなものを押してみると、ぎぃ、という音がしてどこかの部屋に入ったようだった。
「想像以上の大穴だな」
人の声に驚いて公子が目を開けると、いとこの公彦(きみひこ)が死んだような顔で公子を見ていた。
「あれ、公彦兄さん、なんでここに?」
「なんでじゃないよ、きみちゃんの修行担当だよ。」
公彦は今年25歳になるインテリ系のいとこで、若手のホープ《だった》男だ。
だった、というのは、一昨年、有名大学を主席で卒業したものの、白黎社への就職を拒み、一般企業に就職したため一族から相当な非難を浴びることになっていたからだ。
「仕事は?」
「有給休暇だよ。入社以来二年ため込んだ貴重な有給休暇を、きみちゃんの修行に充てざるを得ないことになってしまってね。」
公彦は縁の細いメガネを押し上げて少し大げさなため息をついた。
公彦と姉の姫子は、自信家なところと、言葉の端々に公子を虐げる表現を悪気無く散りばめるところが似ているなぁといつも公子は思っていた。
そしてその自信を裏付ける実力もちゃんとあるのだから、その言葉が持つ威力は小さくなかった。
「あぁ…そうなんだ。…なんか、お手数かけてすみません。」
剣道の道着に似た修行着姿の公彦の後ろに、書院の中庭が見えた。
蝉しぐれの音がにわかに大きくなる。
修行では、マンツーマンで登和家の人間から教えを受けると聞いていたので、親戚のおじさまたちの誰かだろうと想定していたのだが、その相手がまさか、子供の頃からよく遊んでもらっていた公彦とは、公子にとっても意外だった。
(これも、お姉ちゃんに話さなくちゃ。)
悔しがる姉の顔を思い浮かべて公子の口元が少し緩んだ。
実は公彦は、姉、姫子の想い人でもあった。
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