第19話:声

公子は驚いて顔を上げて周囲を見渡した。


先ほどまでの自分の恥ずかしい言動を誰かに見聞きされたかと思ってにわかに焦った。


しかし、周囲には誰もいなかった。

しかも、その声が聞こえたのは、ミテルくんがいる方向からだった。


「ミテルくん…じゃ、ないよね…?」


しゃべり癖がついたせいで公子は心の声を口から出していた。


無表情のまま視線も動かさないミテルくんが、口を開くはずはない。

そもそも、無縁体が話をするなど聞いたことがない。

しかし、頭では否定しながらも、公子には、なにか不思議な確信のようなものがあった。


公子は、ミテルくんに向き直ってゆっくりと話しかけてみた。


「今、何を見てるか教えてくれたの?」


「…」


「もう一回言ってくれない?」


「…」


「なんで、ここにいるんですか?何を見てるんですか?」


「…コロブトアブナイ」


ミテルくんの顔を凝視していた公子の顔が輝いた。


確かに、ミテルくんの口はかすかに動き、公子の言葉に返してくれたのだ。


にわかに周囲に光が刺した気がした。


目の前にいるこの無表情で無害な霊と、なんと会話が成り立ったのだ。

これぞ奇跡でなくて何であろう。


その後も矢継ぎ早に公子はいくつか質問したが、返ってきたのは「コロブトアブナイ」の言葉だけだった。


「あなたが見守ってくれているってことは分かりました、でも、ここじゃなくてもよくないですか?」


「…」


「ここで見上げてなくても、歩道橋の上から見てればよくないですか?」


「…」


「ここじゃなくて、あそこに立って見守ってくれませんか?」


公子は歩道橋の上を指さした。


「…ショウチシタ」


急に違う返事が返ってきて、「え?」と公子が聞き返した時には、ミテルくんの体がすぅっと風のように移動して、歩道橋の上から無表情で公子を見下ろしていた。


「えっ、えっ、えぇぇぇーーー!」


公子は軽いパニックに陥って、先ほどまでミテルくんが立っていた場所と、歩道橋の上のミテルくんの姿を何度も見直した。


何が起こったか一瞬では分からなかった。

公子の願いに応じて、無縁体であるミテルくんが移動した、ただそれだけのことだったが、それはとんでもなく異常なことのような気がした。

誰にも知られてはいけない、そんな悪いことをしてしまったような気がした。

『あってはならないこと』公子の本能がそう告げていた。


周囲に誰もいないことを確認すると、事の重大さから目を逸らすように、ミテルくんに聞こえる程度の声で無責任この上ない感情と共に言い捨てた。


「はい、そこで、良いと思います。」


そうして、公子は、上からのミテルくんの視線を感じながら、一段飛ばしで歩道橋の階段を駆け上がった。


そのままの勢いで、ミテルくんの横を通り抜け、学校までの道を休みもせずに走り切った。

公子が校庭に駆け込んだ時、ちょうど二時限目の終わるチャイムが鳴った。


ミテルくんが移動した。


ずっと願っていた”私だけの障害”のない新しい日常が始まる――。

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