第3話 子寄りの川

 元は川の中央だった辺りに落ちていた猿の頭より小さな頭蓋骨されこうべを見て、朱羽あけははこの場所で何が起こっていたのかをようやく悟った。


「あぁ…」


 乾いた小さな骨は川底だった場所…すっかり干上がった川砂の上に無数に散らばっていた。バラバラになっているものも、一揃いのまま横たわっているものもある。


 …流したんだ。川に。


 骨は新しいものから古いものまである。強いて言うならば、全体的にまだ新しい骨が多い。それはここ数月の激しい飢饉のせいだろう。この村では、口減らしのため、産んでも育てることができない赤子を殺めることを間引くと言っていた。それにしても、こんなにもたくさんの赤子が川に沈められ、浮かばれないでいたことにおののく。


『ウワアァァン』『ウアァァ』『オギャァァ』


 赤子の声がひときわ高くなった。事情を知ってしまった今は、耳を塞ぎたくなるような痛ましい声だった。


 …山にいたから。守ってもらっていたから。私は気づかなかった。


 天巫女あまみこは村と人を守る御役目を担う。知らなかったとはいえ、朱羽は川に捨てられた赤子たちを守れなかった。暗澹たる気持ちで干涸ひからび、人に成れないまま朽ちていった亡骸ほねを見つめる。


 …川に流すだけでは供養にならない、のに。


 川に沈め、あるいは流して目に触れないようにすることで、哀れな魂を生まれなかったことにしたり、忘却の彼方に捨て去ってしまった親が少なからずいるのだろう。何故、ミシャクジ様が村から川を引き上げてしまったのか、朱羽には何となくわかるような気がした。


「私も捨て子だ。親を知らない。あなたたちと同じ生み捨てられた子だ」


 滅入りそうになる気持ちを必死に浮上させ、気を取り直した朱羽が赤子たちに声をかけると、『オアァ、オアァ』と頼り無い返事が返ってきた。


「みんな、ついておいで。私があなたたちを引き受ける。高い高い山の上に案内する。お空に帰ろう」


 朱羽の捨てられていた朱弥山しゅみせんは聖なる山だ。亡くなった死者の魂はそらを目指し、山の上に昇っていく。山上の魂は朱弥山に棲む朱鳥あけどりが天に運ぶ。行き場の無い赤子の魂も広大無辺の天ならば、必ず受け入れてくれる。朱羽は無数の赤子たちの魂と共に来た道を引き返し、朱弥山のいただきに向かった。


 ―――――諸々の禍事罪穢れあらむをば


 ―――――祓へ給ひ清め給へと白すことを聞こし召せと


 ―――――恐み恐みも白す


 死ぬためだけに生まれるのか。子には罪など無い。穢れていない。我知らず彷徨さまよう無垢な魂を祓い清める虚しさに、朱羽は祝詞のりとを唱えながら何度も嗚咽する。


 やがて。


 母を父を呼ぶように泣いていた赤子たちは天上を目指して姿を消し、山には静寂が訪れた。



✺✺✺


 独りになった朱羽あけは朱弥山しゅみせんを訪れることにした当初の目的を思い出す。


 …そうだ。小依川こよりがわを見に来たんだっけ。


 ミシャクジ様が変わってしまったのが、小依川の川下で捨てられていた赤子に起因するものだとすると、哀れな赤子たちがいなくなった今、少なからず状況が変わっているのではないか。


 朱羽は山伝いに下りながら、東に向かう。

 御釈蛇山みしゃくじやまは東。朱弥山は西。

 狭間に流れる小依川。


 両山の小さな川を集め、やがてつよく大きくなり、あらき流れを作る。この荒れ狂う狭間の川こそが天下る龍たちのおさである。


「私は天巫女、朱羽。龍王神にお頼み申す。あらわし給え」


 しかし、常ならば顕現し、呼び掛けに応えてくれるはずの龍がいない。


 …なんで…いない…の…?


「龍王、龍っ! お願い。出て来て」


 焦った朱羽が川に向かって繰り返すと、頭の中にミシャクジ様の声が響いた。


ね。ウブメに伝えよ、死をもっあがなえ。もっめいすべし』


 久しぶりに聴こえた厳かな囁やきに、懐かしさを覚える間もなく、耳にした言葉の不穏さにギョッとする。


 …罪をつぐなって死ねと…? 何故?


「待って、ミシャクジ様。いったい何の罪ですか? そんなそんな…」


『龍は送られぬ』


 …龍が…葬られた!?


 送るとは葬送。川の神である龍を葬るということ。龍が死ぬと川は死ぬ。川が消滅する。あってはならないことだ。


「どういうことですか?」


『龍は母に殺されぬ』


「ミシャクジ様、わかりません」


 天巫女あまみこは御釈蛇山を流れる川のり役。川を護り、龍をまつる御役目を担う。天巫女が女であるのは時に龍を宿す為。新たな龍の誕生を待ち、代を替え、ふるき龍を送る。これを【竜葬りゅうそう】という。龍が母に殺されたというのは…


朱鳥あけどりの仔よ、人は愚か。女もしかり。ね』


 ミシャクジ様の声はこれまでになく冷たく厳しく朱羽を拒んでいるようだった。そして、朱羽の呼びかけに応えることは二度となかった。

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