今だって私たちは子供なんだろうけど、あの頃の私たちはホントに子供そのものだったよね。

 麻人あさとは今よりナヨナヨしていたし、私も今よりずっとガサツだった。あの頃の私は自分の性別なんて意識してなかった。それは麻人も同じなんじゃない?

 いつのまにか、だな。いつのまにか私は、どうやったら女の子らしくなれるんだろう、なんてことばかりを考えるようになっていた。

 空気っていうか、そういうのってあるよね。女なんだから女らしくしなさい、みたいな。昔ほどじゃあないんだろうけど、今もあるよね、圧力みたいなものが。それとも、願いなのかな。周りの人間みんなにそう願われている。祈られている。私はきっと褒められたり、チヤホヤされたりして、自分からすすんで女の子らしくなっていったんだよ。だから、圧力をかけられたなんて文句は言えないんだと思う。


 脱線しちゃったね、話が。そもそも始まってさえいないか。


 たしか麻人が言いだしたんだよ。この子猫のこと、放っておけない、助けたい、って。

 どこでその子猫を見つけてきたのか、どちらが見つけてきたのか、それはよく覚えてない。

 だけど。

 その子猫を死なせたくないって言いだしたのが麻人だったのだけは間違いがないよ。


 子猫の体は灰色だった。子猫にしてもサイズは小さめで、ガリガリで、ひどく衰弱していた。子猫の瞳は奇麗な青色でね。私にはその瞳が宝石みたいに思えた。どうしてこんなに奇麗なんだろう。私は夢中で子猫の瞳を眺め続けた。そしたら突然麻人が泣き始めたんだよ。かわいそう、このままじゃたぶん死んじゃう、とかなんとか言って。


 私は正直諦めていた。この子猫はもう助からないだろうなって。お墓くらいは作ってあげたいな、とか、どこに埋めようかな、とか、スコップなんて家にあったっけ、とか、頭にあるのはそういうことだけで、助けるだとか助かるだとかは考えもしなかった。だって、たとえお医者さんに診せたって、絶対すぐにそうなっちゃうだろうなってくらいに子猫は衰弱していたんだもん。

 最期の時に誰かがそばに居れば、少しは楽に天国に行けるかもしれない。私にはそれくらいの気持ちしかなかった。

 だけど麻人は子猫を絶対に助けるつもりでいた。

 私の動機は麻人だけだった。子猫に対する気持ちよりも、麻人を守りたいって気持ちの方がずっと強かった。私はただ、麻人に泣き止んでほしかったんだよ。


 それで私たちは子猫の世話を始めた。本当は家の中で看病したかったんだけど、どちらの家でもダメだと言われた。麻人には言わなかったけど、私の家では猛反対されて両親にひどく怒られてしまった。その怒り方が普通じゃなかったから、家の方針とかじゃなく二人はただ単純に動物が嫌いなんだって私は理解した。

 飼うつもりはない。たぶんすぐに死んじゃうけどそれまで看病したいだけ。もし回復しても必ず野生に帰す。なんていろいろうったえてみたけど全然ダメで、『明日あす明日あす死ぬようなものなんて見るのも嫌よ、もしこのまま家に置いておくようだったら生ゴミにまぜて捨ててしまうからね』『いいかい井織。人と動物はまったく違う生き物なんだよ。こいつらには人間みたいな気持ちも感覚もない。ただの見せかけなんだよ。エサにありつけるからってこいつらは、そういうふりをしているだけなんだ。いいか井織。パパはママほど優しくはないぞ? それを、今すぐ捨ててこないなら、パパは、それを、二階のベランダから地面に叩き落としてやるからな』なんて言われる始末だった。

 私もそこまで動物が好きなわけじゃないけど、自分の親が動物を毛嫌いしてると知って少しショックだった覚えがある。私もあの頃は純粋だったんだね。


 そんなわけで私たちは外で子猫をることにした。

 そうなるとまずは場所だよね。寝床ねどこは自分たちでどうにかできるけど、雨風はそうはいかない。ひとつ目の条件、屋根と壁がある所。

 あの頃はちょうど町のあちこちで、ノラ猫やペットの犬が誰かに毒エサで殺されちゃうなんてことが起こっていた。これも私たちにはどうにもならないよね。ふたつ目の条件、人目につかない所。

 私たちは運よくすぐにいい場所を見つけることができた。私たちの家のあいだに小川が流れているでしょ? その近くの竹林ちくりんの中に古い小屋が建っていたんだ。

 物置小屋だったんだろうね。中は農具でごちゃついていて、どれも分厚いホコリをかぶっていた。ホコリは指でこすっても落ちないくらいに固まっていた。触れるものすべてが岩のようにザラザラして、照明も窓もなくて薄暗かったから、洞窟の中にでも迷いこんだ気分だった。


 きっと、途方もない年月ねんげつ、そこには誰も訪れなかったんだね。誰からも忘れられてしまって。

 小屋の中は本当に静かで、なにもかもが止まっていた。おそらくあの小屋は、行き着くところまで行き着いてしまっていたんだよ。朽ち果てられる限界までね。まさか永遠にそのままってわけはないだろうけど、次の段階まで朽ち果てるにはさらに長い年月が必要になる。あそこはきっと、そういう場所だったんだよ。

 場所の影響なんだろうね。小屋の隅にあったダンボール箱の中の子猿の死骸はその形をそのまま保っていた。本来ならあっというまに溶けてしまうはずの死骸がこうだということは、やっぱりあそこは時間の流れがおかしかったんだよ。


 ごめん。また余計な話をしちゃった。


 つまりそこは私にとって、ううん、私たちにとって理想的な場所だった。でしょ? そんなに遠くない所にあって、なのに誰も来ない。雨も風も入らないし、扉を少し開けておけば外よりもかえって空気がいいくらいだし。


 でね? 私の予想は見事に裏切られた。

 子猫は持ち直して、小屋の中を歩き回れるくらいに回復したんだよ。私は数日中にお墓を作ることになると踏んでいた。麻人と二人でそうすることになるってわかっていたから、私は、あらかじめお墓を作るのに最適な場所を探してさえいたのに。だけど私の予想は大ハズレ。完全に骨折り損。私は独りで、両親に怒られるほど遅くまでお墓の場所を探し回ったのに。


 それはともかく。麻人にとっては願い通りに、私にとっては奇跡のように、子猫は日に日に大きくなっていった。信じられないほどみるみるとね。私には気持ち悪いくらいだった。子猫の体は、それくらいみるみる大きくなっていったんだよ。私は赤ちゃんが成長するのをこの目で見たことがない。人のも、もちろん動物のも。私は一人っ子だし、両親がああだから。それで、赤ちゃんのすごさってものがわからなくて、私はそう感じたんだね。


 それでね。平穏な日々を送っていた私たちに、ある時ピンチが訪れるの。

 土日か、それとも祝日だったのか、学校は休みだった。私たちは小屋の中で、子猫にエサをあげたり、可愛がったりして過ごした。それから、子猫の今後について話しあった。

 麻人はもう少し大きくなったら子猫を野生に帰したいと考えていた。私はこのまま子猫を小屋の中で飼い続けて、最期の時まで世話をするべきだと考えていた。話し合いが言い合いになって、しまいにただのケンカになった。麻人に小突かれたのがショックで、私は反射的に本気で殴り返してしまった。それで麻人は大泣き。


 私は頭が真っ白になった。

 私はいったい何をやっているんだろうって。


 しばらくのあいだ、私は小屋の中をぼんやり眺めていた。

 麻人は床に仰向けになって、両腕で顔を隠して泣いていた。なのに子猫は気にも留めずに、じっと天井を見つめていた。

 数日前に麻人と二人で掃除と整理整頓をしていたから、小屋の中は前よりきれいになっていた。雑巾がけに掃き掃除、小物を棚にしまったり、それだけで小屋の中は見違えるほどきれいになった。

 さまよっていた私の視線は小屋の奥の棚に行き着いた。そこにはダンボール箱が並んでいた。湿気を吸って、しわしわになったダンボール箱。

 当時はあまり不思議に思わなかったけど、ダンボール箱に入っていた物はちょっとおかしかった。

 赤ちゃんのカラカラ、子供の衣服、うねうねした文字でびっしりのお札に、クレヨン、粉ミルクの空容器に、哺乳瓶の乳首、仏壇に、玩具おもちゃのピアノに、大きなウサギのぬいぐるみ。どれも傷んではいなかったけど、デザインは古臭かった。


 突然、物音がした。

 雨が屋根を叩く音だとわかるのに、少しだけ時間がかかった。なぜってすごく不自然な音だったから。私は誰かの意思を感じた。

 屋根の上に誰かが居て、そいつが私たちに自分の存在を知らせるために、屋根を叩いているんだと私は一瞬思ったし、今でも、もしかしたら本当にそうだったんじゃないかって思うことがある。

 雨はどんどん強くなっていって、ちょっと怖いくらいだった。でも私には、それがありがたかった。だって、雨音に驚いて麻人が泣き止んでくれたから。ほっとして、「神さまありがとう」とまで思った。大袈裟だとは思う。でも、私には救いの雨だったんだよ。たとえそれがどんなに薄気味悪くても。


 話を戻すよ? 話のきもは猫なんだから。雨なんて、いってみればたかが水だよね。上から粒で降ってくる分には鬱陶うっとうしいだけで実害はない。だけどそんな水も、たくさん集まるとバカにはできなくなってくるよね? そう。私が言いたいのは川の増水のこと。

 雨は一日じゅう降り続いて、川の水位はみるみる上がっていった。それで私たちは心配になった。このままだと川の水があふれて、小屋が流されてしまうんじゃないか。子猫が溺れちゃうんじゃないかって。

 それで私たちはその日、小屋に泊まったんだよ。

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