2
僕は念のためにバスの時刻表を確認した。次のバスが来るのはずっと先だった。予想してはいたが少しがっかりだった。
僕たちは今、バス停の待合室の中で雨宿りをしている。待合室は外も中もボロボロだった。待合室じゃなく小屋といった方がしっくりくる。人なんかよりも農具の方がずっと似合いそうだ。でも、雨をしのげて腰を下ろせるベンチまであるここは、今の僕たちには救いの場所だ。文句なんて言ったら罰が当たるかもしれない。
雨は、
井織の予想は見事的中したわけだ。井織は喜ぶのだと、僕は思っていた。『ほらね、言った通りでしょ? 私の勝ちだね』なんて言って満面の笑みを浮かべるのだろうと。けど実際はそうじゃなかった。「お前の言う通りになったな」と僕が声をかけても、井織は、うん、そうだね、と素っ気なく返すだけだった。
予報では今日は一日快晴のはずだった。本来は降るはずのない雨なんだ。だからこの雨はすぐにも止む、そう願って雨宿りを続けているけど、雨は強くなっていくばかりだった。
僕たちは少しだけ雨に濡れてしまっていた。二人ともタオルを持っていて、それで髪と体を拭くことができたからまだよかった。けれど、このままではいずれ風邪を引くだろう。両親たちに電話をしてみたが迎えには来られないようだし、どこかで見切りをつけて、雨のなかを帰ることも考えないといけないだろう。バスは……論外だ。
何かが
僕は井織に目を向けた。
井織の頭はペチャンコになっていた。いつもはふんわりしているボブカットが、雨のせいで潰れて頭に貼りついている。なんだか捨て犬みたいだ。普段ならそれをからかうだろうけど、とてもそういう雰囲気じゃなかった。
井織の様子は、どこかおかしかった。
緊張しているように落ち着きがない。かと思えば
「ねぇ、前から聞きたかったんだけどさ」突然井織は言った。僕を見ずに目を伏せたままで。
「どうした?」
「
「そんなことないだろ」
と反射的に答えはした。だけど――井織の言う通りだった。僕は確かに他人や先生たち、井織以外の女子たち、仲のいい友だちの前では自分自身を指して『僕』と言っている。両親の前でなら『俺』を使うこともある。けどそれも滅多にない。『俺』を使うのはほとんど井織に対してだけだった。
「もしかして、嫌だったか?」
「ううん、嫌とかじゃないよ。ただ――」
「ただ?」
「どうしてなのかなって。その理由を知りたいだけ」
井織の言葉にはどこか棘があった。
「なんで?」軽く言ったつもりだった。でも僕の声はやけに響いた。
井織は少しして、「なんとなく」と答え、「で、どうなの?」と続けた。
「ん、それは、それだって『なんとなく』だよ」
僕の答えに井織は目蓋を歪ませた。あからさまに不機嫌な表情。井織のこんな顔、初めて見る。
頬に風を感じて僕は正面を向いた。待合室には扉もないから、出入り口付近は雨でびしょびしょになっている。僕はそのまま外に目を移す。
地面に跳ね返る雨の
突然すぐそばで息を吸う音がした。驚いて、僕は一瞬動けない。顔を向けると、すぐ近くに井織の顔。僕を見ている。
「雨がそんなに珍しい?」
井織の顔は、中間の顔だった。無表情とも違う中間の顔。いくつかの感情が混ざり合って、その末どれでもないものに落ち着いてしまった、そういう表情。
僕は止めていた息を吐いた。井織はうっすらと笑みを浮かべた。いや、作ったんだ。これは作り笑顔だよって僕に伝わるように。
「私がほかの人と違うから? それとも麻人の中で何か区別があるってこと?」
「同じことじゃないか?」
「同じじゃないよ、全然違う」
「どうしたんだ井織、ちょっと怖いぞ」
「そんなことない。麻人の方がずっと怖いよ」
意地を張るように井織は言った。内心僕はほっとした。井織の普段の口調で、顔だったからだ。
「なにムキになってんだよ。子供じゃないんだから」
からかうように言ったが僕の声は乾いていた。
「ごめん、そうだね。だからって、まだ大人でもないけどね私たち」
それきり僕も井織も何も言わなくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます