4.ウェスターマーク効果とその信頼性、1サンプルではいずれにせよ用を為さないこと

 新条雪希は僕を嫌っている。


 嫌いの用法がおそらく一般のそれとはかなり異なるが、いずれにせよ彼女が僕を嫌っていることは事実だ。僕のなにを嫌っているのかは定かではないが、思い返せばはじめから好きではなかったのだろう。


 幼少期の新条雪希は風変わりな子だった。彼女は孤独を愛していて、そもそも自分の認知できる範囲に人間が存在することが生まれつき苦痛であるように見えた。それは今にも通底する彼女の根本であり、人間関係とは雪希にとって一定の不快さを常に孕む。幸いにして、雪希はその不快を超えるメリットを得られるときか、あるいは相殺して不快を我慢できる程度に抑えられるとき、概ね大人しくしていられる。


 本当に幼い頃。僕達がお互いの家、そして家の前でばかり交流していた頃は、だから雪希のその性質が問題になることはなかった。雪希は両親も僕も不快に思っていたが、それを少なくとも実生活に支障が出ない程度には認容していた。


 彼女が苦しみだしたのは幼稚園に入ってからだ。騒々しさは雪希にとって地獄だった。彼女が蕁麻疹をだして体中を掻き毟り、傷だらけになったことは一度や二度ではない。雪希がヴァイオリンをはじめたのはこの頃だ。不快な音を洗い流すように、彼女は古楽に傾倒した。美術鑑賞にも強い興味を抱き、自然物だが僕の持つ鉱物図鑑を通して貴石もよく眺めていた。生物図鑑はあまり好まなかったが、一部のクラゲを好いていたようだった。ミズクラゲやアンドンクラゲのような飾り気のない淡泊で素っ気ない類だ。


 小学校でも彼女は同じ苦境にあった。騒々しいことは彼女にとって耐えがたいものだった。ただ、新条雪希という頑固者は耐えがたいものを無理矢理耐えきった。不快だという重圧を背負い続け、背負い抜いた。雪希は誰にも文句を言わなかったし、団体行動の進捗に迷惑をかけるようなこともしなかった。粛々とやるべきことをやった。自分で掻き毟った結果の生傷はたえなかったけれど。


 僕はこういった彼女の苦境を基本的に理解していたけれど、ひとつ根本的に勘違いをしていた。それは僕自身は新条雪希にとって傍にいて収支がプラスになる人間だと認識していたことだ。実際のところ、彼女にとって僕はマシな部類だと思うけれど、それは彼女にとってプラスであることを意味せず、他に比べればマイナスが小さいことを意味する。つまり、僕と共にあることは総じて見ると彼女を傷つけ続けることになり、他よりマシとはいえ僕といるより一人でいる方が雪希にとってもっとマシだという事実に僕は長いこと気がつかなかった。


 小学二年生の頃、告白して拒絶されたときですら、僕は現実を正しく認識できていなかった。同年、僕と二人きりでいるときの彼女が蕁麻疹を出して鬱陶しそうに体中を掻き毟っているところを見て、はじめて僕もそちら側なのだと認識した。雪希から僕への嫌いだという感情もこの頃から強くなりだしたと思う。おそらく、身体的発作によって初めて雪希自身も彼女が僕をどう捉えているのか正確に把握したのだろう。


 小学二年生。男女の壁が高く築き上げられる頃だ。既に雪希に嫌われていることを知った僕と、僕を嫌っていることを知った雪希であったけれど、幼稚園の頃から長らく連れ添っていたこともまた事実だ。特に男子は下校を強くはやし立てた。その日が何限で終わろうとも互いの時間割にかかわらず学年が異なるのに下校を同じくしていたから、僕と雪希の組み合わせは目立つことこの上なかったのだろう。登校についても、もちろん。僕のクラスについて、その問題は熱狂的になり、一年生である雪希のクラスの男子にまで伝播した。それは一学年を越えた二学年の問題、つまり学校の問題となり、大きな注意が行われた。もちろん、それで沈静化がなされることもなかった。


 結局のところ、僕は皆の前で雪希との関係はなんでもないことを宣言した。それだけでは意味がないことを知っていたから、なまくらのハサミで自分の腕を無理矢理割いて二度と話題にするなと脅迫した。大量の出血と露出した筋肉、つまりグロテスクなものは一定の効果があると当時の僕は期待した。幼稚な浅慮だ。僕自身がそういったものに極めて弱いので、効く相手がいるはずだと思った。自分を証拠にして人類全般について過度に一般的な効果を期待したのだ。


 ごく少数が嘔吐し、幸運に助けられそれは伝染した。言質を取る必要があったから、何度かハサミを動かして了承を得た。軽い注射で血管迷走神経反射を起こして倒れる僕にとっては、かなり切迫した行動だった。ただ、このときの僕は雪希への恋心がまだ強く残っていたし、とにかく雪希に関する問題を幾つかでもマシにしたかった。腕の解剖を描いたレンブラントの絵画が発想の参考になった。雪希の蔵書である。


 もちろんしょせん小学生用のハサミで切り開けたものなどごく表層だが(深く切りたかったが弾力に富んでおり刃が通らず無理だった)、それでも大量の血と肉は効果的だった。本当に、伝染したのが効果的だったと思う。こういった類に耐性のある子も多かったはずだ。上手くいったのは、パニックという空気が伝播したから、幸運だったからに過ぎない。十回やれば九回失敗し、かえって嘲弄の材料が増える結果になっただろう。


 本当に、運が良かった。あの頃の子供に言葉が通じるとは微塵も期待していないが、血や肉が通じるともあまり思っていない。嫌悪や恐怖や痛みは大したものではない。僕は短期的にはそれに弱いが、短期的にそれらに暴露したからといってそれによる効果が長続きしたためしがない。喉元を過ぎた熱は速やかに忘却される。僕は愚挙に出たのであり、それが奏功したのは成功率が高かったからではなく、単にダイスの目がよかったからだ。もちろん僕の想定以上に血の効果を受け長く引きずった繊細な子もいたけれど、僕はそれについては興味がない。


 僕と雪希が腐れ縁にならず、本来でれば絆を腐らせるための要素だった水分が凍結したのはこの事件のためだ。僕達は禁忌になった。枠外の者、遊ぶ対象にも虐める対象にもならない。触れてはならないものになった。とても居心地が良かった。それでようやく、僕もやかましいのが嫌いだと気づいた。


 本はいい。作中で何が起ころうと音は出ない。自分のコントロールできないものに煩わされないことは居心地がよかった。自由であることの解放感を強く感じた。僕が雪希を鬱陶しく思い始めたのはこの頃からだ。当時は雪希に恋をしていたから気づかなかったが、まさに恋をしていたというその事実により僕は雪希に縛られており、その不自由は漸進的ぜんしんてきに僕を不快にさせた。


 恋が醒めるとともに不自由の度合いも落ちたが、凍結した縁は凍結しているが故に不変かつ一定の不自由を僕の前に指し示す。それが疎ましかった。僕にとって雪希とは旧来の意味で絆と表現するに相応しい。僕は雪希に繋がれており、その限りにおいて不自由だ。今もなお。


 雪希は面倒を嫌う。この事件によってクラスメイトや上級生の男子という面倒から解放されたことについては彼女は喜んだだろう。しかし、僕が面倒臭い人間になったことを、彼女は面倒臭く思うようになった。雪希の中で静かに僕を疎み嫌う感情が育った。しかし、それは僕から離れるという大きさにまでついぞ育たなかった。


 互いに嫌いあっていながら、その感情は凍結した絆を破壊できるほど強固ではなかった。そもそも僕も雪希もあまり感情が強い方ではない。そこまで強く誰かを思えない。惰性でできあがったものを破壊できるほど感情が育たない。それで仕方なく雪希は僕とともにあった。雪希にとって僕とは旧来の意味で絆と表現するに相応しい。雪希は僕に繋がれており、その限りにおいて不自由だ。今もなお。


 今回の発端となった事件、雪希が軽佻浮薄けいちょうふはくの輩にならんと志したのは、降り積もった僕への嫌悪がようやく凍結した縁へ試しにハンマーを振り下ろしてみようと発起ほっきするに値するものにまで育ったからだろう。そして、結局の所雪希の感情はそこまで大きく育たなかった。僕の感情もまたそうだ。僕達の互いを嫌う気持ちは年々育っている。しかし、そもそも希薄な感情の成長は遅々たるもので、僕達は加齢に伴い状況への許容力も年々増している。つまり、僕達は常に互いへの嫌悪を成長させながら、これを上回る許容力の成長により離れることができずにいる。これは不条理だ。


 だから雪希の「自分たちの関係が面倒臭いから滅茶苦茶にする」、という雑な提案に僕も乗った。過激に動けば多少情が振れると思った。雪希を好きになっても嫌いになってもよい。どちらにせよ現状よりはマシになる。


 しかし、結局の所それは血と肉と変わらなかった。血と肉が僕に中長期的に何の影響も及ぼさなかったことと同様、雪希との激しい接触は短期的な動揺を僕にもたらすが、やがてその情は凪いでいき、何事もなかったかのように落ち着く。全ての抵抗は無意味だと嘲笑うように凍結した縁には僅かな瑕疵かしもない。僕達の縁は凍結した透き通る巨大な氷の中で一切の傷なく保存されている。


 そして、僕達のやっていることは何の意味もないという嘲笑すら、僕達の行動を更に激化するような動機付けにならない。なぜなら、それすらどうでもいいからだ。僕達は僕達の関係性に熱くなれない。関係性を破壊しようという試みにすら熱くなれない。凍結した絆を破壊できないから、お互いをどんどん嫌いになっていくから――だからどうした? その程度のことが。どうでもいいではないか。そういった思いが常に纏わり付いている。


 確かにそれは不条理だ。だが、許容できる不条理だ。許容できなければ絆の凍結は砕け散る。砕け散っていないということは許容できるということだ。一切の影響を与えられていないということは、やっていることは何の意味もないということを含意する。そして、やっていることに何の意味もないということすらどうでもいい。なぜなら僕達はその無意味な徒労すら許容できるからだ。僕達は徒労を行っていることに耐えがたい苛立ちを覚えない。耐えられる苛立ちは覚えるが。


 ゆえに、雪希の過剰な行動すらも許容できる徒労として常態化、つまり凍結しつつあった。僕達は更に互いへの負荷を増した、つまり嫌悪の増長速度が増しただろうが、結局の所それは許容範囲の拡大速度に追いつけなかった。そして最悪なことだが、この徒労を停止することが僕達にはできない。なぜなら許容できるからだ。停止させるためにはこの徒労という凍結を粉砕しなければならない。


 しかし、僕達の感情には徒労をやめるための力がない。はじめたものを止める方法がわからない。たぶん、これは雪希も想定していなかっただろう。このリスクに気づいていたならば彼女はもっと慎重になったはずだ。だが、結局のところ彼女は動いてしまったのだし、全てはもうどうしようもない。これはポトラッチですらない。加熱する贈与の戦いは財産に限界付けられる。しかし、僕達の応酬は嫌悪の助長速度をこえる許容範囲の拡大によって限界を持たない。限界による自然停止が期待できない。そして、人為的に止める力を僕も雪希も持たない。全ては後の祭りだ。



「蛍川くん」



 常態化した雪希とのやりとりは特に秘匿されなかった。僕は一日一回思いついたときに雪希に命令し、雪希もまた思いついたように反撃する。僕には最低一日一回それを行う必要があるが、雪希には権利の期限がないので幾つかためて消化することもあった。わざわざ記憶していないので、雪希にストックがあるのか、ストックがないのに過剰にこちらに命令しているのかもよくわからない。


 実のところそれはどうでもいい。僕は雪希に無限に命令できるので、雪希が無限に僕に命令できたところでさして影響はない。雪希が僕への反撃権を一回につき無限にすると一度口にすればそれは実定化するのだから、はじめから雪希は僕に対し無限の権利を持っているようなものだ。重箱の隅を突いたところで、それは解消されるのだから突く意味がない。僕に雪希の権利の無限化を止める意図がない以上、考える必要のないことだ。


「最近、新条さんといっしょにいること増えたよね」


 ぬるい完全栄養食を流し込む。どろりとしてやたら甘い。全く美味くないが、そもそも美食を求めていないのでどうでもいい。眠かった。僕は常に眠い。寝ても寝ても眠い。


 受診したこともあったが、身体的な問題はなかったそうだ。特段の必要がなければ僕は常に寝ている。多くの欲求が希薄であるかわりに、睡眠欲はほぼ常に飢餓的に僕を襲っている。そうしようと思えば僕は一日中寝ていられるし、実際小学生の頃雪希に指摘されて試したことがある。結果として僕は断続的な覚醒はあるものの一日中飽くことなく眠り続け、同衾していた雪希を著しく呆れさせた。


 僕の眠りは基本的にとても浅く、どれだけ寝ても寝た気がしないが、雪希はそれ以上に深刻で不眠症を患っている。あいつは睡眠導入剤を用いてなお基本的に眠れないので、しばしば寝室をともにしている。物心つくまえから一緒に寝ていたことからの癖だろう、互いに傍にいるとよく眠れた。


 雪希の不眠は切実なまでに眠りたいのに眠れないという通常かつ危機的のものであり、僕もまた常に寝ても寝ても眠りが浅く寝た気がしないので、好悪にかかわらず共に寝ることは歓迎すべきことだった。試験勉強中など、特にコンディションを保つべき状況においては毎日共に寝ることが不文律になっている。


 最初はリビングで1~2時間の仮眠という形で始まったものだが、常態化して以降昼夜に関わらず互いのベッドは互いのものだという感覚が二家にある。雪希の御尊父、おじさんを除いた両親三人はこれをよく思ってはいない。子供の人間関係として不健全だという意味でそうなのではない。睡眠に関する僕達の飢餓的状況を強く心配しているのだ。


 雪希は睡眠導入剤と少量の抗不安薬を飲んで僕と寝るのが入眠障害も中途覚醒もなく最も穏やかに眠れる形になっている。僕は幸い薬に頼ることはないが、雪希がいなければ深い眠りが得られずに機会があれば常に寝ている。僕達を引き離したいというのではなくて、僕達を健康にしたいという意味でおじさんを除く三人の親は僕達を心配している。


 これはかなり重大な問題で、雪希は小学校中学校と修学旅行を二回リタイアした。高校に入ってすぐの学力強化合宿でも雪希は不眠の果てに倒れた。新条家は家族だけで長期の旅行に出ることができない。少なくとも僕が要る。だから、僕の家は僕達だけで家族旅行ができるけれど、新条家が旅行するとき必ず部外者の僕が要る。もちろん、雪希を苦しめるわけにはいかないので蛍川家が実際に雪希を置いて旅行に出ることはない。可能だが、そんな惨いことはしない。つまり両家ともに長く旅行していない。


 たぶんクラスメイトに話せばゴシップとして面白がられるだろうが、僕達二家にとってこれは重篤な問題だ。僕と雪希の間にある精神的な縁は凍結しているが、僕と雪希は身体的には改善すべき共依存関係にある。これは何の湿度もないソリッドな客観的事実だ。少なくとも雪希は僕がいなければ身体的な理由でまともに社会生活を送れない。三日保たずに倒れる。


 僕は雪希がいつも安らかに眠れるようになってほしいと願っている。僕を襲う睡魔が倍増してもよいから、せめて薬には頼らず眠れるようになってほしいと願っている。雪希は一時期僕と寝る時間を減らそうとした。そのために、長期連用を前提としない薬に頼ることになり、かえって苦しんだ。今は長期連用による依存形成リスクの小さい睡眠導入剤を使っているが、雪希は睡眠導入剤の種類にかかわらず、単剤もしくはその組み合わせのみで眠ることができない。


 少量の抗不安薬と僕を介在することですんなりと眠れるようになる。抗不安薬は依存形成のリスクが大きい。せめて、これだけでもなんとかならないかと思っている。必要な抗不安薬の量は波があり、今は最小量で済んでいるのは不幸中の幸いだ。本人は全く顔に出さないし口にもしないしおそらく自覚もあまりしていないが、雪希は日常生活で著しくストレスを受け、緊張しきっている。


 寝床を共にするとき、雪希の体はいつもかたく、冷たく、眠りに落ちるときにようやくそのかたさが溶ける。僕はそれを自覚して安堵して眠る。今の雪希は、たぶん幸福ではない。それは僕にとってあまりにも歯がゆいことだった。雪希のことは嫌いだが、雪希の不幸は許せなかった。雪希との縁を絶つために戦う意欲はないが、もし雪希の不幸と直接対決する方法があるのなら、僕は何を賭してでもそれと戦うだろう。死んだっていい。それで雪希がしあわせになれるなら、僕は何でもする。けれど、そんな都合の良い方法はない。それがもどかしかった。


「蛍川くんって、もしかして新条さんのこと好きだったりしない?」


 恐る恐る訊ねる藤沢くんの言葉が不愉快だった。僕の許容範囲は雪希に鍛えられているので、結局のところその不愉快さは許容範囲の中に溶けて消えていくものだったけれど、ずいぶんどっさり不快さを放り込んできたなと思える程度には不愉快だった。藤沢くんは切実に雪希に恋をしている。僕はそれを知っている。彼は篤実とくじつな人で、必死で、熱烈に恋をしている。だから自分を制御しにくいところもあって、この問いにしても後に彼はしなければよかったと悔いるだろう。藤沢くんは人が良い。僕は彼の恋を尊重したい。


 ただ、雪希に関する僕のことを恋の問題とくくられるのは雪希の問題を矮小化しているようで不愉快だった。雪希の人生は基本的にずっと暗い。彼女の昏い瞳のように澱んでいる。少しくらい良いことがあっても許されるはずなのに、彼女には理不尽ばかりが降り積もる。


 確かに僕は雪希にしあわせな恋をしてほしい。もし雪希がそうなったら僕は滑稽さに笑いながら大喜びするだろう。彼女が藤沢くんに告白すると宣言したときのように。けれど、雪希はそもそもそのような心身の状態にない。雪希は当たり前の量のしあわせを享受するための諸条件を欠いている。幸福を注ぎ込まれる彼女の桶には幾つもの穴があいている。僕はなんとかしてそれを塞ぎたい。だれそれに告白する、などと色惚けしたことを雪希が言えるように。


 だから今は色だの恋だの言っている場合ではなくて、どうしてもそんな話はあとにしてくれ、という気分になってしまう。藤沢くんは悪くない。藤沢くんがそう問うのはもっともなことだと思うし、僕がそれを不愉快に思うのも自己反省して当たり前のことだ。そして、僕の不愉快さが許容範囲内におさまり、人間関係上の問題を何ら誘発しないのであれば、それは問題にはならない。僕と藤沢くんが互いに内心どう思っていようがどうでもいいわけだ。


 だいたい何でも許せてしまうのは雪希との縁を処理できない僕にとって困りものだが、こういうときには人間関係の不要な軋轢あつれきの危機を防いでくれるのでありがたく思っている。何事も時と場合だ。


「藤沢くん、僕はね。幾度も口にしているように、新条が嫌いなんです。新条もね。彼女も僕を厭悪えんおしています」

「えん……?」

いとい、嫌っている。えんお。嫌悪とはまた違った趣のあることばです。あえて晦渋かいじゅうに述べたわけではありません。厭う。そこに強い意味があります。しかし、どうしようもないので僕達は関わらざるを得ないんです。不本意なんです。本当に」


 そして、確かに存在しているものの、あまりに希釈されていてそこに意味を見出していない気持ちを口にする。


「だからね。藤沢くんには期待しているんです。新条が君を好きになってくれたら、僕は嬉しい。僕も人に恋をしたことがあるから、色々な問題でかえって傷になるかもしれないと危惧してはいるけれど、恋愛感情それ自体は結構しあわせなものなんじゃないかと浮かれた考えを持っているんです。甘いかもしれません。でも、僕はそう思っている。だから、君と新条の間に幸福な恋愛関係が成立するなら、僕は嬉しいんです。よいことがあったら、うれしいでしょう?」


 藤沢くんはとても苦々しい顔をした。僕がそうだったけれど、恋する人は苦しむことも多い。恋愛感情それ自体は幸福なものだったけれど、僕も恋することで幸福より圧倒的に大きな苦痛を得た。恋の苦痛の副次性。いや、それは副次的ですらないのかもしれない。ままならないものだ。


「蛍川くん。だから君は新条さんを好きなんじゃないかって俺は思う」

「すみません。理路がよくわかりません」


 僕の言葉にだからと順接してその結論が導出される意味がわからない。藤沢くんの謎理論は盲目的な恋によるものなのだろうか。それとも僕の不見識によるものなのだろうか。いずれにせよ、藤沢くんは見解を聞かせてくれるつもりらしかった。とても真摯しんしな目で彼は僕を見る。その瞳に映る僕は、ひどく眠そうな顔をしていた。あんまり礼儀がなっていないな、とぼんやり思った。真剣な人にみせる顔ではない。駄目だな、と思う。欲を言うならば、新条だけでなく僕も安眠できると嬉しい。礼節を保つには適度な睡眠を安堵する必要があろう。


「新条さんが好きだから、しあわせになってほしいって思うんだよ。たぶん、蛍川くんは気づいてないだけですごく新条さんが好きなんだと思う」


 残念ながら、藤沢くんの補足はより理解に苦しむものだった。僕の常識とあまりに噛み合わなかった。藤沢くんは健全で健康な人に見える。どうしてそんな荒廃した人間観を持つのかわからなかった。僕が知らないだけで、藤沢くんはひどい苦境にあるのだろうか。彼にそんな常識を植え付ける状況を、僕はうまく想定できなかった。


「誰かにしあわせになってほしいと願うのは、当然のことじゃないですか。任意の対象について、誰であれできる限り幸福であってほしいでしょう?」

「それが、嫌いな人でも?」

「当たり前じゃないですか。みんなしあわせなのがいいです。最大多数の最大幸福を達成しようとするときは言うまでもなく、幸福という結果ではなく義務の履行という動機を重視する場合も、そういった正義のモデルの範囲内でできるだけしあわせであるにこしたことはないでしょう? あくまでルール内での話です。ルールを外れることは論外ですが、守っていればみんなその中でしあわせであることが望ましいです。もちろん、幸福より優先される他の事項とのトレードオフはあるかもしれません。それを加味して、仕方なく幸福が押し下げられることもあるでしょう。でも、その押し下げられる幸福はトレードオフの中で最低限の押し下げられ方をしなくてはならないと思うんです。相手が好きだから、嫌いだから。そんな理由で左右されることではない。これは自明ではありませんか? どんなルールを課すにせよ、その範疇はんちゅうで、ルールの中で、最大限みんなしあわせであってほしい。好きとか、嫌いとか。そういうのが介在する余地はないと思うんです」


 僕の主張はクリアなはずだ。正義、倫理、徳とはそういうものだ。少なくとも僕の読んできた哲学書、倫理学書ではそうだ。幸福を最大化すべきだと主張する正義は弱くもないが、支配的でもない。けれど、ルールの範囲内で、幸福以外の他の重要な選好も無視することなく検討し、その結果として総合点を上げていくなかで、幸福の数値が高いことはいつだってそう悪いことではない。幸福に固執して総合点が下がるなら問題だが、それは計算が上手くできていないという話であって、モデルが悪いという話ではない。あくまで正義のモデルにおさまる範囲で、全人類の幸福はより大きい方が望ましいだろう。そうすべきだ、あるいはそう奨励すべきだとすら言えなくても、無視すべきだとは言えないはずだ。他の要素が全く同じなら、幸福度は小さいより大きい方がいい。どの理論を採ろうとも。そもそもそんなものを紐解くまでもなく、小学生レベルの道徳教育で理解できるレベルの話だ。僕にはそもそもそんな傾向はなかったけれど、ヒトという生き物が嫌う相手の不幸を願う傾向を持ちうることは理解できる。実験心理学が示していそうだし、なぜそうなっているのかは進化心理学が何か語っているかもしれない。


 けれど、生物学的傾向はそのままでは道徳の基礎付けにはならない。遺伝子の成功率という観点からは、男女にも、きょうだいにも、親子にも最適戦略上の対立がある。同種どころか家族間ですら、遺伝子の成功率についての最適戦略は異なる。進化的軍拡競争はそのままでは社会秩序にならない。ヒトになんらかの性情があるというのはただの事実であって、規範ではない。最も古典的な形での種の保存という考え方は進化論的に見てあまりにも古い。


 何らかの規範を採用するなら、いやできなくともどれを採用するか迷う規範のリストを眺めるとき、どれを採ったところでそのルールの範囲内でできるだけ皆幸福であることが望ましいと結論されるだろう。ヒトがどんな生き物であろうが、並んだルールを眺めればなるほどみんなしあわせであるべきだろうなと得心がいくはずだ。感情的に承服しがたくとも、理路が整然としているので屈服させるべきは感情であると容易に判断できるだろう。となると、当然みんなにできるだけしあわせであってほしいと判断することになる。ここに好悪は関係しない。


 藤沢くんが少しの間懐かしい顔をしていた。小学生の頃、クラスメイトが僕を見ていたときの顔だ。その表情は引き攣りながら、塗り固めた笑顔に戻った。そうだった。露骨だったクラスメイトの視線も年とともにやわらいでいった。僕がそうであるように、皆の許容範囲も広がっていく。僕の態度はたぶん藤沢くんの許容範囲を一瞬こえた。けれど、それは藤沢くんの理性の力によって押しとどめられた。


 藤沢くんはルールで感情を矯正する僕の態度がたぶんあまり受け入れられないのだと思う。実際、行為が常に倫理に適うならば内心などどうでもよいと言うこともできる。理解はできる。かなりすさんでいるが、徳などなくとも行為が適っていればよしとする理論は多い。徳は古代の話で、現代になって発掘、再検討されている決して主流ではない考えだ。


 藤沢くんは行為にのっとり、心理を等閑視しているのかもしれない。なるほど、それであればヒトの情念など行為さえ正しければどうでもよいわけであるから、奔放に扱ってもよいわけだ。このように考えれば情念は倫理の枠内で放恣ほうしにさせておけばよいのであるから、好きな人だからしあわせになってほしい、無関係な人はどうでもいい、嫌いな奴は不幸になって欲しい、それはそれとして倫理の範疇で行為する、という考えをまあ普通だと認定することができる。なるほど、なるほど。藤沢くんはなかなかソリッドなのかもしれない。よいと思う。冷徹なお人だ――


「蛍川くん。こうありたいと思っても、できないことってあるでしょ。蛍川くんの言うことは理想だけど、人間には無理だよ。しあわせになって欲しいと思っているなら、俺はその分だけ好きなんだと思うけど……」


 藤沢くんを行為に立脚した正義で納得しようと解釈したけれど、瓦解がかいした。やっぱりよくわからないお人だった。


「それは通らないと思いますよ。僕は責任能力のある快楽殺人者のことは嫌いです。僕の身近な人……そうですね、たとえば家族や新条を殺されたらより嫌いになるでしょう。でも、彼らが死刑を宣告されたとして、そのルールに則った死という最終的な処理の瞬間まで、ルールの範囲内でできる限りしあわせであってほしいと思っています。藤沢くんとしては、僕はこのときこの死刑囚を少なからず好いていると判定しますか? それは、反直観的かつ好悪という概念の一般的用法に反しているのではありませんか? 好き嫌いはどうでもよく、できる範囲でどんな人もしあわせであってほしいからその原則に基づいて最大限の幸福の希求を導出していると解釈する方がシンプルだと思います。物事を同じ程度に説明できる仮説が複数あるなら、単純なものを採るべきだという態度は常識です」

「蛍川くん。ごめんだけど、本気で言ってる?」

「ええ」


 藤沢くんはしばらく沈黙した。そして苦笑した。とても、辛そうな顔だった。


「俺にはわかんないな。全然。だから。そういうとこが。新条さんと合うのかな」


 恋は盲目という。藤沢くんは恋という熱病のせいで、どうも滅茶苦茶な考え方をしてしまっているらしい。振り回されるのはかなり気の毒だった。特に、雪希に恋をしているなら尚更だ。古典を紐解くに恋の熱情に振り回される人間は枚挙に暇がない。が、雪希はそれを賛美しない。藤沢くんの恋の成就にとって、今の藤沢くんの在り方は著しく不利だ。岡目八目おかめはちもくならい、僕が助言すべきであろう。


「藤沢くん。覚えておいてほしいのですが、新条は飛躍をあまり好まない。あいつと恋愛したいなら、確からしい根拠を集め堅実な操作で仮説を立てるよう試みるべきです。誰かの幸福を願うなら、その誰かのことをたとえ僅かであっても好いている。僕が新条の幸福を願っているから僕は新条のことが好き。僕と新条は話が合う。話が合うならばお似合いである。こういった諸命題を落ち着いて再検討すべきです。これは要らぬ世話かもしれませんが、僕と新条の物理的な距離がかなり近いことから危機感で焦っていませんか? もしそうなら、なおのこと深呼吸して冷静になってください。新条を相手にするならかなり繊細な立ち回りが必要です。あいつは好き嫌いが激しいので、僅かでも間違えると著しい嫌悪の対象に落下します。勝ちたいのでしょう。彼女と恋仲になりたいのでしょう。ならば、なおのこと、歯を食いしばってでも怜悧になるべきです。あいつに繋がる道は、あまりにも細いですから」


 口にしている間、三回ほど藤沢くんの表情が憎悪めいたもので揺らいだ。ほとんど僕に殴りかかりそうな激情を感じた。それでも踏みとどまって、結局苦笑を保ったのは藤沢くんの美徳のなすところだろう。


 僕は藤沢くんのこの点を信頼している。藤沢くんの考え方はよくわからないけれど、藤沢くんと僕の趣味が合わないことはわかる。それでも口を挟まずきちんと話を最後まで聞き笑顔さえ保つ藤沢くんは、間違いなく好青年だ。色んな意味で、僕は彼にとって嫌なやつのはずだ。だからこそ、藤沢くんの人の良さが僕にもわかる。だから、彼を応援したいと思う。僕は雪希にしあわせになってほしいが、できれば藤沢くんにだってしあわせになってほしい。藤沢くんが恋路を達するためには、どうしても僕は彼の不快に思うことを言わねばならなかった。もし藤沢くんがそこまで汲んでくれていたなら、とても嬉しいことだ。


「……アドバイスだとわかってるけど、マウントとられてるみたいにしか。感じられないんだ」

「当たり前の感覚ですよ。僕は新条の幼馴染みです。藤沢くんと知識量が違うのは当然のことで、つまり僕は藤沢くんの知らない新条についての知識を垂れ流しています。これは事実です。藤沢くんは新条が好きですから、それをマウントと感じてしまうのも無理からぬことです。それでもいいから、拾った知識を勝ち筋にしてください。恋と戦争においては、という言葉もあります。何をしたって、勝てばよいのですから。藤沢くんが僕と話すたび、不快な思いをしていることを知っています。それでも、藤沢くんは僕に話しかけるのをやめませんでした。今日もそうです。それがただ新条の手をとるためだとわかっています。藤沢くんが篤実とくじつな人であることも。だから、僕は藤沢くんを応援するし、そこにおいてたとえ藤沢くんが不愉快になることであっても躊躇ためらわずに口にします。だから藤沢くんも僕を使い潰してください。対新条において、僕ほど便利な道具はないはずですから――マウントに感じるだろうとわかって、あえてこれを口にしました。落ち着いて考えれば、そのとおりだと思い至るはずです」


 藤沢くんの表情がはじめて和らいだ。藤沢くんは基本的に僕と話していると苦しそうだけれど、たまにこうして少しだけ好意をみせてくれることがある。


「確かにきついけど。蛍川くんと話してると負けた気になってくるけど。でも、俺は蛍川くんのことは嫌いじゃない。普通に、好きな人の好きな人が悪いやつとか。思いたくないしね」

「僕は新条の好きな人ではありませんが、その気持ちはとてもよくわかります。新条の好きな人は、よい人であってほしいです。だから藤沢くんを応援しているわけですしね。もっとも、僕は新条が嫌いであり、原則に基づいて新条の幸福を追求しているに過ぎませんが」


 笑い合う。今日の会話ではじめて、藤沢くんと通じ合えた気がした。やはり、藤沢くんは結構よい人だと思う。雪希ごときにはもったいないくらいには。あいつは攻略難易度に見合わない女だから。もっとも、惚れた弱みというものはどうしようもないものだ。僕も雪希が大好きだったからわかる。ある意味先輩として、ろくでもないやつに引っかかってしまった彼に同情する。


 残った完全栄養食を流し込まんとし――


 とんとん。


 軽く人差し指で肩を叩かれる。全く優しくない、マッサージになりそうな強さだ。常人の力ではない。弦楽器を弾く者は指板を素早く正確におさえねばならないから、左手の四指、親指以外の叩く力が強くなる。独奏のCDを聴くとき、特に目立つ何かを叩くような音が混じるが、あれは指が指板を打つ音だ。


「なに、新条」


 振り返ると、やはり雪希だった。ジャージ姿なので午前中に体育があったのだろう。こいつは体育の後に着替えない。どれだけ汗だくになってもだ。面倒くさがってジャージのまま後の授業を受けジャージのまま下校する。


 彼女は僕に片手を差し出す。完全なる無表情、ただ少し疲れているように見える。寝不足のせいだろうし、その上運動不足のくせに体育で動き回ったせいだろう。目に見えてぐったりしていた。老いぼれたたぬきのようだ。それでもこいつの頭髪ばかりは少ししっとりと艶めいていて、やっぱり髪はいいよなと思う。大きく、やや垂れた目もなかなかいいが。腐ってもおばさんゆずりだ。鼻も悪くない。唇は最近あまり見ないようにしている。


「ジュース買ってください。先輩」


 喉渇いてんだろうなとは思っていた。自分で買って代金を請求すればよかろうに、こういうダルい絡み方をしてくることがある。雪希には権利があるのだから拒否はしないが。


「これでもくれてやろうか」


 完全栄養食のボトルを振る。このドロドロの液体は食事に該当するものなので、喉の渇きが癒えるどころか水が欲しくなるタイプの代物だ。そして雪希は疲労すると腹にあまりものをいれられないタイプの人間だ。つまり完全な嫌がらせであり、ダルいぞお前という言外のダルい文句である。


「それまずいので要りませんが、一口だけもらいましょう」


 そして、こういうことをすると雪希は一刀両断する人間だったのだが、最近は更に反撃してくるようになった。こいつのことは嫌いだが、こいつがダルいことをしてくるのは嫌いではないので僕としてはまあ悪くない。雪希は本当に僅かにボトルを傾けてこくり、と一口だけ含んで嚥下えんげした。


「まず……甘すぎません? よくこんなの飲めますね」

「なんとかの糖がなんとかかんとかで血糖値がどうとかで眠気が来にくいらしい」

「それっぽいワードにそれっぽく乗せられてしかも覚えてないの、先輩らしくて好きですよ」


 いつものシニカルな声。ボトルを返して僕の手をとり、雪希がぽてぽて歩き出す。歩幅が小さい上に一歩一歩が鈍いのでこいつと手を繋ぐとかなり歩きにくい。ゴーイングマイウェイなので僕の歩幅やテンポに合わせようという意識はこいつには微塵もない。昔わざと普段の歩調で行こうとしたことがあるが、雪希が全く譲らないので諦めた覚えがある。可愛げや健気さというものを剃刀で徹底的に削ぎ落としているのだろう。僕のボトルにはまだ半分以上飲料が残っているのだが、飲むまで待つつもりもなさそうだ。もっとも、僕はこれをかなりゆっくり飲むので待っていたら十分以上立ち続けることになり、当然の選択である。


「ジュース」

「うん?」

「先輩にも一口あげましょうか?」

「僕の金だぞ」

「だから言ってるんじゃないですか」

「いらん」

「水華はかわいげがないね」


 めちゃくちゃなことを言うので思い切り髪をぐしゃぐしゃにしてやった。寝癖爆発みたいなありさまになったが、手櫛で整えることもなく雪希は疲れ切った様子で僕を引っ張る。こいつが脳直で絡んでくるときはだいたい限界のときだ。こういうときの雪希は結構悪くないのだが、雪希のきつさを思うとあんまり素直に喜べない。やはり、どれだけ嫌おうとも雪希にはしあわせでいてほしいと思う。


「僕んち来るか」

「水華がきて」

「ん」


 マジのときはふざけない。茶々とかいれない。お互い素直になる。どうしても反発しあってしまう僕と雪希だが、お互いメンタルが強くないのでお互いのために定めた不文律だ。雪希との間にはくだらないルールがたくさんあるが、これだけは本当に成立してよかったと思う。僕もこれによって何度も雪希に救われてきた。認めがたいことだが雪希は僕の恩人でもあり、僕がこうしていられるのは雪希のおかげでもある。


「めんどくさいね、水華」

「なにが」

「風呂」

「おばさん怒るだろ」

「ね」


 実のところ僕は雪希の匂いが好きだ。たぶん雪希も僕の匂いにある種の感情を持っており、お互いそのことに薄々気づいているが口にはしないことにしている。一緒に寝るとよく眠れるのは事実だが、そういう意味で一緒に寝たい気持ちもある。なので小学生のころは真夏に汗だくになって夕方に一緒に床でごろ寝していたのだが、風呂には入れと両母親から叱られてそこはきちんとするようにしている。僕は中学の頃に一度メンソール入りのシャンプーを使ったが(すぐスースーしたがる)、雪希に嫌いと言われて以来使えていない。あの感覚が好きだったのだが。父は使っているので風呂に入るたびにいいなあと思っている。母によれば、社会人になる頃にはそういうのは卒業できるらしい。じゃあ父はなんなんだ。


「やっぱり水華に一口あげる」

「なんなんだよ。いらねえよ」

「えー。あげる」

「ん……」


 謎の雪希の押しつけ計画は、結局のところ現実の前に崩壊した。自販機前、雪希はミニサイズのスポーツドリンクを買おうとしたが売り切れていた。通常どころか運動部御用達のビッグサイズしかない。寛大な心で一口くれてやるつもりだったのだろうが、思惑が完全に砕かれる形になったようだ。


「飲みたいだけ飲めよ。残りは僕が飲む」

「たぷんたぷんならない? 水華トイレ近いでしょ」

「勇気の先生トイレする」

「先生はトイレじゃありません」

「小学生かよ」

「水華が言ったんじゃん」


 がこん。ペットボトルを取り出して、雪希がくすくす笑う。あまり余裕がないとき、こいつは結構感情をみせる。全てがどうでもよさそうな無表情に戻るまで尽くさねばなるまい。寝不足で感情の振れ幅が不本意に大きくなるのは僕にもよく分かる。気が大きくなったり、寛容になりすぎたり、逆にひどくナーバスにもなる。感情をみせすぎると、余裕を取り戻したあとかなり恥ずかしくなる。僕も雪希もかっこつけたがるのでこういった醜態は枕パンチものである。


「水華ー」

「んー」

「ありがと」

「んー」


 醜態をさらしているとき、つっこむかどうかは気分による。今日は気にしていない風を装った。雪希が目を細めてしあわせそうにスポドリを飲んでいる。雪希がしあわせそうでよかったなあとじんわり思う。一生そういう顔をしていてほしい。雪希の手は小さいので、さっきまで繋いでいた彼女の手は両方ペットボトルに占拠されている。


 手持ち無沙汰になって雪希の髪をいじくる。髪フェチー、と雪希が詰る。そういえば、雪希は割とシャンプーをかえるが僕の好きな匂いしかしたことがないとぼんやり思い至った。僕が基本シャンプーの匂いを好きなのか、雪希が僕の好みを掌握しているのか。いずれにせよスースーしたがって雪希にやめろされた僕よりは雪希は自分の抱き枕性能に気を遣っているのだろう。


 残念ながら、その性能において僕はこいつに劣っていると認めざるを得ない。雪希と布団に入るとたまに変更されたシャンプーで新鮮な気持ちになって嬉しいのだが、僕も横着せずシャンプーをたまにかえるべきなのかもしれない。そうなると僕には雪希の好みがわからないので本人に訊くしかないのだが、匂いの好みについて訊くのは踏み入りすぎている気がするのでさすがに無理だ。地雷を踏むより現状維持だろう。


 僕がぼんやりと考え込み、雪希が必要量の水分を補給する頃には僕も雪希の髪を弄り終え、僕がボサボサにした髪は僕により整えられてしまっていた。


「ん」

「ん」


 雪希からペットボトルを受け取りながら、何をしたいんだ僕はと思った。片手で残りを飲み始めると、雪希は僕がもう片手に握っていた完全栄養食のボトルを奪い去った。なにがしたいのかと思っていたが、そのまま空いた手を握ってきた。今回は指と指を絡めるかたちのものだ。


 この形で手を繋ぐとなんとなく気持ち良くて好きなのだが、そういうことを言うとえろいと思われそうなので言えない。拘束しない程度にかなりゆるく結ぶのが好きだ。指や指の股が擦れるのが、なんかいい。えろいと思われそうなので言えないが。


 だいたいそういう繋ぎ方になるので、たぶん雪希もえろいのだと思う。僕と雪希のどちらがえろいかというと六対四くらいではないかと思っている。均衡はしていない。ただ、どっちがえろいかというとなぜか悩ましいところだ。よくわからない。風呂入りたくないという発想はなかったので、たぶん今日に限っては雪希の方がえろいだろう。ちんちくりんがえろいのはよいことだと思う。こいつに嗜癖をねじ曲げられるのは不本意だが、初恋かつ最も身近な女の子に趣味を滅茶苦茶にされるのは仕方のないことかもしれなかった。




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