第33話
「誰もいないね」
「見ればわかりますよ」
たどり着いた保健室には、担当教諭の姿どころか人の気配が感じられなかった。保健室が無人解放されているなんて、さすがは学園祭と言ったところか。
知生を担いだまま何か助けになりそうなものを探したが、私の知識では何が必要なのかもわからず、とりあえずベッドに彼女を置いた。
「どうしよう。何したらいい? そうだ冷たいもの! 冷たいもの買ってこようか? 何がいい? かき氷とか?」
「ふふっ、かき氷って。もう秋ですよ。そんなに慌てないでください。ちょっと熱があるくらいですから、薬を飲んで寝ていれば治まります」
来る途中に買った水を手渡すと、彼女はポケットから錠剤を取り出してそれらを口に含んだ。
ここまで準備していたということは、やはり彼女にはこうなる予兆があったのだろう。
「自分の生命力を過信していました。今日のテーマはポンコツ美少女探偵に変更ですね」
知生はベッドに全身を預け、柔らかく微笑んだ。私の知っている知生は、こんな柔らかい表情を浮かべ続けない。
しかし感覚としか言いようがないのだが、今まで見た知生の中で一番自然体に見えた。おそらく今の彼女には諸々を取り繕う余裕もないのだ。
「本当にポンコツだよ。せっかくの学園祭なのに。おバカちゃんなんだから」
「コマキサ先輩に馬鹿と言われる日が来るとは思いませんでした」
「侮りすぎでしょ私のこと」
「侮ってませんよ。実は脳筋っぽいんじゃないかとは思っていますけど」
「十分ひどいよ。私はクールキャラを目指してるんだから」
私は朗らかに笑う知生の額を軽く弾いた。わずかに触れただけなのに、やはり彼女の身体は熱を帯びているように思えた。
指がかすった額をさすり、知生は足元にあった布団に包まった。
「お馬鹿な私は今から大人しく回復に努めようと思います」
「当然。必要な物があったら言ってね」
「……では、私がやり残したことをやってきてくれませんか?」
曇った声が届く。無地の布団だけが呼吸とともに揺れている。
「心配だから離れたくないっていうのが本心だけど、それでもそのやり残しをやって来たほうがいい?」
「気持ちは嬉しいですけど、こっちが最優先事項です」
「何をしてくればいいの?」
聞き返した私に、彼女は顔を出すことなく言葉を返した。
布越しに伝わる驚くべき言葉に目を見開き、私は立ち上がる。確かにそれは最優先事項だな。なにより早く解消すべきやり残しだ。
話を全て聞き終え、私は体を出口に向ける。
「わかった。さくっと解決してくるから、ちゃんとゆっくり休んでおくこと!」
「最後まで走れなくてすいません。後は頼みました」
曇ったままの声を背中に受け、私は保健室を後にした。
来た道を戻りながら、私は思考を巡らせる。
知生が私に依頼したやり残しとは、簡潔にいうと犯人探しの続きだった。
自称ポンコツ美少女探偵さんの推理は、アキの背後には本人も気づいていない黒幕がいて、彼女はそいつに利用されて行動していたに過ぎないというもの。
アキのことだけでも十分過ぎるほど衝撃的だったのに、まだこの事件は解決していないらしい。
知生は黒幕の予想人物像も一緒に吐き出してくれたが、驚くことに私はそれに当てはまる人物を断定することができた。
私は昨日今日を必死に思い返し、いつもの空き教室の一つ上の階へと向かう。
「佳乃ちゃん」
「ひゃ、ひゃい! ご、ごめんなさいサボってないです!」
上階には先程とほぼ変わらない位置でぼうっとする佳乃ちゃんがいた。
「ごめんごめん。私だよ」
「なんだこまちゃんか」
設置された村人のようにほぼ同じ言葉を返してきた彼女の目線に合わせ、私は膝を折った。
「さっきの話なんだけど、怪しい人は通った?」
「特には……。いや、でもまた猫さんが何回か通っていた気が」
佳乃ちゃんは視線をくるくる動かしながら、言葉を返してくれた。
予想よりもさくっと欲しい答えが返ってきたな。私が今探しているのはまさにその猫さんなのだ。
「猫さんがどっちに行ったかわかる?」
「あっちの方をしゃかしゃかと」
佳乃ちゃんは廊下の端の方を指差した。あの奥にあるのは、屋上に至る階段だけだ。それ以外は何もない。
「ありがとう。サボってるのバレちゃうから、そろそろ戻ったほうがいいよ」
「はぁい。って私はサボってないよ!」
佳乃ちゃんは背中を丸め、猫のようにしゃかしゃかと祭の方へと向かって行った。
ほのかに浮かんだ笑みを両手で叩き気を引き締め、私は屋上の方へと足を進める。
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