第31話

 学園祭二日目の朝は、前日とは打って変わって快晴に恵まれている。今日はさらっとクラスに顔を出して、後は知生に引きずられるままの一日になるだろう。

 そんな心持ちで空き教室に入るや否や、先に到着していた知生が私を指差しこう言った。

「おはよう助手くん。遅かったじゃないか」

 挨拶と同時に訳のわからない言葉を吹っかけられたせいで、何がなんだかわからなくなった。向けられた指に呼吸を奪われる。

「お、おはよう」

「リアクションが薄いですね。ちゃんと起きてますか?」

「もちろん起きてるよ。えーっと。今日のキャラは何?」

「キャラ、という言葉は好きではないけれども、あえて言葉を借りるならば『美少女探偵キャラ』とでも言っておこうか」

「び、美少女探偵……?」

 美少女探偵キャラという意味不明なカテゴリは、朝一の私にはパンチが強いものだった。なぜ学園祭の日にわざわざ探偵を選んだのかもわからないし、さらりと助手にされているし。

 私が虚をつかれている間に、黒髪ロングの美少女探偵さんは再び指先をこちらに向けた。

「さっそくだけれど、まずは犯人探しをしようか」

「犯人? なんの?」

「おやおや。そこまで察しが悪いと先行きが不安になってしまうね」

 彼女は最高に失礼な物言いをかました後、溜息を吐いて椅子に腰掛けた。説明不足を棚に上げて察しが悪いとは、なんとも横柄な話だ。

 私も彼女同様息を吐きながら椅子を引いた。

「不安になるのはこっちだよ。今日は出店を回るんじゃないの?」

「あれだけ妨害を受けておいて、暢気に学園祭巡りとは肝が据わっているじゃないか」

 そのままそっくり言葉を返してやりたくなったが、それを覆うほどの驚きが身体を巡った。私は着いたばかりの腰を少し浮かせて正面に座る知生に顔を近づけた。

「えっ。犯人探しってそういうこと?」

「それ以外に何があるんだい?」

「急に重い腰が上がったんだね。どういう風の吹き回し?」

 私はもう一度椅子に深く腰掛け腕を組んだ。何を思ったのか、彼女は今まであれほど無関心を貫いていた諸々の騒動に目を向けようとしているらしい。

「昨日寝る前に思ったんです。ひょっとしたら学園祭の覇者になるよりも、この騒動を解決させるという展開のほうがドラマチックなんじゃないかって」

「それで探偵キャラを持ってきたってわけね」

「ご明察だよ助手くん」

 彼女はどこから取り出したかわからない虫眼鏡をこちらに向けた。小さくなる彼女の目がじっとりと私を見つめる。

「ということで、ここ数日の嫌がらせの犯人探しをしたいと思います」

「今日は一段とキャラの出し入れが激しいね」

「思いついたばかりなのでまだ詰め切れていないんです。というかそんなこと今に始まったことじゃないでしょ」

 そうにしても自分から言われてしまうと調子が狂う。ぎしりと椅子を揺らし、私は人差し指を立てる。

「それで? 探偵さんはどうやって犯人を捜すつもりなの?」

「何を隠そう、私は足で稼ぐタイプの美少女探偵でね」

「ノープランってことね」

「プランならありますよ。とりあえず近くをパトロールをしてきてください」

 どうやら探偵さんは助手の足で稼ぐつもりらしい。そもそも私はクラスの手伝いがあると昨日伝えているじゃないか。

「私、クラスの当番なんだけど……」

「それならあんふみ先輩に代理を頼みました」

「えっ。嘘でしょ?」

「なんの得もない嘘はつきませんよ」

 私がいない間になぜこうもポンポンと話が進んでいるんだ。あと文香はなぜそんな代理を飲み込んだんだ。せっかくアキと和解してクラスでの居心地がよくなりそうなのに。

 あんぐりと口を開ける私に、知生はニヤついた視線を向けた。

「僕は上の階が怪しいと考えている。そこら辺を重点的に頼むよ」

「私一人で行くの? 知生も行こうよ」

「少し考えたいことがあるんでね。ここでゆっくりさせてもらうよ」

「人使いが荒いぜ美少女探偵さん」

 私は大きく溜息を吐いて、ゆっくりと立ち上がる。ここまでお膳立てをされてしまえば、後はもう彼女の言う通りに動く他ないだろう。幸い犯人探しには興味もあるし、まあいいか。

「じゃあ行ってくる」

「よろしく頼むよ。ああそうだ、僕から着信があったらすぐ戻って来るように。あとこれを」

 知生は扉まで向かった私に教室の鍵を投げた。普段解放されっぱなしにされているせいで、この部屋に施錠という概念があったことが驚きだ。

「鍵? 鍵を閉めて籠るの?」

「僕は閉めないよ。備えあれば憂いなし。いざという時のためさ」

「いざというとき?」

 今のところこの鍵が活躍する場面が全く思いつかないが、これもきっと私が彼女の思考に追いつけていないだけに違いない。深く考えるのはやめよう。

 受け取った鍵を胸ポケットに放り込み、私は教室の扉に手をかける。何気なく振り返ると、彼女は普段より蒸気立った顔つきでホワイトボードのほうを眺めていた。

「なんか顔赤くない?」

「えっ。ああ、多分チークを塗り過ぎたんでしょうね。お祭りで張り切り過ぎました。ほら早く行ってください」

「はいはい」

 張り切ってお洒落をしてくる柄でもないだろうに。私は渋々校内を歩き始めた。


 結局何をどうすればいいかわからないまま、私はとりあえず一つ階を上る。

 雨だった昨日の鬱憤を晴らすように、今日は校庭の出し物の方が盛り上がっている。

 校舎内、しかも人通りが少ない場所だけあって、やはりこの辺りは学園祭から取り残されたように人の気配がない。

 私の思考からすれば、ここは敷地内で一番怪しくない場所と言っても過言ではない。というか、そもそも犯人が犯人っぽい装いで歩くなんてことがあるのだろうか?

 自問自答を浮かべ足を進めていると、キョロキョロと視線を配って歩く佳乃ちゃんがいた。

「何してるの?」

「おお、こまちゃん。見回り中だよー」

「こんなにも人気のないところを?」

 ギョッとした様子。間違いない、サボりだ。追及の目を向けていると、慌てて彼女は手を振った。

「こまちゃんこそ何をしてるの?」

「人探し? っていうのかな。ここら辺に怪しい人とか通らなかった?」

「怪しい人?」

「そうそう。って見ただけじゃわかんないよね」

 佳乃ちゃんはうんうんと頭を捻ってから、何か閃いたように顔を上げた。

「そう言えば」

「そう言えば?」

「猫さんが」

「猫?」

「うん。向こうのほうでしゃかしゃかと。チラッと見えただけだから気のせいかもしれないけど」

 佳乃ちゃんは遠くの方を指差した。いくら人の通りが少ないからと言って、野良猫に侵入を許すだなんて。どうやらこの学校のセキュリティはガバガバらしい。

「そっか。ありがとう。また怪しそうな人がいたら教えてくれる?」

「わかったよー」

 彼女がぴしりと手をあげたところで、ポケットに突っ込んでいた私の携帯電話が鳴る。発信主は知生だった。

 捜索を開始して十五分ほどしか経っていないのに、意外と早い招集がかかりそうだ。

「もしもーし」

 佳乃ちゃんに一礼してから、画面に言葉を向ける。少し待ってみても、画面から言葉が返って来ることはなかった。電波に目を向けるが、こちらは問題なさそうだ。音量ボタンをいじっても特に不備があるように思えない。

「おーい。もしもしー?」

 何度か言葉をかけても、やはり返事がない。よく耳を澄ましてみると、僅かながら篭った声で会話をしている様子がある。こんな時に誤発信か?

「ごめん佳乃ちゃん。一旦戻るね」

「はーい。気をつけてねー」

 私は彼女に手を振り来た道を戻り始めた。電話があったら戻ってこいと言っていたし、これでぶつくさ言われたら怒ってやろう。

 様相を変えることない道を折り返して、教室の扉に手をかけたところで私は首を傾げた。

「鍵がかかってる……」

 閉めないって言ってたのに。はあと溜息を吐いて胸ポケットから鍵を取り出す。鍵穴に鍵を通したところで、扉の向こうから二人分の声が薄らと漏れてきた。

 わざわざ鍵を閉めて誰かと会っているなんて、これはひょっとすると逢瀬か何かなんじゃないか。遂に知生にも春が訪れたのか、ずるいな。

 しかしこれはお姉さんとしては見過ごせない。でも邪魔することになったら困るな。下賤な考えで扉にかけた手が止まるが、声が両方とも女性のものだとわかり、私はほっとして扉を開けた。

 からからという乾いた音に、二人分の視線が私に向けられる。堂々と腕を組む知生の正面に佇む人物を見て、私は思わず鍵を落とし言葉を吐き出した。

「何してるの?」

「さ、サヤ? どうしてここに?」

「こっちのセリフなんだけど」

 慌てて鍵を拾う私に驚いた表情を向けたのは、二階堂明那だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る