第25話
放課後の空き教室に、ぽろろんという間抜けなギターの音が響いた。手元から発生している音に哀愁を感じながら、私は溜息を一つ吐いた。
学園祭まであと一週間となった放課後。私は一人空き教室でギターを片手に黄昏ている。窓から吹き抜ける秋風は溶けたチョコレートのように生温くて、放課後特有のどろりとした気怠さを纏わりつかせる。
揺れるカーテンに合わせて弦を爪弾くと、だんだんと眠たくなってきた。
一体、なぜこんなことになってしまったのだろうか。乾いたあくびが浮かぶ。
文香との試合が終わった後すぐに、ちいリスト「エンジョイ学園祭」がスタートした。
彼女は出来る限りやれる事をやり尽くしたいと言い出し、どこから取り出したかもわからない去年のパンフレットと睨めっこを始めた。それが昨日の話。
百ページを超える文芸本を出す、演劇をジャックする、模擬店のお化け屋敷に勝手に幽霊として加わる、告白シーンを十回以上見る、後夜祭で花火を打ち上げるなど。
次々と挙げられる現実とは思えない提案を却下し続けた結果、全ての出し物を回ることと、バンドを組んで曲を披露するという二つの案が採用になった。
そうして私がギターを練習するという現状に至るわけだ。
因んでおくと、私はギターを弾けないどころか楽譜すら読めない。どこを弾けばなんの音が出るかもわからない素人だ。
家の押し入れに眠っていた父のギターを借りて持ってきたものの、もう既に何をすればいいかもわからない。他の提案の非現実感でごまかされていたが、これもなかなか突拍子もない。
うとうとと弦を弾いていると、ガラガラと勢いよく扉が開いた。
「おっ、コマキサちゃん早いじゃん。うぃーす」
振り返ると、セミロングの髪をくるくると巻いた知生が立っていた。普段より装飾が多く、手首についたシュシュが可愛らしいが、手の甲を見せたピースが丁度いいおバカさを醸し出していた。
口調同様心なしか、いつもより制服も着崩しているように見える。
今まで見たことがないレアキャラだ。うーん。なんだろう。ゆるふわおバカキャラかな?
「うぃーす。……って何その感じ」
「今日のテーマはギャルみたいな?」
「随分と偏見が混ざったギャル像だね」
予想が外れた。今までに比べると括りが広いキャラ設定だな。ふらふらと私に近づいた彼女は、私の太ももの上に鎮座するギターを指差した。
「あれー? ギター持ってきてんじゃん。ウケるー」
「家にあったから持ってきたよ。昨日も言ったけど、私は全く弾けないからね」
「弾けないとか、ウケるー」
言葉数が追いつかなくなったのか、知生は同じ言葉を繰り返して席につく。彼女は鏡を取り出し前髪をいじり始めたが、早くもキャラに飽きたらしく、大きく伸びをして机に突っ伏した。
「古そうなギターですね」
「怖いからその急にスイッチ切れるのやめてよね」
「いい加減慣れてくださいよ。そんなことより、学園祭まであと一週間しかありません。非常にカツカツです」
どうやら知生にもまともな感性があったようだ。私は首を傾けてギターを鳴らした。
「やっぱり無理じゃない? そもそも曲はどうするの? コピー?」
知生は指を振り、携帯電話を取り出した。少しの間の後、携帯電話から音が鳴り始める。軽快な音楽が鼓膜を揺らした。
「知り合いにお願いして、曲を作ってもらいました」
「すごいじゃん! かっこいい!」
「あとはこれにコマキサ先輩が歌詞をつけてくれれば完璧ですね」
知生は当然のことのようにさらりと言葉を吐いた。二つ返事で言葉を返すほど、私と言えば歌詞、みたいな感覚は全く湧かない。
「私? 無理だよ! 私の頭の残念さを知ってるでしょ? なんなら私の学年順位を発表しましょうか?」
「結構です。というか、頭の良さなんてものは要りません。あなたが高校生活で味わったいろんな感情。それをそのまま言葉にすればいいだけです」
音楽経験のない私に作成権限が付与されるなんて。そもそもいろいろな感情を言葉にすることが出来ていれば、こんなに拗れた高校生活は送っていない。
「簡単に言ってくれるね。どうせ歌は知生が歌うんでしょ? あなたが作った方が……」
「ちっちっちいです。私は先輩が作った歌詞を歌いたいんです。それでこそバンドじゃないですか」
リズム良くゆらゆらと揺れる知生の指は、私を一瞬で催眠下へと落とした。かわいいな今の。
「ちっちっちいってやつ、可愛かったからもう一回やってもらって良い?」
「じゃあ歌詞は先輩に決定で!」
「しまった! 変なこと口走ってる場合じゃなかった!」
数秒の催眠であっさりと拒否権を奪われてしまう。僅かな油断の隙に、知生は再びホワイトボードの方を向いた。
軽快に動くペンが、曲、メンバーという文字に丸を付けていく。
「これで曲はバッチリと。ギターは先輩に弾いてもらって、ドラムも別で手配していますし、あとは練習あるのみですね」
「あれ? 知生はなにやるの? 歌だけ?」
「私はベースとボーカルをやりますよ」
「ベース? 弾けるの?」
「まあ嗜む程度ですけどね」
「またさらりとハイスペックなことを……」
彼女は本当に何でもできてしまうんじゃないか、と思わされると同時に、この場に自分と同じ状況の人間がいないという事実が浮き彫りになってしまう。
かつかつと叩かれる練習という文字に対し、私の顔に苦笑いが張り付いた。
「あれ? じゃあ初心者は私だけなの?」
「一週間で簡単なコードさえ出来るようになれば、あとは音源でどうにか出来るようにしておきますから」
「勘弁してよー」
夕方の放課後に、私の遠吠えが響いた。
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