第7話

 徐々に上がる気温が、ぼんやりと夏の訪れを感じさせる。夏休みが近いこともあってか、教室には不思議と浮かれた空気が混ざっていた。

 知生の手伝いを始めてから、あれよあれよという間に三週間ほどが経過した。

 放課後に空き教室に向かい、毎回装いが変わる知生に引っ張られる生活も、なんやかんやで身体に馴染んできていた。そんなある日。

「サヤさ、最近付き合い悪くね?」

「思った。放課後も全然顔出さないし」

 グループ内で上がった話題が、きゅっと心臓を掴む。こんな不穏なテーマが上がるほど、確かに最近の私は忙しかった。主に知生のせいだが。

「そ、そうかな?」

「そうだよ。これまさか、男でも出来たんじゃないの?」

 キャッキャと盛り上がる話題が、どんどんと心臓への握力を強める。この忙しさがそんな青い青い浮いた話であれば、どれほど良かったことか。

 クラスメートには知生の事を話していないし、もちろん話すつもりもない。学校でも名だたる変人とつるんでいるなんて知られたら、それこそクラスで浮く事間違いなしだし。

 バレないよう適当に理由をつけていなさなねば。

 ちらりとアキの方を見る。クラスの女王様は興味なさげに携帯を弄っていた。

「そんなわけないでしょ。ほら、勉強だよ勉強。そろそろやばいなーって。私、頭悪いし」

 言い訳ではあったが、頭が悪いという部分に関してだけは嘘ではない。逃げるためとはいえ、我ながら悲しくなってきた。

 私の言葉を聞いた取り巻き達は、失礼なことにピンときた顔を浮かべる。

「ああ、確かに。サヤって雰囲気に似合わず馬鹿だよね」

「そうそう。なんかめっちゃ賢そうに見えるのにね。てかもうすぐ期末テストかー。嫌な事思い出したわ」

「マジマジ。内申点に絡んで来るから気も抜けないっていうか」

 会話の流れに合わせ、私は適当に頭を縦に振る。

 数秒もすれば、話題はすっかり私以外のところに向き始めた。何とか空気を上手く混ぜこめたようだ。

 しかし、話題が逸れた代償に、とんでもない勢いで罵声を浴びた気がする。

 返す刀で同意されると、流石にショックだな。そんなに言われるほど私の頭は悪かったのか。

 夏の爽やかさなど微塵も感じないそんなワンシーンに悶々としながら放課後を迎えた私は、慣れた足取りで空き教室の扉を潜った。

「おっすー」

「こんにちは……ってなんですかその気の抜けた挨拶は。シャッキリしてください」

「テンサゲー」

「ただでさえそれっぽい見た目なのに、その言葉遣いほんとギャルっぽいのでやめてください」

「私の見た目のどこにそんな要素があるの?」

 私は視線を躱しながら鞄を置き、もはや指定席となった椅子に腰掛けた。

 今日は正統派真面目美少女キャラの日か、なんて事を自然に考えてしまうほど、この数週間で私は彼女に毒されていた。

 人間生きていれば癖の一つや二つは出てくるもので、私はそれを観察するのが割と好きだ。知生相手でもそれは例外ではない。

 知生の擬態にもおおよその傾向があり、髪型と口調でなんとなくのキャラクターが想像できる。

 この髪型でこの第一声であれば、今日は間違いなく正統派真面目美少女キャラ。どうせ問答を続けるうちに、すぐに素の知生に戻っていくわけだが。

 この毎日の変化は、捻れば出てくるカプセルトイみたいで、私のささやかな楽しみである。

 ちなみに余談ではあるが、私の一押しは妹系美少女キャラのツインテール知生だ。

「それで? 何がテンサゲなんですか? もうすぐ夏休みなのに」

 彼女は口元をへの字に曲げ、言葉を投げてきた。

「夏休み前だろうがテンションは下がるでしょ。それに夏休み前に乗り切らないといけないものがあるじゃない?」

「ああ、テストですか」

「せいかーい。明日からテスト一週間前とか、信じられないわ」

 呼吸のついでに言葉を吐いた私は、ゆっくりと机に突っ伏した。冷房がない割に、机はひんやりと気持ちよかった。

 テスト一週間前。恐ろしい響きだ。自分の口から出たくせに、とんでもなく重い。

「テストで憂鬱って、コマキサ先輩、頭悪いんですか?」

「もっと可愛らしい聞き方はないの?」

「コマキサ先輩はぁ、頭悪いんですかぁ?」

「可愛らしい聞き方って、そういう意味じゃないからね」

 抑揚じゃなくて表現に可愛さを求めたのに、単に二回馬鹿にされただけになってしまった。

 全力で可愛さをアピールする彼女は、目をキラキラさせて小首を傾げている。

「まあ、それなりに成績は悪いよ」

「えーっ。なんか勉強もできますみたいな空気出してるじゃないですか」

「それ、さっき友達にも言われた。そんな空気出してるつもりないんだけどなぁ」

「まったく……。セルフプロデュースが下手くそですね」

 知生はやれやれと言った様子でおそらく失礼な言葉を吐きながら、ホワイトボードの前に立った。これは恒例の流れが始まるいつもの合図だ。

「それじゃあ今回のちいリストは、テストにちなんだこれにしましょうか」

「今発表したって、どうせテスト終わりまでは私来ないよ」

「むっふっふー」

 私の言葉を軽くいなした知生は、スムーズな手つきでホワイトボードに文字を連ねていく。このやりとりにも随分と慣れてきた。どうせ書き終わると同時に、音読を強要されるのだ。

「はい読んで!」

「はいはい。ちいリスト16、テストで学年一位をとろう」

「ベリーグッド!」

 私が読み終わると同時に、知生は満足げにペンに蓋をした。この子はまた突拍子もないことを言い出している。

 彼女はそのままペンの先をくるくると宙に泳がせた。

「学生の本分は勉強とよく言われるじゃないですか」

「たしかに言うけど」

「本分を楽しまずして、高校生活は語れないと思うんですよね。せっかくですから、一位を取っておきたいんですよ」

「ほう……」

 随分とついで感覚で壮大な目標を立てたことだ。

 しかし、昨日処理した『七不思議と遭遇しよう』に比べると、素晴らしく有益に聞こえてくる。

 まあ私が学年一位をとるなど、それこそ七不思議に出くわすより希少な確率なのかもしれないけれども。

 私はついていけないが、ぜひ頑張って欲しい。

「頑張ってね」

「何言ってるんですか。先輩もやるんですよ」

「む、無理だってば。さっきも言ったでしょ。自慢じゃないけど、私、成績が悪いんだよ」

「心配しなくてもちゃんと自慢にならないですからねそれ」

 知生は溜息を吐いて再び椅子に腰かけた。長い髪を払う彼女は、もう純度百パーセントの知生に戻っていた。

「テスト期間中も、ちいリストは変わらず継続しますから」

「えー! ブラックだなぁ。部活でも休みになるのに」

「どうせ家に帰っても勉強なんてしないでしょ? ここにきて勉強すればいいんです」

 痛いところを突いてくる。おっしゃる通り自発的に勉強が出来るような信念は、私にはない。

「でも、やっぱり私には一位なんて無理だよ」

「わかってますよそのくらい。現実を見てください」

 目を細めて知生にじっとりと視線を向けたが、彼女は気にすることもなく言葉を続けた。

「一位は私に任せてください。コマキサ先輩の目標はそうですね……補習なしです。それで行きましょう」

「うーん……なかなか厳しいね」

 今回の期末テストは、赤点を取ればもれなく夏休みに補習が入る。高く見積もっても、二、三個の赤点が見込まれる私の成績から考えると、これでもなかなかのハードルだった。

 不安げな表情を浮かべる私を見て、知生は顔を痙攣らせた。

「割と低めの目標だと思ったんですけど、そこまでまずいんですか……?」

「高いハードルだなぁ、とは思ったよ」

「あっけらかんとまあ……。ヤバいですよそれ。なんでそんなに危機感がないんですか。ちょっと引いてるんですけど」

 知生は顔を痙攣らせたまま椅子に体重を預ける。ちょっとどころではなく、大いに引いていらっしゃるではないか。

 引かれようが私の成績に補正がかかるわけではない。それに、私には私なりに出来ない理由というものがあるのだ。

「ヤバいのはわかってるんだけど、本気になれないんだよ。困ったことに」

「何をセンチなこと言ってるんですか。でもそこまで成績が悪いなら、なおさらここで勉強しましょう! ちいリストは『学年一位をとろう(先輩は補習なし)』に変更です! 今からやりましょう!」

「えー……今からやるの……?」

「傷は早いうちに塞がないと! とにかく補習は絶対にダメです!」

「まあ善処はするけど」

「善処じゃありません。絶対にダメです!」

「なんであなたの方が必死になってるの?」

 知生は立ち上がり、ふんと鼻を鳴らした。巻き上がった埃が、つやつやと夕陽に反射している。

 私が赤点を取ろうが、ちいリストには全く関係がないはずなのに、彼女はやけに積極的だ。私なんぞに構わず先に進んでいけばいいのに。

 そんな私の疑問を払拭するように、知生が言葉を放る。

「だって夏休みに補習が入ったら、先輩の夏休みが減っちゃうじゃないですか。ちいリストには、夏休みにやりたいこともいっぱいあるんです! 私が先に手をつけた予定に横槍がはいるなんて許せません!」

 そこまで言い切って、知生は再び椅子に腰掛けた。どうやら私の夏休みは意図せぬ間に売約されていたらしい。

 捉え方によっては束縛系彼氏みたいな微笑ましさを感じるが、知生の場合はただただ自身の予定にケチがつくのが嫌なのだろう。毎度毎度、本当に勝手なことだ。

 しかしながら、補習と知生の手伝いであれば、面倒さで僅かに前者が勝る。彼女の言う通り、どうせ家に帰って勉強をするわけでもないし、いい機会かもしれない。

「……わかった。やるよ」

「あたりまえですよ」

 私は大人しく、ノートと筆箱を鞄から取り出した。知生の満足げな頷きに合わせ、味気のない筆箱がことりと音をたてる。

 まずは課題から終わらせてしまおう。テスト期間でもないのに勉強を開始するなんて、私史上初の試みだ。

 可愛い後輩の手前、恥をかくわけにもいかない。ただでさえ奪われるであろう夏休みも、これ以上減らしてなるものか。ついでに馬鹿だ馬鹿だと言われるのもムカつくし。

 差し込む日差しのじっとりとした熱に合わせ、私のやる気が息吹を上げた。

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