第6話

「な、なんですかそれは」

 長いおさげ髪を揺らしながら、少女は首を傾げた。視線はホワイトボードに貼り付けられたポスターに向けられている。

「何って……ポスターだよ。部活勧誘の」

「いや、それはなんとなくそうだろうなと。真ん中に描かれている気持ち悪いオブジェクトはなんですかと聞いたんです」

「きもって……猫に決まってるでしょ」

「猫っ!? おぉ……」

 おさげの少女はポスターににじり寄り、再び首を傾げた。何がそんなに納得いかないんだ。どう見ても猫でしょ。

 昨日と同じように空き教室に集合した私達は、一枚のポスターを眺めていた。このポスターというのは、昨日家に帰ってから私が必死に作り上げた渾身の一枚だ。

 声かけでの勧誘は私としては避けたいものであるし、直接的な協力が無理ならせめて、という思いを込めた自信作である。

 しかしながら、そんな自信作を見つめる知生の表情はどうやら芳しくない。

 本人曰く、おさげ大人しい文学少女という不可思議な本日のテーマを形取っている彼女は、これでもかというほど眉を顰めている。

「ど、どう?」

「うーん」

「時間がなかった割に、私としては結構上手くできたんじゃないかなーって思うんだけど」

「おぉう」

 おずおずと言葉を加える私に、知生は驚いた顔を向ける。しばらくの制止の後、彼女はケラケラと笑い始めた。

「コマキサ先輩はめちゃくちゃ絵が下手ですね」

「なっ!」

 ものすごくストレートに貶されてしまった。あまりの衝撃に、すっと全身の血液が頭に上ってくるように感じた。

「でもデザインは良しです。ふふっ。この猫らしきものを除けばですが」

「ひ、酷いよ! 頑張って作ってきたのに……」

「だから、デザインは良いですって。あとちゃんとアイデアを用意してくれた意欲にはとっても感謝していますよ」

「結局褒められてないんだけれど」

 知生が策を考えておけというから身を削ったのに、何故か深い傷だけを負わされた気分だ。

 確かに私は決して美術センスがある方ではないが、意欲以外も是非評価して欲しかった。可愛いじゃない、猫。

 がくんと肩を落とした私を見て、知生は笑みを深めた。

「いや、でもこれは逆に来たくなりますね。うんうん。採用です! 人集めにはこれを使いましょう!」

「ちょっと待ってよ! なんだか今の運びで採用だととても恥ずかしいよ。というか、そんなに言うなら知生ちゃんも描いてみてよ」

 ふふんと鼻を鳴らしてペンを握った知生は、さらさらと紙に墨を落としていく。ほんの数秒経って、知生は絵をこちらに向けた。

 ぱっちりとした目が可愛いデフォルメされた猫の絵が、しっとりとこちらを見つめる。

「な、なによ。可愛い絵描くじゃない」

「楽勝です」

 知生が描いた猫は、それはそれは可愛らしいものだった。ぐうの音も出ないとはまさにこのことだ。単に恥を上塗りしてしまった。

「まあ私のこんなつまらない絵よりも、コマキサ先輩のバイオレンスな絵の方がインパクト強いですからね」

「誰の絵がバイオレンスなの!?」

 ふんと顔を上げると、ホワイトボードに貼り付けられた猫と目が合った。

 なんだあれは気持ちが悪い。あんなものを猫と言っていたのか私は。というか、私はあんなに絵が下手だったのか。意図せぬタイミングで、急に我に返ってしまった。

 我が子のようにポスターを可愛がっていた過去と、それを意気揚々と貼り付けた事実が、今更ものすごく恥ずかしくなってきた。

「まあ、ポスターはあれで決まりとして」

「決めないでっ! ダメだよあれは。見れたものじゃない!」

「えー。上手く出来たって言ってたじゃないですか」

「忘れて! もう嫌。恥ずかしくなってきた」

「でかい図体して照れないでくださいよ」

「図体は関係ないでしょ!」

 なんだか久しぶりにこんなに声を張り上げた気がする。決して嬉しいことではないけれど。わたわたと声を上げる私を見て、知生は小さく手を叩いた。

「そんなことより、何部にするかですって。というか、よくそこも決まってないのにポスターが作れましたね」

「あなたがそれを言うの……?」

 何部かも決まっていないのに顧問を連れてきた女に、至極真っ当なことを言われてしまった。

 知生は私の言葉を無視して、ピンと人差し指を立てる。

「あれから色々考えてみたんですよ。でも結局私がやりたいことは一つに絞れないなと」

「昨日も言ってたね」

「だったら一つに絞らなければいいんです!」

「えっ?」

「ということで閃いたのがこちら!」

 軽快なテンポで話を進める知生は、ポケットの中からヨレヨレの紙を取り出した。

 A4サイズに広げられたそれには『いろいろ部』という恐ろしい文字列が大々と書かれていた。

「い、いろいろ部……?」

「はい。いろいろ部です!」

 えっへんと紙をこちらに向ける知生を見て、私は苦笑いを浮かべた。

 なんというか、ダサい。言いたい事はなんとなくわかるのだが、とにかくダサい。

 しかも本人が自信満々である分指摘がしづらい。私のポスターを見た知生も、きっとこんな気持ちだったのだろう。

 しかし、そうとあらば尚更仕返しをしてやらねばなるまい。

「ダサいね」

「コマキサ先輩にはこのセンスはわかりませんか」

「私の感性の問題じゃないと思うけれど。しかも何をやる部活かわからないし」

「そりゃもう、いろいろですよ」

 この子は驚くほどあやふやな部活動を作ろうとしているらしい。というかそれは本当に部活と呼べるのだろうか。

 許可を下ろす側の人間も馬鹿ではないのだ。オッケーが出る未来が全く見えない。

「それ、許可下りないんじゃない?」

「下りますって。もう申請もしちゃいましたし」

「いやいやそんな簡単には……って何か今恐ろしい事を言った?」

「許可は下りますと」

「違う。その次だよ」

「申請したと」

「はあ!?」

「既に山上先生に書類を渡してお願いしてありますから」

 さらりと語る知生を見て、言葉が続かなくなった。もう申請した? 嘘でしょ。手が早すぎる。手際がいいに越した事はないと彼女は先日言っていたが、本件に関してはノーだ。

 いろいろ部の小牧沙夜子でぇす……。絶対に言いたくない。

 抵抗代わりに私は質問を繰り出す。

「ぶ、部員は? 五人も集まらないでしょ?」

「名前を貸してくれる子がちらほらと」

「嘘ぉ……。えっ、許可下りないよね? 大丈夫だよね?」

「いや、だから下りますって」

「下りるわけないじゃーん」

 願望を込めた私の悲痛な嘆きが教室にこだました。

 私が夜もすがらせっせとお絵描きしている間に、事態はとんでもないところまで進んでいたようだ。

 こうなれば祈るしかあるまい。善良な大人よ。どうかこの子の意志を突っぱねてくれ。でないと私はいろいろ部という恐ろしい名称の部活に所属させられてしまう。

 私の呪詛のような呻き声に呼応するように、教室の扉がガラリと開いた。

「やっほー。山上先生だよー」

 教室に現れたのは佳乃ちゃんだった。

 ひらひらと振られる手には一枚の紙が握られており、不安感を増長させた。

 私は食いかかるように佳乃ちゃんに詰め寄る。

「佳乃ちゃん! 本当に申請したの?」

「ん? なんだね藪から棒に」

「部活だよ部活! もう申請しちゃった? してないよね?」

 矢継ぎ早に質問をぶつける私に、佳乃ちゃんはにやりとした顔を向けた。

「いいねぇ。久しぶりに見た気がするよ、こまちゃんの必死な表情。先生その顔大好きだよ」

 彼女は私の身をくるりと反転させ、椅子へと促した。釣られるように、知生も私の隣へと腰を掛ける。

「気になってるみたいだから、本題から言っちゃおっか」

 佳乃ちゃんはゆっくりと人差し指を上げた。

「たった今部活の申請をしてきました。んで結果が」

 ごくりと喉が鳴った。佳乃ちゃんが焦らすように息を吸う。

「今回は見送りということになりました」

「よしっ」

「ええー!」

 私の小さなガッツポーズと知生の落胆が、言葉とともに出現した。見送り、やった。ダサい部活に属さずに済んだ。

 更に大きく手を翳そうとしたところ、ホワイトボードに目が向く。猫のような何かが悲しそうにこちらを見ている気がして、ふと思考が別のところに落ちた。

 そういえば、私は何故あんなものまで作って部員を呼び込もうとしていたのだったか。当然、部活に打ち込むという知生のリストを完成させるためだ。

 部活が承認されなければどうなる? 彼女は他の手段を考えるだろう。それが面倒に繋がりそうだから、私は急いでことを起こそうとポスターを作ってきたのだ。

 しまった本末転倒だ。名前への拒否感だけでガッツポーズなどしている場合ではなかった。本筋は部活動の設立ではないか。

「な、なんで?」

「おお、嬉しいのか悲しいのかわかんないリアクションしてくれるね。理由は簡単。そもそも部活動を作ることができる期間は四月から六月初旬までと決まっているみたいなの。ごめんね、先生も知らなかったよ」

「それじゃあ来年までは……」

「そう。部活を作ることができないの」

 何ということか。まさかそもそもの計画が破綻していたなんて。部活を新しく作るなんて話を聞いたことがないせいで、隠れたルールを把握できていなかったとは。

 私はちらりと知生の方に目を向ける。

 こんなルールで、この変人が黙っているとは思えない。職員室に直談判しに行くくらい、平気でやってのけそうだ。

 しかし知生は、小さく息を吐いて首を横に振った。

「じゃあまあ、仕方ないですね。残念ですが」

「やけに素直だね……。てっきりそんなルール認めない! とか言うかと思ったのに」

「コマキサ先輩は私を何だと思ってるんですか」

 知生は不機嫌そうに目を細くした。

「郷に入っては郷に従えって言うでしょ? ルールの範囲内ならまだしも、ルールを破ってまで何かをしてやろうとは思っていませんよ。悔しいですけど、今回は私のリサーチ不足でした」

 私はどうやら彼女のことを少し勘違いしていたらしい。

 そういえば、確かに彼女の行動は校則の範囲内ばかりだ。髪型も制服も、うちの校則では深く言及されていない。バイトだって容認されている。

 小さくガッツポーズをしてしまった事実が、徐々にかわいそうな事をしてしまったという気持ちに変わってきた。

「まあそう落ち込まないでよ。代わりと言ってはなんだけれど、この教室の正式な使用許可はもらってきたよ」

「流石佳乃ちゃん。できる女だね」

「えっへん。もっと褒めて良いよ」

「褒めがいがないなぁ」

 私と佳乃ちゃんがワイワイと会話を繰り広げる間も、会議があるからと佳乃ちゃんが教室を去った後も、知生は落ち込んだ様子を貫いていた。なんだ、調子が狂う。

 二人っきりになった教室で、私は立ち上がって知生の頭に手を置いた。知生はむすっとした表情でこちらを見上げる。

「部活はダメだったけどさ、教室が正式に使えるようになったんだから良いんじゃない? それに来年には作れるんだから」

「今年じゃないとダメなんですよ」

「なんで? いいじゃん。来年作っても、高校生活の半分は打ち込めるわけだし」

「だって、来年だと先輩は受験とかで参加できないじゃないですか。どうせなら一緒がいいんです」

 夏特有の熱気が立ち込める教室に、爽やかな風が差し込んだ気がした。

 なんだろう。くすぐったい。ここまで落ち込んでいる彼女の思考に、私との時間という要因が含まれていたことが、胸を弾ませる。

「ちょっとまって。今すごく萌える事言われた気がするわ」

「言ってませんよ」

「一緒がいいって言ったよ」

「気のせいでしょ」

「ううん。ちゃんと聞いたもの」

 顔を背け続ける知生の耳が、赤々と染まっていくのが見えた。おさげ髪じゃなければ、もっとはっきり見れたのに。残念。

「ああもう。何この可愛い生き物!」

 誰だこんな子のことを変人呼ばわりしているのは。こんなに可愛いのに、見る目がない。

 自分のことを盛大に棚に上げ、私は知生の頭を撫でる。彼女は呻き声を上げた後、急いで立ち上がった。

「鬱陶しい! バイトなんで帰ります!」

「やーん。照れないでよ。可愛いなあ!」

「なんなんですか。時折病魔が発生するその感じ! ほんと鬱陶しいです! キモいです!」

「えっ、言い過ぎじゃない?」

 知生は私の横をすり抜け、スタスタと扉まで歩いて行った。扉の前で身を翻し、おさげ髪で顔を覆いながら言葉を投げてくる。

「今回は失敗でしたが、ちいリストはまだまだあります。明日から切り替えて行きますよ! はい解散!」

 知生はそのまま急ぎ足でバイトへと向かって行った。彼女に釣られたように、窓際のカーテンがゆらゆら揺れた。

 何がトリガーかはわからないが、ひとまずは気持ちを盛り返してくれたようだ。それが私にとって良いことかは別にして。

 窓の方によると、校庭から野球部の太い声が聞こえてくる。言葉を聞くだけでも嫌だった部活動というものにも、何故だか今はそこまでの嫌悪感を抱かなくなっていた。

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