最初で最後の、最高のライブ

 ――――ライブ当日。


 伶亞の顔にメイクを施す周を、葛木が控え室の隅で眺めている。


「……失礼ながら、そちらの方がライブに出られるとは思いませんでした」

「よく言われますー」


 伶亞から目を離さずに周が答えると、伶亞が僅かに俯いた。だがすぐに顎を片手で掴まれ、強制的に正面を向かされる。メイク中の周は本気モードゆえに厳しい。

 葛木から借りた『ゆいにゃん』のライブ用ヘアメイクセットの画像を参考にして、伶亞の顔を作り上げていく。所謂整形メイクと呼ばれる技術だ。


『わ、すごーい! ゆいにゃんそっくり!』

「でしょ? 折角のライブだもん、思い切り可愛くしなきゃ」

『うんうん! ほんとありがとだよ!』


 傍で見ていた夢衣が、テンション高く目を輝かせる。

 すると突然なにかに応答するようなことを言った周に、葛木が目を丸くした。


「もしかして、此処にいるんですか……?」

「いますよ。リハのときも傍で見ててくれてましたし」

「そう……ですか……」


 葛木は暫し黙ってから、周たちを気遣いつつ口を開いた。


「あなた方にも、私には想像もつかない苦労があるであろうことは承知しています。ですが……それでもいまばかりは、羨ましいと思ってしまいますね」


 単純に「死んだ人と話せるなんて凄い、羨ましい」と言わないところに、年相応の気遣いが感じられて、周は淡く微笑んだ。


 葛木は、夢衣と二人三脚で今日まで来た。

 いつかメジャーデビューする日を夢見て、共にがんばってきたのだという。今日は初めての単独ライブ。此処から更に羽ばたいていくはずだったのだ。


「それじゃあ、いまから夢衣さんを伶亞に降ろします。でもその前に確認しますね。体を貸せるのはライブが終わるまで。そのあとは天に昇って頂きます。自由に動ける体を得るとこのままイケるんじゃないって気になっちゃうかもだけど、伶亞の負担が半端ないんで、絶対離れてください。執着が芽生えると最悪悪霊化しちゃって、除霊しないといけなくなっちゃうんで。折角のライブの終わりにそんなことになったら、きっとファンも悲しむと思うから……これだけはしっかり約束してくださいね」

『うん。ゆいにゃんは最後までみんなのアイドルでいたいから……約束する。絶対、絶対、最高のライブにして、最高の気分でお空に逝くの』

「ありがとうございます。それじゃあ……行きますよ」


 伶亞と視線を交わし、頷きあって、周は祝詞を唱え始めた。伶亞は目を閉じ、周の祝詞の声に集中する。朗々とした周の声は、不思議な響きを持って控え室内に満ち、何の変哲もない控え室に神社の祭壇をも幻視させた。

 やがてステージのほうからライブ開始が近いことを告げる音楽が聞こえ始め、周の祝詞と合わさって不思議な雰囲気を醸し出していた。


「姫宮夢衣――――ゆいにゃん、お早う御座います」


 閉じていた目が開かれる。

 特殊なカラーコンタクトで作った金色の猫目が、にんまりの笑みを作る。伶亞ではあり得ない、アイドルらしい愛嬌ある微笑だ。

 その笑みを見た葛木が、思わず口元を覆う。まだ。まだ泣くには早い。そう自身に言い聞かせている葛木の横を通り抜け、『ゆいにゃん』はステージに立った。


「みんなぁ――――! ゆいにゃんに会いに来てくれてありがとにゃーん!!」


 ステージ上を飛び跳ねながら、ゆいにゃんはファンに向かって大きく手を振った。

 人数にして二十数人ながらも、目一杯の歓声とサイリウムを浴びて、ゆいにゃんはファンのため自分のために、思い切り歌った。

 元々用意されていた照明効果に、周の兄佑が改造を重ねたエフェクトがきらめく。まるでプロのステージのように、音や光でゆいにゃんのラストライブを飾っている。

 決して大きな会場ではないが、それでもステージ全部を使い切るかのように全身で歌い、踊り、出来る限りのパフォーマンスを披露した。

 初めてCDが二桁売れた曲。数少ない同性のファンから、お手紙で感想をもらった曲。ライブのために作った曲。友人のグループと対で作ったカップリング曲。初めてSNSでプチバズりした曲。全ての歌に思い出が詰まっている。

 叶うことなら、ずっとこのまま皆のアイドルでいたい。

 そう、脳裏を過ぎったときだった。


「――――っ」


 一瞬、視界にノイズが走った。

 まるで、それ以上は駄目だと警告するかのように。

 観客たちに悟られる前に、ゆいにゃんは笑顔を作ってマイクを胸元に構えた。この日のために自分でデコレートした、魔法少女の変身ステッキのようなマイクだ。

 楽しかったライブもあと一曲。

 この一曲を歌い終えたら、自分はこの世を去らなければならない。

 だがこの一曲を歌い終えるまで、完璧なアイドルで居続けることが出来る。本来は立つことも出来なかったはずのステージで、キラキラ輝くことが出来る。

 一瞬過ぎったノイズはもう何処にもない。


「――――ねえみんな! ゆいにゃんはね、みんなのアイドルでいられて、すっごくしあわせだったよ! さいごは今日のために作った新曲、メルティラブハート!」


 アップテンポなアイドルソングがかかり、ステージ上にピンク色したハートの光が乱舞する。くるくる踊るゆいにゃんに、まるで示し合わせたかのように淡いピンクのサイリウムが振られる。

 ファンたちはこの曲を初めて聴くはずだが、それを感じさせないほど一体感のあるステージになった。

 ライトアップされたステージの中央で、ゆいにゃんは最後の余韻に浸る。

 これで、本当の本当に最期なのだという実感が、胸の奥から湧いてくる。けれど、不思議なほど未練を感じない。あるのは眩しいほどの幸福感。皆に会えた喜び。暗い気持ちが一欠片も見当たらない。幸せで幸せで、心がいっぱいだった。

 泣いたら駄目だと思うのに、涙が溢れて止まらない。


「ゆーいにゃーん!」

「最高だったよー!!」


 野太い声援が、観客席から飛んでくる。

 簡素な手すりで仕切られているだけで、椅子があるわけでもないその場所に、今日このときのために集まってくれた人たちがいる。泣いてろくに挨拶できない自分にも優しく声をかけてくれる、温かいファンの眼差しを感じる。


「ほんとうに……っ、ありがと――――!!」


 大きく手を振りステージを去るゆいにゃんに、最後の最後まで歓声が送られた。

 ステージヒロインがいなくなっても、エンディング曲がかかっても、ファンたちはライブで繰り返してきたコールを続けた。

 やがて、ステージライトが平常時の照明へと切り替わり、退場を促すアナウンスが流れるそのときまで。


 控え室に駆け込むと、アイドルゆいにゃんは姫宮夢衣に戻って大きく息を吐いた。パイプ椅子に深く腰掛け、襟元を手のひらで仰ぐ。


「お疲れ様、夢衣さん」

「ありがと……」


 周が差し出したスポーツドリンクを数口飲んで、また息を吐く。

 呼吸を整えて涙を拭くと、清々しい気持ちが胸を満たしていることをじわじわ実感し始めた。まだファンたちの歓声が耳の奥に残っている。ピンクのサイリウムが瞳に焼き付いている。


「凄く楽しかった。本当にしあわせだった。ありがとう」

「うん。あたしも見てて楽しかった。……じゃあ、そろそろいいかな」


 夢衣は一つ頷き、目を閉じた。

 ステージの上で見た輝く夢を反芻するように。

 胸いっぱいの幸福感を抱えて、周の優しい祝詞に包まれていく。

 淡い光が伶亞の体から抜けたと思うと、伶亞の上体がガクンと崩れた。それを周が受け止め、背中をさする。


「お帰り、伶亞」

「……っ、う…………明日が怖い……」


 夢衣に体を貸していたあいだ、伶亞は自分がなにをしていたかぼんやりと把握していた。散々に走り回ったあとの疲労感が全身を襲っており、動くことが出来ない。

 伶亞も歌声を維持するために最低限のトレーニングはしているが、体力作りという意味の運動まではしていないインドアな体は、明日を待たずとも限界を訴えていた。


「電車で帰れるかなぁ……」

「席空いてるといいね。まあでも取り敢えず少し休んでからにしよ。ね?」

「ん……」


 一連の出来事を、控え室に備え付けの簡素な合皮製のソファに座って見守っていた葛木が、スッと立ち上がって伶亞たちの傍まで来た。


「御神楽さん、御伽さん、本当に、ありがとうございました。……実は、ステージを見るまで半信半疑だったのですが……あれは本当にあの子のパフォーマンスでした」


 どうやら葛木は、ライブ中ずっと泣いていたらしい。目元のみならず、顔の大半が化粧崩れでドロドロになってしまっている。些事を気にしていられないほど、夢衣のライブを葛木自身も夢に見ていたのだろう。

 いち地下アイドルとマネージャーにしては感情の向きが強い気もするが、その辺は伶亞にも周にも関わりのないことだ。


「あたしたちに出来ることをしただけです」


 すっかり溶けてしまった伶亞の着替えを手伝いながら、周はそう言って笑った。


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