イタコ歌手伶亞の浄霊ライブ☆
宵宮祀花
未練の形
鳴り響くサイレンの音。明滅する赤。群がる人。人。人の顔。向けられるレンズ。虫のさざめきのようなノイズ。冷えていく体。生ぬるい水に浸って、意識が何処かへとけていく感覚。鉛のように重たい手足。沈んでいく景色。押し寄せる後悔。未練。嘆きの果ての絶望。そして、諦念。
(――――私、死んじゃうんだ……)
他人事のように、そう思った。
* * *
「れーいあっ」
「うひぇあっ!?」
突然背後から飛びつかれ、御神楽伶亞は文字通り飛び上がって驚いた。バクバクとうるさい心臓を抑えながら振り向けば、幼馴染で親友の御伽周がにこにこと上機嫌で伶亞に抱きついていた。薄化粧の乗った綺麗な顔が至近距離にあるせいで、いつまで経っても心臓が落ち着かない。
「
「あはは、ごめんごめん」
抱きつく腕を引き剥がして伶亞が言うと、周は笑って隣に並んだ。
伶亞は姫カットのロングヘアに黒シャツ、黒のロングスカートに黒のブーツ、更に顔の半分を黒マスクで隠すという、全身黒ずくめスタイル。鞄も黒なので、反射板に加工した棺桶型キーホルダーを下げている。前髪の上につけられたリボンバレッタは周からのプレゼントだ。
周は極薄い茶色のウェーブヘアを薄ピンクのリボンバレッタでツーサイドアップにした髪型に、くすみピンクのフリルシャツ、黒のサス付きハイウエストスカートと、甲の部分にピンクのリボンがついた黒いエナメルシューズを合わせている。
服のスタイルが違うようで似たところもある二人は、手を繋いで駅から徒歩二秒の距離にある大型電器店へと流れるように吸い込まれていった。
「マイク新調するんだっけ? いいのあるといいね」
「うん」
脇目も振らずオーディオ機器売り場に向かい、案内表示に従って目的のコンデンサマイクが置いてある場所を目指す。未だに根強くジャンルとして存在しているお陰で『あの有名歌い手も愛用中!』といったPOPもある。
「へえ。これ、歌い手のReNoがレコーディングに使ってるんだって」
「ふぅん……? 低音に強いマイクなのかな」
動画投稿サイトでランキング常連の男性歌い手ReNoは、艶のある低音と色気に溢れる歌い方で、主に女性からの人気を集めている歌い手だ。POPにはアイコンに使用している彼のイメージイラストが使用されており、通りすがりに若い女性たちが「あっReNoだ!」とはしゃぐ姿が何度も見られた。
「高音をクリアに拾ってくれるのがいいんだけど……それかもうフラットなやつ……男性愛用は参考にならない……」
「いまのマイクはどういうやつなの?」
「千円くらいの通話用マイクだから、抑もあんまり音質良くないよ」
「えっ、そうだったの? 全然気になんなかったなぁ」
伶亞が現在使っているマイクは、総合通販サイトで適当に買った『音声会議に』と紹介されていた、千円ほどのものだ。通話には不便しないが、歌の収録となると多少力不足と言わざるを得ない。
そのため、バイト代を貯めて新調しに来たのだが。
「やっぱお兄ちゃん連れてきたほうが良かったかな」
「
「詳しいっていうか、こういうの見てどんなやつかわかるんじゃないかなって」
こういうの、と言って、周は商品の仕様が書かれた箇所を指した。
周の兄である佑は、とても機械に強い。伶亞には彼の言っていることの一欠片さえ理解出来ないが、彼に任せると伶亞の動画は数万倍にも良質になる。彼は動画編集や音声加工、プログラミングにパソコンの自作など、手広い趣味を持っている。伶亞の歌は、まず兄に丸投げして、出来たものを周のアカウントで投稿しているらしい。
確かに彼なら、此処に並ぶ謎の英数字の羅列を読み取るくらいはしてくれそうだ。
「なにかお探しですか?」
二人して唸りながらマイクを見ていたら、不意に横から声がした。電気店の制服を着た、若い男性店員だ。
伶亞は驚いて周の陰に隠れ、周はそんな伶亞を庇いながら答える。
「えっと、歌の収録に使うマイクを探してて……予算は五万円くらいなんですけど、高音が綺麗に録れるのがいいなって話してたんです。ね」
「う、うん……」
「でしたら此方がお勧めですね。マイクは高ければ何でもいいってものではなくて、でも性格が同じであればやっぱりお値段に応じて質は高くなりますので」
伶亞の態度にも気にした様子を見せず、店員はマイクの性能と価格を比較しながらお勧めを並べて見せた。
高音に強いマイクと、広い音をフラットに拾うマイク、どちらも素直に音を拾い、スタジオ収録向けに作られている。
伶亞はその中から、プロのスタジオでも使われているというマイクを選んだ。動画投稿者にも愛用者がおり、その人のお勧め記事がバズったこともあるという。
「それにする?」
「予算内だし、知ってる歌い手さんが使ってるって言うから……」
「ミラルカさんだっけ。Vampire†Dollの」
伶亞が頷くと、店員も「歌声が凄くパワフルで高音の伸びが綺麗な方ですよね」と愛想良く相づちを打った。その言葉に思わずオタク全開で語りそうになったが、口を噤んでコクコクと頷くだけに留めた。
その後、無事カウンターで会計を済ませた二人は、上階にあるレストランフロアに来た。昼食時より少し遅いこともあって待機列は出来ておらず、どの店でもすぐ座ることが出来そうだ。エスカレーターで登ってきた時点で空腹を誘う匂いがしている。
「伶亞、どうする?」
「うーん……疲れたから甘いものがほしいかも……」
「じゃあ、フレンチトーストのお店にしよっか」
目当ての店もスムーズに入ることが出来、ボックス席に案内された。
メニューを開けば、華やかなフレンチトーストやパンケーキが見開きで飛び込んできて、思わず目移りしてしまう。周は更にページを進めて軽食のところを見ており、其方もまた食欲を刺激する写真で溢れていた。
「あたしはロコモコにしようかな。お腹空いちゃった」
「えっと……じゃあ、イチゴパンケーキにする」
「いいね! あ、ポテト頼んでシェアしない?」
「うん」
メニューを閉じ、周が手を上げて店員を呼ぶと、二人分の品を伝えた。ドリンクは周がジャスミンティーを、伶亞がダージリンを選び、店員は注文を復唱して下がっていく。
「帰ったら早速使ってみる?」
「うん……そうだね。通話用とどれくらい変わるか気になるし……」
「んふふ。伶亞の歌がもっと綺麗に聞けるなんて、楽しみだなあ」
「ハードルあげないでよぉ……」
他愛ない話をしているうちに注文した品が届き、二人は目を輝かせた。
伶亞のパンケーキはふわふわの生地にたっぷりとイチゴのソースがかかったもの。周のロコモコもグレイビーソースがかかったハンバーグの上にハート型の目玉焼きが乗っており、添えられた花と相まってとても可愛らしい作りをしている。
周はロコモコとパンケーキが画角に収まるよう距離と角度を調整して手早く写真に収めると、手を合わせた。
「いただきまーす」
「頂きます」
フォークで軽く押さえつつナイフを入れ、一口大に切ったものを口に運ぶ。空腹を宥めるように、口内が幸福で満たされる。頬が緩むのを抑えきれず、周は緩みきった顔で二口目を放り込んだ。
そんな周を正面に見つつ、伶亞も表情にこそ出さないものの好物であるスイーツのふんわりとした甘さに和んでいた。
「あー美味しかった! 此処、電器屋さんだと思ったら何でもあるね」
「うん。化粧品とか日用品もあるし……結構便利だよ」
「あたしも次から此処に来ようかな」
エスカレーターで階下へ降りながら頭上の案内板を見れば、フロアごとに特色ある売り場が形成されていた。家電が並んでいたかと思えば百貨店のように洋品店が並ぶフロアが現れたりと、眺めるだけでも一日が潰せそうなほどである。
次の楽しみを胸に抱きつつ外に出ると、救急車のサイレンが耳に飛び込んできた。
「あれ、事故かな? 進行方向だけど、どうする?」
「歩道が塞がってるみたい……進めないかも」
「じゃあまたどっか入って待つしかないかなぁ」
周が辺りを見回していると、伶亞がふらりと歩き出した。
その足取りは何処か夢を見ているようで、覚束ない。遅れて気付いた周が、慌てて後を追いかける。すると伶亞は事故の野次馬らしき人混みを避けて細い路地を入り、半地下のある建物の前で足を止めた。
「伶亞!」
周がパンッと柏手を打つと、心ここに在らずだった伶亞がハッとした。
「周……もしかして、また……?」
「まただねえ」
伶亞の隣に並び立ち、周が目の前の建物を見る。
其処はどうやら、主にアマチュアアーティストが使うレンタルステージのようだ。その階段下に、膝を抱えて蹲る少女が一人。
セミロングの黒髪を大きな鈴付きリボンでツインテールに結って、美少女アニメの制服に似た衣装を身につけている。この街ではさして珍しくもない格好だ。通りでは彼女のような服装の女の子が客引きをしている姿をよく見かける。
「ねえ、そんなとこでどうしたの?」
周が声をかけると、少女はビクッと肩を跳ねさせて辺りをキョロキョロ見回した。そして背後にいる二人組のどちらかが声の主だと気付くと、驚きを満面に映した。
「あ……あなたたち、私が見えるの……?」
「見えるし聞こえてるよー」
周が答えると、少女は両目から涙を溢れさせた。
子供のようにグスグス泣きながら、なにかを訴えようとしている。のだが、全ての音声が涙によって鼻濁音になってしまっており、なにが何だかわからない。
「まあまあ、落ち着いて。泣きながらじゃわかんないから」
「ご、め……っなさ、ぃ……」
少女が落ち着くのを待ってから、周は傍まで行って顔を覗き込んだ。伶亞はそんな周にくっついて、心配そうに二人を見守っている。
「で、なんでこんなとこ座り込んでたの?」
まるで家出少女を補導する警察官のようなことを訊ねる周に、少女はぽつりと、
「明日、此処でライブだったの」
そう答えた。
少女は所謂地下アイドルをやっていて、今日はライブへ向けてのリハーサルを行う予定だったのだという。だが表で事故に遭ってしまい、ライブどころか人生ごと全て喪う羽目になってしまったのだ。
名前は姫宮夢衣。ゆいにゃんの愛称で呼ばれており、衣装には白やピンクの猫耳や尻尾があしらわれている。ライブ衣装も既に出来ていて、まるで魔法少女のような、可愛らしさをありったけ詰め込んだものだった。
「ずっと夢だったのに……やっと叶うところだったのにぃ……」
そう言うと夢衣は、また蹲って泣き出してしまった。
周ならこのまま強制的に祓うことも出来るが、何の罪もない事故死しただけの子を物理で浄霊するのは気が引ける。兄ならば優しく諭して昇ってもらうことも出来たのだけれど、周にはそれが出来ない。
「あなたたち、スタジオになにか?」
二人が困り果てていると、背後から声がかかった。
伶亞がビクッと跳ねて周の背に張り付くのを慣れた様子で宥めつつ、周は声の主を振り返った。
階段の先、地上部分にいたのは二十代半ばくらいの女性だった。大きな鞄を左肩にかけており、其処からクリアファイルに挟まった紙束がはみ出ているのが見える。
「ええと……姫宮夢衣さんのことで……」
周がそう言うと、女性は僅かに眉をひそめた。
「彼女はいま、諸事情があって別所にいます。此処では会えませんし、居所をお教えすることも出来ません」
女性が突き放すような物言いをしたとき、周の背後で、夢衣が「葛木さん……」と小さく呟いた。
「葛木さん、ご相談したいことがあるんです。いきなり現れて変なことを言ってると思うかも知れませんが、夢衣さんのためにもお願いします」
* * *
スタジオ事務室にて、周と伶亞は葛木と向き合う形で事の経緯を説明していた。
最初こそ突然現れて不審なことを言う子供を見る目で睨んでいた葛木だが、次第に表情が変化していった。地下アイドルという特殊な立場ゆえか、時折厄介なファンや妄想を拗らせた人間が近付くことがある。周たちもそういった類いの人間だと葛木は思っていたのだが。
「――――それで、夢衣さんは、ライブのために用意した『メルティラブハート』を歌うのを楽しみにしてたって」
そう周が言った瞬間、葛木はガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。
「そ、それを何処で……!? まだ何処にも発表していないはずです!」
ライブのクライマックスで新曲発表という形を取る予定だった、その新曲である。もし情報漏洩しているなら、早バレとしてネットに晒されていてもおかしくない。
慌ててスマートフォンを取り出す葛木に、周は「夢衣さんに聞きました」と冷静に答えた。
「全然確かめてくださって構わないですけど、あたしたちSNSに晒したりとかしてないですから。ていうか、夢衣さんのこともついさっき知ったばかりですし。その、アイドルやってる方にこんな言い方失礼ですけど……別に元々ファンとかワンチャン狙いとかでもないですし……」
周の物言いは、確かに知名度を生命線としている職業の人間に対してはこの上なく失礼だ。あなたのことなんて知らなかった、などと。
夢衣も周たちの傍らで少し落ち込んでいるが、自分たちが誰もが知る有名人でないことは、他ならぬ自分自身が知っている。数多の地下アイドルとの合同ライブでも、同い年くらいの少女が応援に来ることは滅多にない。お互い初対面なのは間違いない事実である。
葛木も漸く周の言葉を噛み砕くことが出来たようで、眉間を抑えながら深く溜息を吐いた。
「……わかりました。あなた方の言葉を信じましょう。ですが、姫宮のためになにが出来ると仰るんです?」
周は伶亞と一瞬視線を合わせると、葛木に向き直り、こう言った。
「ライブが出来ます」
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