始原の聖堂



見上げて溜め息が出た。

試しに少し自分で登ってみたが、台地を登るのは登攀では不可能で。翼を使って、少しだけある突起に片足を乗せて休み、また翼を使って上る。何十回と繰り返してやっと、台地の上に辿り着いた。


涼やかな風。草原が続く景色。

ここだけは最初から、他と違って穏やかな風景だった。

それは今も変わらない。


始原の聖堂が見える。

半分崩壊したその姿も、最初に見たまま変わらずに佇んでいる。


草原を横切って、小鬼をかわしながら聖堂に辿り着く。

半壊した階段を上り、空の鎧の横を通って聖堂の中に入った。


そこには大きな女神像が佇んでいて。

俺はその前に立つ。

多分新たに記されたのは此処の女神像のはずで。


見上げているが何も起こらない。

抜けた天井には小鳥が囀り、半壊した壁を風が通り過ぎていく。近くの小鬼も一匹だけで、何も変わらない。


…試しに押してみるか。

腕に魔法を纏わせて、正面からグッと女神像を押してみた。

じりっと動いた。少しだけ場所がずれる。

土とは別の何かがちらりと見えた時、頭に声が響いた。


『タスケテ、ディザイア』

聞き覚えのある声が、耳元を通り過ぎていく。

俺が動かさなくても女神像が動き出し、離れると完全に開いた地下への入り口から、のっそりと歪な魔物が這い出てきた。


魔物が俺の前で立ちあがる。

その腹に、一本の剣が鎖で巻かれていた。汚泥のようなもので埋もれているが。

黒い、聖剣。


そこから声がする。

『ヤット、キタネ』

俺は右手を握り、また開く。

無意識にしたその動きで、自分の手にアレがいた事を思い出す。


俺の力を引き出した、聖剣に宿る乙女。


それを目の前にして、突風が吹くように俺の周りを記憶が駆け抜けてゆく。

嵐のように轟音があたりに響き渡る。

物心ついてから、あの湖に投げられた瞬間まで全てが。

俺の中に帰って来た。



あの時、泣きながら勇者たちが言ったのは。

「ごめんなさい!」

「気を付けろよ」

「ご武運を」

そして、勇者ロウチは。

「頼んだぞ!」


湖の水面が光っている場所に向かって、俺を投げた後に四人いっぺんにそう言ったんだ。きっと天恵があったんだと、俺でも分かった。

何故とは思ったが、それでも四人の気持ちは分かったんだ。

だから俺は納得して、水に沈んだんだ。


それなのに、記憶がなくなってしまって。


「…遅くなってしまった」

『ホントダヨ』

可愛い声が笑いながら答える。


目の前の魔物など、一瞬で崩壊させられる。

記憶が戻った今ならば。


唸り声を上げていた魔物は、そこに最初からいなかったように黒い欠片になり消えていった。鎖がジャラリと鳴り、地面に落ちる。


黒い剣は空中で浮いたまま、青く光りだした。

少女の姿がゆっくりと現れる。

『ヒサシブリダネ』

「ああ、待たせてすまない」

『キオクガ、ナクナルノハ、ヨソウシテイタカラ』

「そうか」


俺と彼女は相対しながら、お互いを見つめている。


「教えて欲しい。俺のこの力は」

彼女は黙ったまま、俺の言葉を待っている。

「君がくれたこの力は、魔王の力ではないのか?」

彼女は目を伏せて、俺から視線を外した。


『ソウダヨ。ダッテワタシハ、ジャシンダモノ』

そう言ってもう一度俺を見る。

彼女が薄青く光っているのを眺めながら、俺は納得した。

きっと昔の俺ならば、泣き喚いただろう。


せっかく手に入れた力が、魔王の力だなんて。

この魔法で、勇者と呼ばれたのに。


『アナタニ、チカラガワタッテシマッタカラ、マオウハ、ノロイノチカラシカ、テニハイラナカッタ』

「もともとそれが、狙いだったのだろう?」

『ジャシンダッテ、カミダモノ。アナタミタイナツカイテニ、キタイシテモイイジャナイ』

なるほどと肯くと、彼女が苦笑する。


ここまで来なければ、俺は納得しなかった。

ならばこの80年の旅は必要な事だったのだろう。


半壊している壁から見える、遠くの王城を見ながら考える。


『アナタハ、ドウシタイノ?』

聞いてくるだろう言葉を、彼女が言った。

俺は視線を戻し彼女を見ながら考える。

考えると言っても、選択肢は一つだけなのだが。


それは、果たして出来るのだろうか。


『マオウヲタオスノナラ、スグニデキルヨ』

彼女が言う事に頷く。

『デモ、ソノアト、アナタガマオウニ、ナッテシマウ』


力の関係上そうなるだろう。

今の時代に、俺を倒せる光の力の持ち主はいない。

ああ、だからか。

俺が魔王になっても生きて欲しかったと。彼女の望みはそういう事か。


今の俺が魔王になったとしても、侵略もしないし戦いも起こらない。

あれを倒したら何処かに旅にでも出ればいい。

彼女を連れて。


それでも良いかも知れない。

けれど、聞かなければならなかった。


「俺は、あの時に戻れるか」

彼女の顔が小さく歪んだ。きっと想像していたのだろう。

『モドシタクナイ』

「…どうして?」

『80ネンモ、モドシタラ、アナタノチカラガ、ツキテシマウ』


分かっている。

それでも俺は最後まで、魔王ではなく。


「俺を、勇者でいさせてくれ」

彼女の眼からボロボロと涙が零れた。

『イヤダヨウ。ココナラアナタハ、イキテイケルノニ』

「君が望む、正しい君の力の使い方だろう?」


空中に浮いている剣を掴む。

それが俺の気持ちだと、分かった彼女が溜め息を吐いた。

まだ涙が流れているが、それを拭わずに俺を見てくる。

『ナニヲイッテモ、ダメダヨネ。ダッテサイショカラ、バカナンダカラ』

そう言えば、一番最初にそう言われたな。



「頼む」

俺はそう言って、目を閉じた。


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