古き知識の居場所



気が付くと、森の中にいた。

もたれていたブライの首から身体を起す。小さく鳴いていたブライがぶぶっと大きな声で鳴いた。

多分俺が気を失ったので、静かに落とさないように森の中まで歩いてくれたのだろう。


「有難うな」

首を撫でても、まだ心配そうに小さく鳴く。

何処かで休んだ方が良い。まだ錬成陣はあったはずだから何処かで使った方が良い。ブライの鬣に俺の血が付いていたので洗ってやりたかった。


この先に馬宿屋があっただろうか。

森を抜けると大きな台地が見えた。俺が起きた場所だ。

エオルカ王国をぐるっと外側から回った感じだ。地図上で言うと台地は南西にあった。最初はミズン村に行くために、国の真ん中を横切って進んだから、ここまでの距離は感じなかった。今は外側から中に行くには遠すぎた。


少し疲れていた。

溜め息と共に血が零れる。口を拭ってブライを走らせる。

気が休まる場所なんて思いつかなかった。

いや、そういえば。




「私が選んだのです」

そう言った女性は、大きな水晶球を前に微笑んでいた。

「僕がいるのに、何故もう一人勇者が必要だったのか、知りたかったのだが?」

きつい口調で勇者ロウチが占い師ナトゥーアに聞いていた。


貴族や王族が参加する夜会に出るために着飾った勇者ロウチは、見たまま美丈夫な仕草で俺を振り返る。

「僕の隣に立つのだから、それぐらいは着飾らないと」

俺の姿を見てうんと肯く。占い師のナトゥーアはそんな言葉に小さく笑った。


「お二人は、金の髪と銀の髪、青い目と紫紺の目、対になるような姿だと、淑女たちの噂の的ですよ?」

勇者ロウチはハアッと大きな溜め息を吐いた。

「女性とは本当に」

それ以上言わないのは、貴族の行儀なのか。


「せいぜい僕の引き立て役になってもらおうか」

そう言ってから部屋の外に出る。占い師は不思議な薄い布の衣装を顔まで纏ったまま、俺を見ている。

「あの傲慢な勇者は、あなたを苦しめていませんか?」

「…いえ、そんなことは」

「そうですか。それなら良いのですが」

目を細めて俺を見ている占い師は、指先で水晶球を撫でる。


「いくぞ、ディザイア」

戻って来た勇者ロウチが俺の手を引いた。

「邪魔をしたな、ナトゥーア」

「いえ、勇者の行く先に光がありますように」

腕を引かれて、王城の廊下を歩く。勇者ロウチは待っていた聖女マイナにフンと鼻を鳴らした。


「いつ見ても、あの女はいかがわしいな」

「言い方を、気を付けてください」

聖女マイナに注意されても、勇者ロウチは気にしないみたいだ。

引いていた腕を離して、俺を見降ろす。


「あんな女が国を左右するとか、終わっている」

「…本当に、あなたは」

聖女マイナが溜め息を吐いた。勇者ロウチは廊下の先に見える窓から夜空を見たのか、俺を振り返った。

「あの女がいる時は、花火が上がる。それは何の魔除けかと思うよ」

夜空には確かに花火が上がっていた。

「歓迎の意味ですよ。魔除けなんて」

「花火は、古来から魔除けだ。そんな事も知らないのか聖女のくせに」

聖女マイナはにっこりと笑って怒っていた。




勇者ロウチから夜会のあとで聞いたのだ。

静かな場所がある。

今更ながらに思い出していた。一人で静かに考えたいときは良い場所だと。


確か言っていた場所は、この国の西側。つまり今いる場所に近い場所だったはずだ。

古代の遺跡。

その場所は、どこだったか。


ブライの上で息を吐く。

俺の認識では、あの人は傲慢で意地悪な人ではない。聖女マイナだって駄目だと思わない。何故エオルカ王はあんな言葉を言ったのか。


占い師のナトゥーア様は、よく分からない人だった。

あまり話したこともないし、話す時は何時も難しい言葉ではぐらかされた気がしていた。占い師と言うのは言い回しが難しいものだと、勇者も聖女も言っていたが。

こんなに思い出すのは、体調が良くないせいだろうか。


確か、国の一番西側の、国境近くの大きな山の麓。

空高くそびえる白い山の、その麓にあると言っていた。

俺の視界には、高くそびえるエオルカ王国随一のヴィクティム山がそびえていた。


ブライがゆっくりと歩く。

俺はその背でまた小さく息を吐く。喉にまだ血の味がした。


振動に耐えられずにブライから降りる。

険しい山は、壁伝いに昇らなければいけない様だった。水の近くにブライを置いて、壁に手を掛ける。その場所にどうしていきたいのかは自分でも分からない。

けれど彼は、あの勇者は決して俺に不利な話はしないはずだった。


高い崖を上る道は見つからず、やはり登るのが正解の様で俺は腕に力を入れて自分の身体を持ち上げる。

それほど登らないで、場所が開けていた。

この場所に来るには崖を上る以外には、手段は無さそうだったが、この場所に立てればその先には小さな道があった。


穏やかな上り坂は、山の中腹まで続いている。

上り坂の先に大きな石でできた扉が見えた。その前に立って俺は首を傾げた。

切り立った壁に彫られたような扉がある。どう見てもそれは本物の扉には見えなくて、彫刻家が彫った様な岩壁に筋を付けたような。


動くとは思えない切り出された扉の偽物にしか見えなかった。

押しても引いても開くように見えないが。

たしか、合言葉があったはずで。

「コオルディナーテ」

ギシリと石の欠片が扉の上から零れてきた。

彫られた彫刻のような大きな扉は、静かに少しだけ開いて止まった。


俺はそこに入る。

中は薄暗く埃っぽい。

後ろで扉が閉まったのを振り返って確かめたが、意味はなかった。

改めて大きな建物の中を見回す。


言われていた通り、そこは古代の図書館だった。


沢山の本が奥まで続く本棚に収まっている。

昔の英知が、誰にも知られずにそこに佇んでいた。

埃がうっすら止まった部屋の中で、俺が本棚に近寄って歩いていると、人影が見えた。


「え?」

俺の声が響く。その声に人影が振り向いた。

「誰?」

それは俺が聞きたかった。


長い髪の少女が本を抱えて立っている。

この場所には相応しい清楚な姿だったが、生きてここに居ることは相応しい事では無かった。

俺は手近な椅子に座る。

取りあえず身体を治したかった。カバンから羊皮紙を出して腹に当てる。

二回目のそれは小さく光って、俺の腹を温めた。


「…怪我をしているの?」

「いま、治したから大丈夫だ」

「そう。あなたは何処から来たの?」

「その疑問は、君に問いかけたい。この場所は勇者ロウチが封印していたはずだ」

俺の疑問に、少女はフッと笑う。


「勇者ロウチね?知っているわ、彼が此処に来た時に会っていたもの」

「え?」

少女はクルリとその場で回った。白い埃が薄い光できらりと光る。


「私はここの精霊。この古代図書館の精霊よ」

そんな存在がいるとは。

俺の驚いた顔に、少女は小さく笑った。


「あなたはどうして此処に来たの?何が知りたいの?」

問われて答えられない俺に、少女が首を傾げる。

「…自分に足りないものを確かめに来た」

「あなたに足りないもの?」

話す前に溜め息が出てしまうのは、仕方が無いと自分で思う。


「自分の知識が足りなさ過ぎる。せめてこの国の歴史が知りたい」

「この国の歴史?」

また首を傾げる少女に、少し気遅れてしまう。

俺が知りたいのはきっと、子供なら知っているような知識の話だ。


「歴史書ならこっちにあるわ」

立ち上がって少女の後について行く。

歩いていく姿を後ろから見て、確かに精霊かもしれないと思う。

足音が一切しなかった。

今響いているのは俺の靴音だけだ。少女の靴音は一切しない。どう見ても革靴を履いているのに。


「ここなら何冊もあるわ。それにしても歴史なんて、古い話が好きなの?」

少女は俺の近くで見上げてくる。指さされた本棚には確かに何冊も、歴史書が並んでいた。難しいものも簡単なものも並んでいる。


「…80年間の空白があるんだ」

そう告げると、ピタッと動きが止まった。

「あなたの名前は?」

「…ディザイアだ」

「ああ、あなたが」

そう言って少女は小さく肯いた。


「それなら、本なんて読まなくていいわ。私が教えてあげる」

揺れる緑色の目が、俺を見ている。

「私はシルトクレーテ、知識の精霊よ。何でも答えてあげるわ」

薄金色の髪を揺らして、少女の姿の精霊、シルトクレーテが言った。



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