幻惑の精霊



シルトクレーテは俺に椅子に座るように促した。

「無理はいけないわ」

「…ありがとう」

実際、俺は疲れていた。痛みを我慢していたせいだろう。

今日は腹を何回も繰り返し刺されたせいかもしれない。


「あなたが望む知識かは分からないけど、取り敢えず、魔王が王城に現われた後の話をするわ」

俺が肯くと、シルトクレーテも椅子に座って俺を見た。

「魔王が王城を呪い、この国の一部に呪いを放ったの。そこは今でも呪われて封印されているわ」

「それは知っている」

「そう。それから王城の外側にいた人たちは、そこを離れて撤退しながら魔王の追撃がない事に気付いたわ。一か月たっても一年たっても、魔王は王城から動かなかったの。不思議に思いながらも何年たっても動かない魔王に、均衡を保つ態で人々は順応したわ」

頷く俺に頷き返す。


「でも魔王も何もしない訳じゃない。魔物は蔓延り以前よりも多いわ。“呪い満ちる夜”は繰り返し魔物を生き返らすし、魔王の存在を日々感じつつも、生きていくことは出来るから、慣れていき続けているの」

「それも知っている」

「勇者と聖女は死んだわ。あなたがいなくなった事も有名な話ね」

それには答えられない。

まだその時間の記憶は戻っていない。


「他の国は静観していた訳じゃなかったけど、手を出しかねている間に国の民が落ち着いてしまったので、逆に意見が言えないみたい」

「他の国」

「そうよ、断崖の向こうにあった国。そこは先に魔王が滅ぼしてしまったわ」

「…」

「もちろん。もっと遠い国は無事だけれど、この国の隣の二つの国はもう無いわ。瘴気だけが立ち込める土地になり果てているわ。まだ魔王がいるこのエオルカ王国に尋ねてくる事も出来ないようだし」

それはどうしてなのかと、問いかけようと思った俺に、シルトクレーテは話を続ける。


「勇者ロウチは有名人だったの。冒険者ギルドでA級だったから。その実力者が勇者に選ばれて、倒されたのよ」

シルトクレーテは目を伏せる。

「彼が最初にここに来たのはまだ勇者になる前だったわ。だから私も知っている。彼は強かったわ。彼のパーティも」


日差しは薄く部屋に入り込み、大きな図書館はただ静かで。

「それでも勝てない魔王に挑む人はいなかったの」

俺を見てシルトクレーテは、微笑む。

「でも、挑む人はいるのよね?」

それに頷く事は出来ない。俺はそんな実力は持っていない。

俺ではなく、彼が残っていたら、きっと勝てていたのではないか。そう思ってしまう。

勇者は彼だ。俺では無く。


「俺は」

「いいの言わなくても。あなたが思っているだけでいいの。私達は所詮何もしなかった側だもの。強制もお願いも出来ないの」

「…願うのは自由だろう」

俺の言葉に、シルトクレーテは小さく笑う。


「あなたがいなかった80年は何も変わらないわ。いまだにこの国は呪われて、魔王の真意すら分からない」

目を閉じて、話を聞く。

俺はこの話に耐えられるだろうか。


「…本を読ませてほしい。誰の意見も加味せずに考えたい」

「あ、ごめんなさい。私の私的な意見は聞かなくていいのよ?」

でも、聞いてしまった。

精霊が望んでいる結末を。光り輝く勇者に勝ってほしかったと。


分かっていると、叫ぶことはできない。

それは昔から、この国に勇者として選ばれた時からずっと、分かっている。

魔王と戦って救うのは光の勇者だ。

黒い力の持ち主ではない。


なぜ俺が選ばれたのか、その理由すら分からないのに。

ただ勇者ロウチの英雄譚ばかりを聞かされて、凹まない訳ではない。

どうしてあの時、彼らは。


雑音しか聞こえない記憶の向こうで、俺には彼らの声が聞こえない。

放り投げられた時に、彼らは一斉に何かを言った。

それが俺には分からない。

それさえ分かったら、或は俺でも良いのだと思えるかもしれないのに。


俺は近くの本を手に取って開いてみる。

誰かが書いた内容は、平坦な言葉で少し安心する。

不釣り合いな俺しかいないから、俺に頼むしかないから。

だからいま生きている人たちは、俺に頼むのだ。


ああ、いま考える事ではない。

俺が今考えることは、どうやってあの魔王を倒して皆を助けられるか、だ。

今この時も、魔王と戦っているペーシュ姫を助けることだ。

俺の力が足りなくても、全力で助けることを考えなければ。

過去を悔やむのは、魔王と共に死んだ後で良い。



歴史書の中に魔王の伝え語りが書き遺されている。

呪いの魔王。

その人物の話が。

それは魔物の中でも珍しい属性に見舞われた魔王の物語。

大きな力は災害そのものの呪い。恨みもなく妬みも無いのに呪いだけが襲い掛かる。誰を呪いたくなくても、それが力なら使うまでの事。

破壊の力なら、強大な魔法なら、自慢が出来ただろう魔王は、しかし己が手に有ったのは呪いの力のみ。

それこそ自分の運命を呪えたらどんなに良かったか。


「?」

心の中で首を傾げながら、俺はその歴史書を捲る。

なんだか、これでは。

魔王が悪くないと言っているような。


さて、この場所は呪われていないのか。

その事を考えながら、本を捲る。

俺が来た時に限って、彼を持ち上げる様な話をする精霊が、本当に勇者ロウチの事を知っているのか。


聖女マイナとさえ、年中喧嘩をしていたのに。

精霊とはいえ、たまに会う少女と打ち解けていたのかどうか。

無いとは言えないけど。

その場所を俺に教えるかな?静かな一人で考えられる場所だと。


まあ、教えないだろう。

あの人の事だから、精霊がいるのならそれを話すはずだ。


ならばこれは。

俺の邪魔にならないように離れて本を探している少女は、魔王の手先で敵だろう。


沁み渡るように俺を蝕むように。

魔力ではなく武闘ではなく。

そう思ってもらえるほどには脅威なのだろうと、思っておくことにしよう。


「…聞きたいことは君から聞いたから、歴史書はあまり参考にならないな」

「そう?持っていってもいいのよ?」

「いや、旅の途中で読めるほど、時間が取れない」

実際に、連戦で本を読む時間はあまり無い。


「残念だわ」

「ああ、知識をありがとう、シルトクレーテ」

「いいえ。あなたに逢えてよかったわ、ディザイア」

まだあまり記憶が戻っていない時期に会えたことが、良かったのかも知れない。

扱いやすい馬鹿だと思ってもらえただろうから。


図書館を出るまで、少女はそのままその場所で手を振った。

扉を潜って、走って崖を滑り降りる。

ブライに駆け寄って手綱を掴んだ。

背に乗り、早足で走らせる。


後ろから突風が吹いて来た。

どっちかと思ったが、仕掛けて来るのか。


ちらりと振り向くと、少女の姿はしておらず、何だか逞しい獣の姿をしていた。

その眼だけが同じ緑色をしている。

ごめんな、シルトクレーテ。俺はもう負ける訳にはいかないんだ。


ぐずぐず考えたとしても、前を向いて走らない訳じゃない

役者が俺だと望まれなくても、俺がやらなくては。

だから、ごめんな。


俺は振り返り弓を放つ。

ブライはまっすぐ走ってくれている。

弓を避けながら、後ろの魔物は笑っていた。

実力不足だと思ったのだろう。距離が近付きほとんど後ろを走っている魔物に、俺はブライの背から飛び乗った。


背中に着地しようとしている俺を弾こうと、前足を持ち上げて振り被った。

その前足に弾かれる時に俺の手がその足を掴む。

ゼロ距離で外す訳もない。

「〈漆黒の風〉」

ばらりと魔物が解けた。

それでも俺は魔物の前足に弾き飛ばされて地面に転がる。


頭と肩を打って、耳の横を血が流れているのが分かる。それでも立ち上がって魔物の姿を見る。ほとんど消えかかっている黒い欠片は、何故という疑問を緑色の目で訴えていたがそれは一瞬で、風に吹かれるものさえなくなった。


はあ。

溜め息が出る。

ブライは戦闘をしたにもかかわらず、しっかりと走ってしっかりと減速してくれた。

かしこいぞ、ブライ。後でニンジンあげるからな。


かばんを探ったが、羊皮紙の余りはなかった。

「この姿で貰いに行ったら、怒られるかなあ」

そう言いながら、顔が少し笑っている事に自分で気が付いていた。



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