呪われた砦の二人



もう少しはっきりと思いだせればいいのだが。


結局、ブライには川は渡れないだろうと思い、橋のある場所へ向かっている。

俺の記憶は何故か揺らいで薄くしか思い出さない。


特別なきっかけがあった時は、その場にいるかのように時間が過ぎるのに。

…勇者ロウチに泳ぎを教えて貰ったような。

今の状況にそぐわない思い出は、ぼんやりとしか覚えていない。


どれが大事でどれなら簡単で良いのかなんて、自分の記憶に対して判断しているとしたら、かなり腹立たしい。

記憶も思い出も、俺は全部覚えていたいからだ。


橋を渡り、行く先に高い山が二つ見える。

その間を抜けると印の場所があるはずだ。けれど封印されている場所はすぐには見つからないだろう。アーラの村の時はたまたまアーラが外にいて、俺を発見してくれたから辿り着けたけれど。


作用している気配とかを、あの時の俺は気付いていなかった。

場所の特定に時間が掛かるかもしれない。

無意識でブライの首を撫でていた。

ぶぶっと鳴かれる。何かの返事なのかと少し嬉しくなった。


ブライの背で、山を見上げる。

高い山だから、上の方は雪が残っている。あの場所に行く事はそうそうないだろうが。行けるとしたら疾風五回掛けて、翼で飛ぶぐらいかな。

…行けそうだな?


呪われて封印されている場所。

薄い膜のような物に覆われて、住んでいる人もなかなか外には出られないはずだ。アーラが見つけた穴のような物が、次の土地にもあればいいのだが。


時が過ぎて、呪いもほころびかけているのか。


ゆっくりと移動しているが、人の足よりは速い。

もうすぐ印の場所に着くだろう。霧が出る訳でもなく、何もない草原が続くばかり。やはり普通では見えないか。

ブライを降りて、自分の足で歩く。


嫌な気配は感じない。呪いの気配はどういう物なのか。アーラの村でもさして違和感がなかった。それはどうしてだろう。

中に入っても、俺は呪われなかった。

理由があるのだろうか。


ふわりと何かの気配がした。

これは記憶を思い出す時に似ている。

しかし今は周りの景色が見えている。

普通に思い出すという事か?


俺が呪われない理由は。

『……ノ…ミテ……マホ……』

誰かの声が聞こえる。この可愛らしい声は?

『マオ……ソ…チ……』

誰かが俺の手の中に居た気がする。それは遠い昔のような、つい最近のような。

右手をぐっと握ると、それは喪失感にも似た感触で。




『アナタノチカラハ、アンコクノチノハテカラ、ヤッテクル』

真正面に俺の顔を両手で挟んで、覗き込んでいる顔が見えた。

薄い水色の光がその全身を包んでいる少女の長い髪は、ゆらゆらと大気に融けるように揺れている。

寂しそうな瞳は俺の顔を反射して映していて。

『ソレデモ、イイノカナ』


俺の魔力が初めて顕現した時だ。

それまでは、捨て子の俺に魔力なんてあるはずがないと、誰も計ろうとしなかった。けれどお世話になった孤児院が火事になって、子供たちが残されていると聞かされて。


止められても中に入って、全員助けたいと瓦礫に埋まりそうになった時に。

耳元で溜め息が聞こえたんだ。

『ドウシテ、ソンナニバカナノ?』

水色の透明な姿の少女が目の前にいて。頬を膨らませて怒った顔をしていた。

『アナタガ、ナニモシナケレバ、アラワレナクテスンダノニ』


時が止まっていた。

炎も。落ちてくる瓦礫も。子供たちの泣き声も。

少女と俺だけが動いている世界で、少女は泣きそうな顔で怒っていた。

『バカナンダカラ。ホントウニ』

そう言って俺の頬を何度も撫でた。

『デモ、ソレガアナタダモノネ』


それから少女の身体が薄く消えて。俺の身体に魔力が宿り。

魔法で瓦礫を止めて子供たちを助けて、火事も消した。


一瞬の出来事だったが、それが俺の顕現で。彼女の事は何も分からずじまいだった。魔法が使えるようになる時に誰かと会話して使えるようになるなんて、昔話にすら事例はなかった。

だから、奥底に記憶を眠らせていたんだ。

それが再び出会うなんて思っていなくて。




「…どこで、再会したんだ?」

俺は思い出した記憶が中途半端な事に少し苛立つ。

何処で再会したかまで思い出しても良くないか?薄い感覚を辿ると、それは右手に辿り着いた。手を握る。その動作がやけにもどかしい。


イラッとして、その場で手を伸ばした。

その指先が何かに触る。ふわんとした感触は薄い膜のような。

目の前には何もない。

手を伸ばしたまま一歩踏み出す。腕の先が何処かに入った気がした。

こんな、何もない場所に存在するとか、見つけられなくても仕方ないよな。


後ろでブライが小さく鳴いた。

「行ってくる」

そう言うと、ぶぶっと返事をされた。俺は片手を振ってそのまま膜の中に入った。



入った先は大きな砦がそびえていた。

後ろを振り向くと、荒れ果てた草原が薄暗く広がっているように見える。

砦は静かに佇んでいるだけで、機能している様には見えない。居るはずの歩兵も見えないし、人が住んでいる気配もない。


「誰かいるのか?」

少し大きな声でそう言ってみた。返事を期待していなかったが、それに反して人の声がした。


「誰だ?」

そうして姿を現したのは、昔見た軍服を着た兵士だった。

「お前は、何処から来たんだ?」

やはり歪な縞模様が顔にも手にもついている。俺に問いかけた声は随分掠れていた。

「外から来た。ここに居るのはあなただけか?」

「いや、俺の他にもう一人いる、が」

その人物は、俺を訝しげに見ている。


「何か変だろうか?」

「外から人が入れるなんて、今までなかった」

「そうか。もう一人の人には会えるだろうか?」

「……会えるけど」

その兵士は物凄く渋い声で言った。俺が近付くとある程度の距離から近づかないように離れて、砦の中を歩く。


戦争で崩れたものよりも、風化して崩れたのではないかという光景に、俺は沈んだ気持ちになる。呪いは時間を止める物では無い。ただ呪われた時間が過ぎる。

アーラの村もそうだった。


ついて行った先に地面に寝ている老人がいた。

老人が俺を見る。眉を顰めて視線を移し兵士を見た。

「ニードル。そちらは誰だ?」

「ワイズさん。外から来たって言われたんだけど」

驚くほど素早く起きた老人は、俺の服を掴んだ。


「外に行けるのか!?」

俺は二人を見る。二人とも縞模様が身体に現われている。

「…二人が外に行くには、呪いを解かなければ駄目だと思う」

そう言うと、老人はがくりと膝を着いた。


「そうだな、君は呪われていないから出られるのだろうな」

ニードルと言われた兵士はワイズという老人を悲しそうに見ている。

「君はどうしてここに?偶然入ってしまったのか?」

ワイズがそう言って俺を見上げる。立ち上がる気力は無くなってしまったのだろう。

「…ここには二人だけなのか?」

ニードルが頷いた。


「ワイズさんが言うには、呪われた後で内乱が起きたらしくて、俺が生まれた時には十数人しかいなかった。それから少しずつ減って、今は俺とワイズさんしかいない」

「そうか」

この大きな砦にたった二人で。


俺はワイズを見る。もう俯いたワイズは俺を見ていない。

「俺は此処の呪いを解きに来た。呪いの中心は分かるか?」

ワイズが、ばっと顔を上げた。

「呪いを解けるのか!?」

「止めろよ、そんな事」

ワイズの期待の声に対して、ニードルは固い声で俺を止める。


「どうして?」

「呪いの場所に行って無事に帰ってきた者はいなかった。帰ってこなかった者の方が多いって聞いてる。お前は外に帰れるんだろう?それなら無事に外に出ればいい」

ワイズが俺の足を握る。

「呪いを解けるのなら解いてくれ!!」

叫ぶワイズをニードルが悲しそうな顔で見る。

「頼む!私を助けてくれ!!」


俺はニードルを見る。ニードルは苦い顔で話し続けた。

「…ワイズさんはそう言っているけど」

「ニードルは黙っていろ!助けてくれ!!」

足元の老人を見る。目が血走って口から泡を吹いている。

正気とは思えなかった。


顔を伏せたニードルが俺を手招いた。

「着いて来てくれ」

後ろから老人の叫び声が聞こえる。

「私を置いて何処に行くんだ!?私を助けろ!!」


横を歩くニードルが俺を見ないで話す。

「…もう、正気でいることが少ないんだ、ワイズさん。だからごめんな」

「いいよ」

「本当に呪いの中心に行くのか?」

ニードルが俺を見て話した。

「ああ。俺は封印を解かなければならない」

「どうしてだ?」

素直に聞かれると、どう答えればいいか悩む。


「理由は有るけど、今は話せない」

「そうか」

小さく肯いて、ニードルは砦の瓦礫を越えていく。

砦の広場に着くと、広場の半分は墓石が林立していた。そこを避けてニードルが広場中央にある石像の傍に立つ。


俺の目線を追って、ニードルが苦く笑う。

「この場所がいいと、昔の人が思ったらしい。昔は花も咲いて木々も茂っていたらしいよ、この広場は」

「…そうか」

「昔の人もこんなにたくさんの墓が立つとは思っていなかったろうけど」

そう言ってから石像を押す。

簡単に石像が動き、地下への暗い穴が現れる。

中に降りて数歩進んだ時に、上から声が掛かった。


「気を付けていけよ?酷いけがをしたら帰ってきていいんだからな?」

「ああ、分かった」

「俺は此処で待っているから」

ニードルはそう言って石像を動かして、入り口を閉じた。

俺はそれを見上げて閉まったのを確認してから、階段を降りて地下に向かった。


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