呪われた村の少女




「俺が聖剣を持っていたって?」


ローハイムのパンを千切る手が止まる。

「え?まさかそれも覚えていないの?」

水から上がった時に周りには、なにもなかった。小さな池だったからすべて見渡せた。


自分の手を見てぎゅっと握る。

俺は防具も剣もすべて、時の向こうへ置いて来たのか。


「君が手放したと言うなら、新しい武器が必要だろうが、壊れない剣というのは聖剣以外で聞いた事がないな」

肉を食べ終わり、最後のソースをパンに付けて口に放り込みながら、エンハイムが言ってくる。ローハイムは紅茶を飲みながら考えていた。


「…勇者は聖剣に選ばれる。だから勇者なんだ」

ローハイムが俺を見る。

「その記憶がない君は、勇者なのか?」


俺は、その言葉に答える事が出来ない。

何も覚えていないのは、本当なのだ。

エンハイムも紅茶のカップを持ったまま、じっとしている。

やけに静かで、息がしづらい。


その静寂は何かの亀裂を生んでいるのか。

ローハイムはそれ以上何も語らずに、食器を持って台所に消えた。

エンハイムも何も言わない。


俺は。




真っ暗な空が世界に覆い被さる。

人々の努力をあざ笑うように、魔物がまた大地に蔓延る。


瘴気が湧き出す大地を、俺は駆けていた。

ワーシャが印をつけた場所の一つは、ハジ村から地図上で左斜め上に記してあった。そこを目指して走っている。


魔法研究所の前に要石は置いて来たから、何時でも行けるだろう。

そう思いながら、行かないかもしれないと何処かで考えている。


聖剣を持たぬものは勇者では無い。

それならば、俺はただのディザイアだ。

誰の支援も受ける権利が無いだろう。


勇者、勇者、勇者。

エオルカ王もワーシャも、ペーシュ様も、必要なのは勇者だ。

俺は。


森の中の広場らしき木が生えていない場所で。

一つ目の巨人が襲い掛かって来た。


錆びた片手剣で動きを見て避けながら、足元を切り続けて。

時折弓で目を狙い、隙を作ってまた切り付けた。

それが倒れて煙に変わった後に、剣と弓、道具が幾つか地面に落ちる。

拾う手が震える。


震える手を握って抑え込んで、拾い上げてカバンに入れた。


聖剣も持たない俺はこうやって、魔物が与える武器で戦うしかない。

しかしそれは、魔王が渡してくる武器だ。

相手が渡してくる武器で戦うことしか出来ないなんて、手の上で踊るだけの。


真っ暗な空が、世界も俺も押しつぶす。




”呪い満ちる夜”が明けた次の日にエンハイムは、ディザイアに貸してある部屋のドアを叩いた。

「起きなよディザイア、朝食にするよ?」

しかし返事はない。

試しに押してみると、ドアは開きディザイアはいない。整えられているベッドは以前のようにただの空き室だと主張している。


食事を並べようとしていたローハイムを見てエンハイムは首を振った。

「どうしたの?兄さん」

「ディザイアは旅立ったよ」

「え!?」

「…昨日の言葉は、彼には堪えたのだろうね」

ローハイムがエンハイムの顔を見る。


「昨日の言葉って?」

「お前が言っただろう。聖剣を持たない者は勇者じゃないって」

「ああ、うん。だから、ただのディザイアに合う剣を探そうと思って。聖剣は作れないからどういう剣が良いか悩んでいたから、その後の話は聞いていないけど?」

「…その後に話はなかったよ」

ローハイムが瞬きをする。


「僕もディザイアも何も話さなかった。いや、話せなかった。彼は悲しみを煮詰めたような顔をしていたから。僕は言葉を掛けられなかった」

「え?なんで」

「ローハイム。今の彼は、記憶がなくてたった一人なんだ。その彼に求められていたのは勇者の役割。それが無いとなったら、何も覚えていない世界で彼は何を頼りにすればいい?彼自身以外に」

エンハイムは呆然とした弟の顔を見ながら溜め息を吐いた。

せめて何かで償えればいいが。

それはあまりにも都合が良い話だ。何処かで立ち直った彼が来てその後謝るとか、自身の努力無く行われる謝罪など、しない方がましだ。


窓から見える青空に、せめて彼の道行きの幸運を祈った。




息が苦しい。小鬼の大きな物、大鬼と言うべき魔物が数匹いた。

呪いで封印されている場所に近付くにつれて、やはり魔物が強くなる。剣が壊れて走って逃げながら弓で撃退した。

食料の補充が出来るほど、心に余裕がなかった。

…そこらに生えている草でも齧るか。確か少しは体力が戻るはずだ。


腹から流れている自分の血には言及しない。

何処かで寝れば治る。

押さえている左手が不自由なだけだ。


印の場所は近いはずなのに、建物も見えない。

呪われて封印されている場所。

どうして見えない。


「どうしたの?お兄さん?」

横の草の茂みから声がした。草の上から覗いているのは薄紫の髪の小さな頭の先。顔も見えない子供がまた話しかけてくる。

「怪我してる?これ効くよ?今取って来たから新鮮だよ?」

小さな手が、強い効き目の薬草を差し出してくる。


その腕に奇妙な縞模様が刻まれていた。

「…君は何処から来たんだ?」

「それより早く、それを齧って?」

見ているのか草の間から目が見える。大きな子供の眼だ。美しい濃い紫の瞳。

俺が口に入れるのを見ている。


薬草がほんのり身体の表面に光を纏わせる。

効能がある時特有の光だ。


「それで良くなるといいねえ?」

子供が嬉しそうな声で、そう言った。その言葉で泣きそうになる。グッと口をかみしめて黙ったら、草むらから子供が出て来た。


「お兄さん、大丈夫?」

子供の肌の上はすべて歪な縞模様が付いている。

けれど、俺を心配している表情は別の物だ。


「一緒に来る?入れるか分からないけど?」

手を引かれて子供の後について、とても小さな穴を潜り、見えないベールの様なものの中に入った。

「入れないかも、とは?」

「なんか、神聖な人とか物は入れないんだって」

「…そうか」


ではやはり、此処が呪われて封印されている村か。

空気が少し違う気配だが、村の生活自体は普通に見えた。住人の全員の肌に縞模様がある以外は。

刺青ではないだろう。手にも足にも顔にも、歪んだ縞模様が付いているのだから。


子供に手を引かれた俺に、大人が気付いた。

「あなたは。アーラが外から連れてきたんですね。まったく」

俺の手を握る子供がへへっと笑った。


「だって、一緒にいたかったのだもの」

「そうか、仕方ないな。…まあゆっくりしていってください。私達の家でよければ泊まれば良いし。アーラ、ちゃんと連れてくるんだよ?」

「はーい。お父さん」

御咎めなしなのが気になる。外から人を連れて来てはいけないとかそういう決まりはないのだろうか。


手を握ったアーラが俺を見上げる。

「泣きそうなの、治った?」

ハッとした俺の手を強く握られた。


「一人で泣くより隣に誰かがいた方が良いって、お父さんが言ってたの」

アーラが笑う。

「お母さんがいなくなった時に言ってた」

「そう、か」

呪いで命が縮むのだろう。いずれはこの子も。


手を引かれて、村をめぐる。

小さな畑と一つの井戸。少ない村人。

俺を見ても何も言わない。呪われる以上の不幸は無いと思っているのか。不審者など怖くないのだろう。


穏やかな村の片隅で、金属が打ち合う音が聞こえた。

大きな炎が上がる場所で椅子に座って、老人が鍛冶をしている。


真剣に打ち込み、時々かざしてまた打つ。

水と炎が、老人を彩っている。


孤独な作業の合間に、ふと俺とアーラを見た。

「あんたは剣士か?」

多分、俺に聞いている。


「…剣は使う。剣士かと聞かれると自信はない」

「剣を振るえるか?」

「ああ、振るえる」


老人は立ち上がり俺の手を握った。

「そうか、それならこれを振ってみてくれ」

自分の家から数振りの剣を持ってきて、俺の足元に投げ出した。


「え」

「この村には剣士がいない。どれも振るう者がいない可哀想な剣だ。あんたがいる間でいい、振るってやってくれ」

アーラを見ると、向こうに行ってると自分の家を指さした。

肯いてから足元の剣を握る。


老人が見ている前で、剣を構えて横に振るった。

風切り音の中に、小さな異音がする。

俺の手からそれを奪って老人が炉の中に放り込む。


俺がまた手に取り剣を振るう。それを奪って炉に入れる。

何回も繰り返した。

手が疲れて、少し息を吐くと、また剣を持ってきた。一体何振りの剣を打ったのだろう。俺の顔を見て、老人が小さく笑った。


「わしはこの村が呪われてからずっと、鍛冶をしている。材料を使いまわして打ち続けているが、剣を振るうやつが居ないせいで、正解の剣が分からなくなってしまった」

「自分では振るわないのか?」

「この村の住人は剣を振るえない。それも呪いの一部なのだ」


戦えない人達。

その呪いは、この村だけではなく、外でも。

実際の呪いではなく、心の奥に楔のように刺さっている呪い。


魔王と戦わない呪い。


戦うのは俺一人。

諍いはあれど、魔王のいると分かっている王城には誰も手を出さない。


そうやって縛りつけるのが、魔王のやり方か。

じわじわと効いていく、遅効性の毒のように。



俺は足元の剣を持って老人に伝える。

「外には、弓矢は売っていても剣は売っていない。鍛冶屋が存在しないのだろう。だから俺が持っているのは錆びた剣ばかり。あなたが打ってくれれば、それを使いたい」


老人がほうっと息を吐いた。それは何かの感嘆符のように。

「わしの剣が敵を打つか」

「そうさせてくれれば有り難い」

「わかった。新たに打つ間にこれでも使ってくれ」

老人は足元の剣ではなく、家の奥から双振りの剣を新たに持ってきた。それを手渡してくる。


「わしが若い時期に打ったものだ。材料が上等で真剣に打った。今はそれ以上の物はないが、あんたが使ってくれるなら、必ずそれ以上の物を打つ」

それを手に取って、軽く降ってみる。綺麗な風切り音がした。


「貰っていこう」

深く肯いた老人は、鍛冶を再開する。

その音を聞きながら、俺はアーラの元に戻った。


「話は済んだの?」

「ああ、ありがとう。…それから聞きたい事があるんだ、アーラ」

「ん?なあに?」

首を傾げるアーラに思い切って聞いてみる。


「呪いの中心は何処にある?」

「それは、アーラでは分からないよ」

俺と話しているアーラの後ろに、アーラの父が立っていた。


穏やかな表情で、不審な質問をした俺を見ている。

「君はそれを聞いてどうするの?」

「…呪いを解きたいと思っている」

「そうかあ。それなら、案内しようかな」


気軽に言われて驚いている俺に、アーラの父は笑いかけてくる。

「僕はね、アーラを死なせたくないんだよ」

「…」

「だから、たとえ百万分の一でも可能性があるなら、それに賭けるんだよ」


後を付いて歩いて行くと、それは村の中心の石像の下にあった。

石像が動き、その下に暗い地下への階段が続いている。

「こんな場所に」

「分かり易い場所に作って、呪われた人たちが足掻いて諦めるように、わざとこの場所に作ったんだろうね」

その時ばかりはアーラの父も暗い目をした。


「本当に行くのかい?」

「ああ」

「気を付けて」


アーラの父が上に行き、石像が戻される。

真っ暗な中、俺はカンテラを掲げて地下への階段を降りた。


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