それは昔話ではない



「まあ、まずは此処に来た経緯を教えてくれぬか」

「…エオルカ王から聞いた」

ワーシャさんが片眉をあげた。

「もう、亡くなられて久しいと思っていたが、生きておられたのか?」

「多分違う。最後はすっと消えたから」

「おお、そうか」

ワーシャさんは呟いて、静かに目を閉じた。


「あの方は最後まで、お主を気にしておったからな」

一国の王にそこまで思ってもらえて光栄だ。


「それでは、当時の国の話をしようか」


ぬるいお茶を飲んでワーシャさんの顔を見る。

その顔をじっと見られた。


「その昔、エオルカ王国は魔王と戦う事を余儀なくされていた。魔王が復活した時にこの国に勇者が現れたからな。しかも二人もだ。一人は光の勇者、もう一人はお主、暗黒の勇者だ。魔法の属性でそう呼ばれていただけで、お主はいかにも真面目な魔法剣士だった」

ワーシャさんは顔に掛かった髪を、右手で払う。


「しかし光の勇者は怠惰で傲慢だった。お主よりも武芸でも魔法でも劣っていたのに、その属性だけで王城で威張っていたな。それに便乗したのが、光の、ああ、面倒だな。ロウチに便乗して我が儘を通すようになったのは聖女のマイナだ」

俺は思いだそうとしたが、諦めて新しく覚える事にする。

光の勇者がロウチ。聖女がマイナ。


「その仲間のパーティの連中もいかれていたな。まあ全員死んだからもう良いけどな」

「全員か」

「そうさ、あれから80年たっている。生きている奴はおらんよ」

80年。

俺がいない間にそんなに時間が過ぎているのか。


「我らのように長生きはしないだろ、エオリス人は」

「そうだな、多分」

俺のカップに新しいお茶を入れてくれるルーシェさんに頭を下げて、またワーシャさんを見る。


「その後魔王が城の地下で復活した。その僅かな時間でお主はいなくなった。ロウチとマイナがお主は逃げたと言っていたが、事実はどうなのだ?」

「…全員に手足を持たれて、城近くの湖に投げ込まれた事は思い出している」

「そうか」

ハアッと溜め息を吐いて、ワーシャさんは片手で目を覆った。


「それが原因で、王城は魔王の呪いに覆われて落ちた。奴らでは到底かなわなかったよ。エオルカ王もその時亡くなられた。我々は前線を下げて戦って、今だに均衡状態だ」

「魔王は」

「まだ王城に居るよ。しかし何もしてこない。聖女の魂が何か出来ている訳はないので、魔王が飽きたとしか思えん」


俺はカップを手元でゆっくり揺らす。茶葉がゆっくりと回る。

「では魔王が何か思ったら」

「ふん。また戦争だろうよ。次はもう、生き残ることは無理かもしれんな。いまだに魔物は辺りを徘徊しているし、こっちに戦力は」

そこで言葉を切って俺を見た。

俺は見られて見返している。


「…この国を助けろとは言わないが、我はずっと気になる事があるのだよ」

「なんだ?」

この流れで聞かないという選択肢は選べない。


「小さかったペーシュさまだ。あの混乱の城の中で、何処を探してもいらっしゃらなかった。修行さえできていればロウチなんかよりも強い光魔法が使えたはずだ」

「ペーシュさま」

「…お主になついていたが忘れてしまっているか。小さき王女様だよ。当時7歳だったか」


80年前の動乱の王城で、勇者や聖女が死んだ場所で。

そんな小さな子が生きている訳がない。もし万が一生きていたとして87歳では戦うことは出来ないだろう。


「これから国を歩くのなら、何処かで見かけたら教えて欲しい。…墓でも構わん。逃げて生き延びていてくれたら」

「…わかった。それは報告する」

「ありがとう。それで、ディザイア。お主はどうする?この世界は綱渡りの状態だ。魔王を刺激しないように生きていかなければならない」


俺は、雨が降り始めた外を窓ガラス越しに見る。

屋根にもパラパラとあたる水音がする。


誰一人、戦わない世界。

それとも戦えないのだろうか。


「…少し外を歩いて来てもいいか?」

「もちろん。我が村は好きに歩けばいいさ」

「ああ」

俺は雨の中、フードを被ってワーシャさんの家を出た。



「おばあさま、あの方が暗黒の勇者様ですか?」

「そうさ。当時最高の勇者だった、ディザイアだ」

「…戦われますでしょうか?」

ワーシャは胡坐のまま、ルーシェを見る。


「あやつが戦うと言うなら、我らは命がけで応援せねばなるまい」

「はい」

「ただなあ。記憶が無い者にそれを強制はできんよ」

「…そうですね」

それは本当にそうだ。彼には戦う動機すらないのだから。



雨が空から落ちてくる。それは誰の上にも変わらずに。

過去でも未来でも平等に。


村の山道を上ってみる。少し急だが転ぶほどでもない。

ペーシュさま…?

村の上の山のさらに上。よじ登らなければ行けない場所がある。

岩に手を掛けてゆっくり上る。手袋をしていても濡れてずるりと滑る。それでもどうにか上がってみた。


小さな青い花がたくさん咲いていた。

その中に少し大きな青い花。

ペーシュさま。どこかで、何かが。


風が強い。雨が横から降ってくる。

花が風で吹き飛びそうになっている。



『ディザイア。約束して。私は子供だけど、この国の王女なのよ』

美しい金髪が強い風で翻る。その真っ直ぐな青い目が、この花の色をしていて。

『あなたがこの国を救う勇者なら、私はこの国を守るわ。あなたと共に』

子供の言っている事だと、何処かで思っていた。


『…信じてないのね?それならこれを教えてあげるわ。何時か困ったら呼びかけて。私が何処へでも行ってあなたを助けるわ』

さすがに大笑いした記憶がある。俺が助ける方で姫は守られる立場なのに。

『そ、そんなに笑わないでよ。今教えたのは、本当に王家の魔法で秘密なんだからね』



目の前の青い花をゆっくり茎を重ねて、花かんむりにする。

王女が言っていたのは、これの事で。

この花は80年前から希少種で、余り大量に生えていなくて。

だから、貴重な魔法だとそう言っていた。


「ペーシュさま」

雨の中、出来上がった花かんむりに呼びかける。

ただの、感傷。そうだったはずだ。


『ディザイア?』

その輪の中から、姫の声がした。


『本当にディザイアなのね?信じられないわ』

「え、ペーシュさま?い、今どこに」

『時間が無いから聞いて。私はまだ王城にいるわ。魔王に少し負けているけど、押さえているの。聖女に頼んで呼びかけて貰っていたけど、勇者は全然現れないし、諦めようと思ったけど。あなたが生きていたのね。良かったわ』

「ペーシュ、さま?」


『助けて勇者ディザイア。この国を』

ふわっと花が解けてなくなった。魔法の代価だろうか。


俺はその場で王城のある方角を見る。

7歳の子が、80年もひとりで、戦っている。


今のは幻では無い。

魔法の残滓が薄く残っている。



走ってワーシャさんの家に向かう。

早く話して、それからどうにかして対策をしなければ。

門番の人達が驚いて俺を見ている。走って階段を駆け上る。扉を思い切り開けた。


「ワーシャ!」

「…どうしたのだ?」

驚いた顔で、ワーシャが俺を見ている。


「俺は魔王を倒す」

「は、急になぜ」

「ペーシュさまが生きている。王城にまだ居るんだ」


ワーシャが凄い勢いで立ち上がった。

「なんだと!?」

ルーシェさんも立ち上がっていた。

「詳しく話せ、ディザイア。お主が戦うと言うなら我からも伝えたい事があるのだ」

「ああ」


俺が魔法の事を伝えると、そんな魔法は知らないと言われた。

「本当に王家の魔法だと思う。良く思いだしたな」

「偶然だけど」

「しかし、今のお主では戦う事すら出来ないだろう。道具も武器もほとんど持っていない。そのうえ、単騎で勝つならせめて魔王の呪いに対抗できなければならない」

「…そうだな」

まだ思い出している時間が少なすぎて有用な記憶が戻っていない。


「お前がその気なら、行ってもらいたい場所がある。まずは地の裂け目の先に、魔法研究所がある。そこに我々サーム族の魔法研究者がいる。今のお主には分からないだろうが、お主の知り合いで、知識が深い。役に立つはずだ」

「ああ」

ワーシャが地図を広げて、印を数か所に付けた。


「それからこれが肝心なのだが、魔王はその力で各地方を呪い、封印している。それを解かなければ王城に攻め入った時にかなり不利になるだろう」

「地方を封印とは?」

「そのままだ。土地を封印して侵入できなくなっている。中に入って呪いを解かねばならない」

「…その四角印の所だな?」

ワーシャが印をつけた場所を確認する。随分と離れていた。

「各地方が離れているのは、その場所に何かしらの意味があるのだろう。見ての通り封印されている地方は五か所だ。それぞれに村があったはずだ」

俺が肯くと、ワーシャが地図の一番右側を指さした。


「どちらにせよ、この地の裂け目を越えて、研究所に行く方が先だ。今のお主はトロットの魔法すら出来ないだろう?」

「トロット?」

俺が聞き返すとワーシャが苦笑する。


「勇者だけが使えた、場所から場所へと飛ぶ魔法だ。国中を歩いて回ったお主はよく使っていたぞ」

「そうか」

それは便利だ。


「ペーシュ様が生きている事は、我々の希望になる。だが、実際に戦えるのはお主しかいないかもしれん」

じっと見られて話される。

80年の間に全てが変わっているのだろう。


「魔王が勝った当初ならいくらか居ただろう戦士たちも、魔法使いたちも、今では噂も聞かない。まあ…」

ワーシャが四角印を書いた地図を、指先でとんとんと叩いた。

「多分この中に居るだろうが」


80年たった今では、生死も不明で。

それでも、俺はやらなければならない。

あの声に、答えるために。



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